第20話

 古い文献や古文書によれば、かつてこの道路は『バイパス』などと呼ばれ、『自動車』なる乗り物がひっきりなしに行き交っていたという。今は一台もそれらしきものの姿は見えない。

 残念だったが、戦車もまた同様の原理で動くものだったとすれば、まだ少し救われる気がする。あれも自動車の一種なのだとすれば、この目で自動車を見たい、という僕の思いは通じたことになるからだ。

 最も、カッチュウから『戦車の方が、お前の想像する自動車よりよっぽど珍しい』とは聞かされていたが。


 やがて、鈴の鳴るような音を立てて、エレベーターは滑らかに停止した。

 両開きの扉が開く。そこに広がっていた光景に、僕は息を飲んだ。


 赤紫色の絨毯が敷かれた、広い部屋。かつての村で、ミカやおじさんが暮らしていた家屋の壁を全て取っ払ったかのような広さだ。中央には、木材から切り出したテーブルが置かれ、水の入った透明な容器が並んでいる。反対側の壁はガラス張りだ。


「さあ、皆様どうぞご着席ください。只今お料理をお持ち致します」


 再びカッチュウが、率先して席に着く。意気揚々と水の香りを嗅ぐ。そして、言った。

 纏う空気をがらりと変えながら。


「なああんた、オルコウ、って言ったよな」

「左様でございます」


 振り返り、真正面からカッチュウの目線を受ける。カッチュウの視線に殺気が込められているのを、僕は感じ取った。


「詰めが甘かったようだ。俺たちに甘い香りを嗅がせ、警戒心を解いたうえで、ここまで誘導してきたはよかった。だが、この水がいけない。あまりに香りが強すぎる。これでは流石に、俺でも警戒するぞ」


 剣呑な空気の中、ぴくりとも動かないオルコウ。


「オルコウ、貴様の目的は何だ?」

「ふふふ、おや、失礼」


 コホン、と空咳を一つ。


「わたくしの予想では、ここまで誘導してきた人間は呆気なく香りに惑わされ、敵意を捨て去ってきたものですが」

「質問に答えろ」


 さっと、カッチュウは腰元から拳銃を抜いた。


「貴様の目的は何だ」

「ふふっ、お答えするしかありませんな。では、わたくしの解答、身を以て存じられるがよろしい!」


 くわっ、とオルコウは目を見開いた。と同時に、真っ赤な涙が溢れ出し、それどころか身体の形すら崩れ始めた。着衣だと思ってたスーツなどは、いわば体色の一部だったらしい。

 辛うじて人型を留めた上で、オルコウは全身を真っ赤な筋肉の塊に変え、雄叫びを上げた。


「グルゥオオオオオオオッ!」

「チッ!」


 すかさずカッチュウが発砲する。全弾が頭部に命中する。しかし、命中し、頭部が凹み、それから着弾地点が盛り上がって、弾丸は排出された。ことんことん、と絨毯敷きの床に落ちる。


 この事態、それに銃声によって、ミカはようやく正気に戻った。


「きゃあっ! オルコウさん!」

「よせ、ミカ!」


 僕は何とかミカを引き留めた。


「こいつは人間じゃない! 人間に化けて、僕たちを襲う気だったんだ!」

「で、でもどうして!」

「戦ってみるしかねえだろう!」


 カッチュウがミカの疑問を強制撤去する。

 すると、オルコウは両腕を勢いよく伸ばしてきた。肘はいくつも存在し、そのお陰で腕は自在に部屋中に張り巡らされる。


「なけなしの榴弾だが……」


 そう言って、カッチュウは素早く自動小銃を構え、榴弾を発射した。響き渡る爆音、目に焼き付けられる爆光。

 だが、爆炎を突き破るようにして、オルコウは勢いよく僕たちに迫ってきた。


 オルコウ本人が『身を以て知れ』と言うのであれば、戦うしかあるまい。

 僕はミカを部屋の隅に突き飛ばし、短剣を抜いた。そして、野獣のように四本足で迫ってくる真っ赤な肉塊を回避し、前足の中ほどに斬撃を見舞う。


 びしゃり、と鮮血が舞ったが、大した負傷にはならなかった。拳銃の弾丸による傷と同様に、僕が斬りつけた部分は肉が盛り上がり、あっという間に修復されてしまったのだ。


「ジン、下がれ!」


 スタタタタタタタッ、と聞き慣れた自動小銃の音が響く。オルコウは、傷は負わなかったものの、カッチュウの方に気を取られた。

 その隙に、僕は眉間に手を遣っているサントに声をかけた。


「サント! ケリーは? ケリーの力が必要だ! あいつが戦ってくれれば――」

「待つのじゃ、ジン」

「そんな! 待ってる場合じゃ……!」


 サントはやや虚ろな目をして、僕を見上げた。


「この香り、どうやら退魔作用があるようじゃな……。これでは、ケリーを獅子化させて戦うのは難しいのう……」

「くっ!」


 僕は悔しさに苛まれた。それでも、カッチュウの援護を忘れない。自分たちだけでどうにかしなければ。

 短剣に妖光を点け、オルコウの出方を窺う。

 

