第23話

「おいあんた、本当に大丈夫か?」

「少し、待ってくれ……。心配するな、いろいろと思い出してるところだ。大丈夫、自分で歩ける」

「まあ、カッチュウも医者に診てもらえよ。洞窟にいるからさ」


 前に向き直ったヴィンクの背中に、カッチュウは言った。


「それは洞窟じゃない。地下鉄だ」

「は?」

「地下鉄だよ。チ・カ・テ・ツ。かつて大都市を支えた、地面の下の電車用交通網だ」

「へーえ。そんなもんだったのかい」


 ふと前を見ると、確かに洞窟――カッチュウの言うところの地下鉄へと続く、下り階段があった。

 街路よりも明るく、点々と照明が灯っている。まだそこに人の姿は見られない。


 ゆっくりと階段を下りきると、広くて明るい通路に出た。すると、ヴィンクは右手を上げて、パチンパチンと指を鳴らした。よく響く。


「ヴィンクだ。帰ったぜ。お客もいる。医者を呼んでくれ」


 そう言い終えて、立ち止まるヴィンク。敵意を感じて僕が短剣に手を伸ばすのと、通路の陰から銃器を持った男たちが現れるのはほぼ同時だった。


「ッ!」

「よさんか、カッチュウ!」


 自動小銃を手にしようとしたカッチュウを、サントが留める。

 男たちの中で一番大柄な、拳銃を手にした男性が近づいてくる。こんな状況に慣れているのか、焦る気配はない。


「ご無礼をお許し願いたい。なにぶん、あなた方が駆逐してくれるまで、我々はオルコウの影に怯えながら生活していたのでね。どこから来なさった、旅の方?」


 僕とカッチュウ、それにサントは顔を見合わせた。僕とミカが最初に村を出てから、カッチュウとは森林で会ったのだし、サントについても、荒野を通り過ぎた後で出会った。

 一概に、誰とどこで出会ったとは言えない。


「え、えーっと……」

「我らはこの世に光明ももたらすべく、魔界より遣わされた隠密の者……。此度は騒ぎに乗じ、貴公らの力を拝借したい……。まずは、医学の心得のある方に、この者を診ていただきたいのじゃ……」


 すると、男性は拳銃を仕舞い、ゆっくりと近づいてきた。周辺の者たちも武器の矛先を下げる。

 男性は片膝をつき、ミカを覗き込む。


「彼女はどうしたんです?」

「オルコウに噛まれたんだ。首筋のあたりを、一度」

「オルコウに? 分かりました。すぐに医師を手配しましょう」


 カッチュウに頷いてから、男性もまたヴィンク同様に指を鳴らした。今度は三回。すると、伝令と思しき男性が、地下鉄の線路を奥へと駆けて行った。


         ※


 ミカにはサントが付き添うことになり、僕とカッチュウはヴィンクと共に夕食を摂ることになった。

 しかし、向かった先は森林でも川岸でもない。


「な、何なんだ、ここは……」


 僕は目の前の光景に圧倒されていた。

 壁や天井は真っ白で染み一つなく、その空間を立体的に駆使して、銀色に輝く多彩な機械が動き回っている。

 何やら食欲をそそる匂いがしているが、しかし肉や野菜、魚を焼いてる気配は全くない。


「まー、あたいらもよくは知らねえんだけどさ」


 自分の後頭部に手を遣りながら、ヴィンクが言う。


「どうやらここって、勝手に食い物や水を作ってくれるみたいなんだよね」

「か、勝手に? じゃあ狩りは? 狩りには出ないんですか?」


 僕の問いかけ方が可笑しかったのか、微かに口の端を上げながらヴィンクが答える。


「たまには出るさ。大物目指してな。だが、大体の食事はここで済ましちまう」


『ちゃんと種類があるし、栄養価も高いしな』と言って、ヴィンクは部屋の片隅に向かった。たくさんの袋が積み重ねられている。そこから三つを取ってきて、ほれ、と僕とカッチュウに手渡した。一つは自分のものである。


「そんじゃま、いただくかね」

「い、いただく……?」


 僕はどうしていいか分からなかった。

 特殊な素材のつるつるした袋に、液状のものが入っている。中身は見えないが、カッチュウを見習って摘みを捻ってみると、それがすぐに開いた。この部屋と同じ、いい匂いがする。

