第22話

 

         ※


 次に僕が気づいた時、カッチュウの兜が眼前にあった。


「おい、しっかりしろ、ジン! お前も戦うんだ!」


 何やら非常事態が起こっているらしいが、僕には状況がよく呑み込めていない。

 そもそも『戦う』だって? 何故? ミカは死んでしまったのに?

 

「カッチュウ、待つんじゃ!」


 サントの声。そちら側から、ケリーの雄叫びが聞こえる。敵が迫っているのか。

 そんなことを思っていると、肩をぐいっと掴まれ、視界の中央にサントの顔が現れた。


「こりゃあショック状態じゃな。さしずめ、ミカが死んでしまったとでも思っておるのじゃろう」

「そんな! まだ彼女は死んでなんかいない!」

「危険な状態ではあるがな」


 カッチュウの抗議の声を、サントはそう言って受け流す。

 ミカは死んでいない? じゃあこれからも、話し合ったり、ふざけ合ったり、笑い合ったりできるということか?


 僕は安堵し、意識は明瞭になった。だが、身体が動かない。金縛りにでも遭っているかのようだ。


「カッチュウ、サント、一体何が……?」

「オルコウの奴、予想以上にしぶといぞ! 奴の肉片が人型になって襲ってきてる! まるでゾンビだ! 歩く死人だよ!」


 呆気に取られる僕に背を向け、カッチュウは刀でそのゾンビとやらを斬り倒しに向かった。ケリーが別方向にいるということは、ゾンビは複数いるらしい。

 こんな時、カッチュウの自動小銃が使えれば。しかし、そう都合よく弾薬が手に入るわけでもないだろう。これでは結局、ミカを助けることもできない。


 その時だった。

 かつん、と鈍い音を立てて、僕の後頭部に何かが当たった。呻き声を上げ、後頭部を擦りながらそれを手に取ってみる。これは――。


「自動小銃の弾倉?」


 全く同じ形状ではないが、確かに、カッチュウが使っていたものに酷似している。

 すると、頭上から威勢のいい声が響いてきた。


「おら! 受け取りな!」


 若い女性の声だ。その方角には倉庫があり、屋根に人影がある。そこから、次々に弾倉やら拳銃やらが投げ込まれてきた。

 その声と音に気づいたのか、カッチュウが振り返った。

 

「ジ、ジン! 一体これは? ああいや、今はいい!」


 カッチュウは刀を背後に格納し、見慣れた自動小銃を取り出した。弾倉を手に取り、ざっと観察する。そのまま無言で自動小銃に弾倉を叩き込み、片膝を着いて射撃体勢を取った。


 スタタタタタタタッ。

 それはそれは見事な快音である。今の掃射で手応えを感じたのか、カッチュウは一発ずつ撃ち始めた。それらは見事にゾンビの眉間に吸い込まれ、過たず行動不能にさせていく。

 ゾンビにはオルコウ本体ほどの耐久性や再生能力はなく、倒れた個体から次々に煙となって蒸発していった。


 すると、カッチュウもケリーもいないはずの、第三の方角からも音がした。

 ザシュッ、ザシュッという斬撃音だ。そこにいたのは、先ほど弾薬を投げて寄越した女性だった。反り返った剣――サーベルと言うのだろうか――を逆手持ちにし、次々とゾンビの首を刎ねていく。

 

「ふっ! はっ! 邪魔だ!」


 一体に蹴りを入れて距離を取り、背後に迫ったもう一体をサーベルで仕留める。一部の隙もない動きだ。

 この女性の登場により、ゾンビたちはあっという間に掃討され、『文明の里』に静けさが戻った。


「あんたら、怪我人は?」


 そう言いながら、こちらに歩み寄ってくる女性。サーベルに付着した血を振り落とし、背中に仕舞う。

 薄暗い電灯の下で見ると、女性は随分背が高かった。カッチュウより僅かに低いくらいか。年齢は二十代前半といったところで、長髪を無造作に背中に流し、右目には眼帯をしている。

 そして、大きかった。胸が。いや、そんなところに注目すべきでないことは分かっている。だが、先日ミカのそれを見てしまった身としては、否応なしにその大きさの違いが実感されてしまう。