 今やオルコウの顔は、人間のそれとは似ても似つかなかった。

 目は三つ、四つと増えては肉塊に引き込まれ、すぐに新たな目が泡のように湧いてくる。口は耳元まで裂けて、顎はかなり広範囲に渡る攻撃を可能にするだろう。鼻は、顔の中央に空いた穴が一つあるだけで、とても呼吸器官の体を成していない。


 オルコウの突進を、横っ飛びで回避する。そのままミカとサントのいる場所から離れるよう、妖光で誘導する。

 その時、気づいた。


「おいミカ! お前、魔法使いなのに平気なのか?」

「えっ?」

「サントを見てみろ! それに比べて、お前はマシな様子だな!」

「う、うん、まあ……」


 僕は意を決して、ミカに要請した。


「ここは香りが強すぎる! 使える魔法が強力であればあるほど、影響を受けやすいんだ! でも、ここから脱出しなくちゃならない!」

「そんな!」


 悲鳴に近い声を上げるミカ。


「ここ、随分高いところだよ? 今の戦いでエレベーターは壊されちゃったし、かと言って――」


 と言いかけて、ミカは僕の言わんとするところを察したらしい。


「まさか、窓から飛び降りる気なの⁉」

「お前の魔法で、俺たちを無事地上に下ろしてくれ!」

「な、何言ってるのよジン! あたしは……」


 僕は、カッチュウがオルコウを誘導してくれているうちに、ミカの下へと駆け寄った。


「おばさんのことが気になってるんだろ?」


 沈黙するミカ。


「今のお前なら、おばさん以上の働きができる。ここにいる四人と一匹、地上に下ろすくらいの泡の魔法、使えるんじゃないのか?」


 それは、僕にとっても辛い記憶の再体験だった。七年前、空、泡状の魔法での降下。

 だが、今はそれをやらなければ。そうでないと、僕たちは皆オルコウの餌食になってしまう。

 

「僕だって正直怖いさ。でもミカ、お前が頑張り屋だってことを、僕は知ってる。毎日朝食前に起きて、ずっと訓練していたんだろう? 狩りの時は僕について来て、見事に援護を成し遂げた。お前ならできる。できるんだよ。だから、力を貸してくれ」


 僕はさっと、ミカの両肩に手を載せた。


「ジン、もうじき弾切れだ! 何か策は⁉」


 カッチュウの怒声に叱咤されたのか、ミカはすっくと立ち上がった。


「皆、聞いて! ここから地上へ、飛び下りを決行します!」


 その声に、オルコウははっとして振り返った。だが、


「てめえの相手はこの俺だ!」


 と叫ぶカッチュウが、後ろ足を掴み込んで強引に引き倒した。


「行け、お前ら! 俺もすぐに準備する!」


 僕とミカ、それに合流したサントとケリーは、既にほとんどが破砕されたガラス張りの壁面に向かった。飛び降りるのに十分な広さだ。


 目を閉じ、精神統一を図るミカ。異臭混じりのビル風が、彼女の頬を撫でていく。

 次の瞬間、その全身から、薄紫色のオーラが漂い出した。


「カッチュウ、合流を!」

「おう!」


 オルコウの顔面に最後の弾丸を叩き込んだカッチュウが、僕たちと並んで窓際に立った。


「行くよ、せーのっ!」


 僕は勢いよく床を蹴った。宙に躍り出る。それと同時に、紫色の光が僕たちを包み込んだ。

 しかし。


「う、うあっ!」


 僕は堪らず悲鳴を上げた。落下速度が減衰しないのだ。

 飛び降りる瞬間こそ、ミカを励まそうというつもりで腹を括った部分はあった。だが、七年前におばさんにかけてもらった魔法のような効果が、なかなか表れない。


 ぐんぐん迫るアスファルト。身体と同時に、視界ももみくちゃにされていく。

 このまま落下して、僕たちは皆死んでしまうのか。そうは思ったものの、ミカを責める気は起こらない。彼女を信じて死ぬなら、僕たちの冒険はここまでだったということだ。


 運命なんてものを信じるつもりはなかった。だが、仲間に対する信頼の情は厚くなっていた。運命だと言うならば、それは仲間と共にベストを尽くした結果なのだ。

 彼らがいたからこそ、僕は戦ってこられたのだ。彼らを、それも一番付き合いの長いミカを、どうして責められようか。

 すると、僕の胸中はすっと落ち着いて、不思議な安定感に包まれた。


 ただ一つ、僕が思ったこと。死ぬとはこういうことなのだろうか?

 ふわり、と浮遊感に包まれたのは、まさに次の瞬間だった。

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