 僕は二人の見様見真似で、その摘みの付いていた穴に口をつけ、すすってみる。


「……おいしい」

「だろ?」


 早くも自分の分を飲み終わったのか、ヴィンクは空の袋を弄んでいた。

 この液体、果実のような甘さと酸っぱさ、それに五臓六腑に染み入るようなコクがある。


「カッチュウ、この正体、分かりますか?」

「分からんが、似たようなものは口にした覚えがある。だが、それがまさか、こんな機械の塊によって自動的に量産されていたとは……」

「いやー、『文明の里』様様だ。ここを出て外で生き抜ける人間は、そう多くはねえだろう」


 確かに、それには同意せざるを得なかった。かつての村にいた人々よりも、この地下鉄構内にいる人々の方が遥かに多いのも頷ける。

 僕がやや緊張気味にこの液体を飲んでいる間にも、何十人という人々が、この不思議な袋を持ち去っていった。


「そうか、ここは都市の地下空間が、研究施設になっているのか」


 カッチュウが呟いた。


「どういう意味です?」

「いや、俺の推測に過ぎないが……。ここから出ないでまともな生活を送れるなんて、逆におかしいと思ったんだ。日光を浴びず、食糧も画一的、それにこの閉塞感。ストレスが溜まって仕方がないだろう」


 ストレスとは、心にとって不快な物事のことを指すらしい。


「だが、ここの人々は、精神に異常をきたしているようには思えない。きっと水や食糧、空気や電灯までもが、人間のストレスを回避させるように働いているんだ」

「ああ、そんなとこだろーな」


 そう答えると、ヴィンクは後ろも見ずに空の袋を放り投げた。その先には大きな箱があって、空の袋が山積みになっている。


「まあ、坊やはゆっくり飲みな。分捕られるもんじゃねえ。そうしたら、眠れるお姫様の下に連れてってやるよ」


 そう言われて、僕は再び液体を吸い上げようとした。しかし、


「旅の方!」


 という先ほどの男性の声が聞こえて、思いっきりむせ返ってしまった。


「医師の診療が終わりました! 至急、来てほしいそうです!」

「ミカっ!」


 僕はまだ半分は残っている飲料物の袋を放り投げ、男性の下へ駆け寄っていった。


         ※


「こちらです」


 いくつもの鉄板のような扉を抜けて案内された先に、寝台があった。そこに横たわっているのは、言うまでもなくミカである。

 僕は駆けるのを止め、ゆっくりと寝台に近づいた。彼女の顔を覗き込む。穏やかに眠っているように見えるが、顔色はやはり悪い。


「ジンくん、だね?」


 振り返ると、白衣に身を包んだ男性がいた。やたらと目が大きいと思ったが、どうやらこれは『眼鏡』であるようだ。


「ミカさんの容体は安定している」

「ほ、本当ですか⁉」


 僕の胸は急速に高鳴った。


「意識はいつ戻るんです? 生きられるんですよね?」

「そのことなんだが……。このままでは長くは生きられない」


 僕ははっと息を飲んだ。そんな、安定してるんじゃなかったのか?


「彼女の容体は、ゆっくりと悪化していくようなんだ。もってあと丸一日といったところだ」


 僕の意識は、真っ暗な闇に叩き落された。ぺたり、と床にへたり込んだ、その時。


「話は聞いたぜ、坊や。あたいに協力させな」

「おい、突然何を言いだすんだ、ヴィンク!」

「あんたは黙ってろ、カッチュウ」


 二人の声に振り返ると、そこには壁に背を預けてヴィンクが立っていた。カッチュウは軽く突き飛ばされ、バランスを崩す。


「あたいは飛行船乗りだ。お前ら、目的地があるんだろ? あたいの船を使え。あたいのことも使ってくれていい」

「ほ、本当⁉」


 僕はがばりと顔を上げた。もし飛行船で移動できるなら、解毒作用のある薬草か何かの植生場所に行って、ミカに与えてやることも可能だろう。

 同時に、サントが完全版に仕立てた地図を思い出した。あの地図は実に詳細で、サント本人の知識をもってすれば、その解毒草も入手できるはず。


 僕はヴィンクの下に駆け寄った。


「お願いします! ミカを、助けてください!」

「おう、任せとけ! た・だ・し」

「お、お金ですか? それはサントが――」


 するとヴィンクは目線を合わせ、人差し指を立ててゆっくりと振った。


「あたいがタダ働きする人間じゃねえってのは、お分かり?」

「はい! だからお金を――」

「金じゃえんだよ、お坊ちゃん」


 すると、ヴィンクの左目に殺気が宿った。


「どうしても仕留めたい獲物がいる。あたいに協力しな」

「獲物……?」

「あたいの右目の仇だ。それと……恋人の仇でもある」


 やや言い淀むヴィンク。それと同時に、僕は背筋が冷たくなった。

 今、この女性は『自分の恋人が殺された』と言ったのだ。瞬時に僕は、ミカのことを意識した。

 そして再び、ヴィンクの左目を覗き込んだ。


「協力します。いえ、させてください。あと一日でその化け物を倒して、ミカを救わせてください」


 僕は腰から身体を折って、できる限り深く頭を下げた。


「交渉成立だな」


 その声に顔を上げると、ヴィンクの掌がぽすん、と頭に載せられるところだった。

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