 まあ、ミカが成長途上であることを考慮すれば……。って、僕は何を考えているんだ。


 服装は、へそや肘が見えるくらいの短めの紺の上着(と呼ぶには露出が多すぎる気もするが)に、膝上までしかないズボン、それに膝下までを覆う長めの靴を履いている。


 はっとして、僕は観察を止めて顔を上げた。


「み、ミカが! この女の子が怪物に噛まれたんです! 今はまだ息があるけど……」

「そりゃあまた難儀だな」


 しゃがみ込んで、ミカの額にそっと手を添える女性。


「た、助けてください! えーっと……」

「あたいはヴィンクってんだ。呼び捨てにしろ」

「じゃあヴィンク、ミカを助けて!」


 するとヴィンクは立ち上がり、顎に手を遣って息をついた。

 

「ざっと金貨三十枚、ってとこだな」

「は?」


 ポカンとする僕の横に、カッチュウがやって来た。


「おいあんた! 人を助けるのに金を取るのか!」

「そうだね、何事にも先立つモノが必要だろう?」

「貴様、この子たちが今までどんな思いで……!」


 カッチュウに『この子たち』呼ばわりされたのは不本意だ。

 が、それよりも優先して考えるべきことがある。

 

 僕は確かに、金貨や銀貨、紙幣といったものの存在を知っている。だが、それこそ古文書を鵜呑みにしただけの、単なる知識に過ぎない。実物を使ったこともなければ、見たことすらない。


「別にあたいは構いやしねえけど? その子が生きるか死ぬか、運を天に任せてみたらどうなんかねえ?」


 軽薄な笑みを浮かべるヴィンク。ようやく僕も、怒りを覚え始めたその時だった。


「ほう、ヴィンクとやら。お主は金貨を所望している、ということじゃな?」

「そうだとも! 未だにこの街では、旧時代の貨幣ってもんが大手を振って出回ってるからな!」


 腰に手を当て、胸を張るヴィンク。そうされると、胸が揺れるのが否応なしに視界に入ってしまう。

 だが、そんな雑念は一気に消し飛ぶことになる。


「では、お主に授けようかの。金貨を」

「おい、サント!」

「案ずるな、カッチュウ。私はこれでも魔女じゃ。金貨を生み出すことなど、造作もない」


 そう言い終えるや否や、サントは両の掌を打ち合わせた。するとその間から、じゃらんじゃらんと音を立てて、金貨が無造作に落ちてきた。獅子化を終えて猫の姿に戻ったケリーが、やや驚いた様子で飛び退く。

 だが、それよりも勢いよく身を引いた人物がいた。誰あろうヴィンクである。


「うおっ! すげえ! これが魔女の力なのか! あたい、初めて見たぜ!」


 それはここにいる全員に言えることだが。


「交渉成立だ! 取り敢えず、あんたらを市民たちの下へ連れていく。医者がいるから、診てもらえばいい。あたいは案内役を務めさせてもらうぜ」


 相変わらず無駄のない、俊敏な挙動で金貨を拾いまくるヴィンク。どこに持っていたのか、布製の袋を取り出して、じゃらじゃらと突っ込んでいく。


「よーし、ついて来な。化け物じゃない、まともな市民に会わせてやる。『文明の里』のな」


         ※


「む……」

「カッチュウ、って言ったっけ? あんた、さっきからどうしたんだい?」


 唸り声を上げるカッチュウ。彼に対する心配、というより興味から、ヴィンクは声をかけていた。


「記憶喪失なんじゃよ。ただ、何かを思い出そうとすると頭痛が伴うようでな」

「ふーん」


 サントの解説に、ヴィンクは無感動な息を漏らす。

 僕はといえば、ケリーを足元に引き連れつつ、ぼんやりしたまま歩いていた。意識は明瞭だ。しかし、どこか自分と、自分の周囲の現実というものの間に、乖離現象が起きているように思われた。自分が薄い膜で覆われてしまっているような。


 その原因は明白である。ミカが、意識を取り戻さないでいることだ。

 現在ミカは、担架で運ばれるのと同様に、仰向けで横になったまま浮いている。サントが魔法で浮かばせて運んでいるのだ。


 その時、不意にカッチュウがしゃがみ込んだ。

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