第34話 ダンジョン管理人、就任
シュロはロップ、タルタロスと共に、ダンジョンまで後退してきた。
デザストルの足は遅くなったが、ダンジョンに到達するまではそう時間はない。
「なあ、このタルタロス、マジで俺たちのこと食ったりしないよな?」
「ノー。メインディッシュは私たちではない」
大人しくしているタルタロスのそばには、苦虫を噛み潰したような顔のマツリカと、怪訝そうに様子を見ているトリニティ、ヴィクトリアの姿があった。
トリニティの片翼には包帯が巻かれているけれど、命に係わる怪我ではなさそうだった。
そのことにほっと胸をなでおろしているシュロの前に、ロップはずい、と何かを突き出した。
それは、赤褐色に輝く羽。形は鷹のそれに似ている。
「はい。
「へー、こういう形してんだな。もっと派手な色かと思ってたけど」
「抜け落ちるとこの色。派手な色は命の色です」
「なるほどな。で、これがどうしたって?」
「受け取れ」
シュロはロップの真意を確かめるように顔を覗き込んだ。
彼女の翡翠色の眼は、やっぱりこんなときも、まっすぐにシュロを見返してくる。
「ミス・マツリカからもらったです。遠慮なく受け取れ」
「いやっ!? だめだろ、それ受け取った瞬間、呪いでお前の心臓が……っていうか、そもそも試験はもう中止になったんじゃないのか?」
「それがさあ、試験中止の儀式をする前に、デザストルがぶっぱなしたせいで、まだ契約上は試験続行中なんだよねえ」
トリニティが苦笑しながら言う。
「ま、今回はそれがいい方向へ働いたわけだけど!」
「ど、どういうことだ……?」
「私の心臓は呪いの影響を受けない」
ロップは静かに言った。そうしてじれったそうに羽をシュロに差し出す。
「ま、待て、受け取ったとして……俺はダンジョン管理人試験に、合格したってことになるのか?」
「なる。そしてこの場で、唯一のダンジョン管理人になって――ダンジョンを再構築することができる」
「できんの!?」
「できる」
シュロはたまりかねて覆面を外した。ロップがふっと口元を緩める。
「顔は出たほうがいい。隠すとお前の音はこわい」
「そんなことより、お前の心臓が呪いの影響を受けないってのは――」
「忌々しいことに、僕の呪いも完璧じゃなかったってことだよ!」
マツリカはそう吐き捨てると、相変わらず大人しくしているタルタロスの方を指さした。
「あのタルタロス。このウサギが言うには、寄生虫が巣食っているらしい」
「寄生虫?」
「ああ。頭の寄生虫がタルタロスの行動をコントロールしているから、今は暴れないんだってさ」
急に言われても理解することは難しい。けれど、タルタロスが大人しくしていることは事実だ。
「普段はタルタロスの意思のまま体を動かしているが、タルタロスが重傷を負ったときには、寄生虫のコントロールが優先されるらしいよ」
「あ、そっか。俺が攻撃したから……って、まてまて」
シュロはええと、と言いながらロップを見る。
「なんでそれが分かった?」
「寄生虫の鳴き声が聞こえたです。私の耳は高性能」
「それも、超がつくほどのな。でも虫と会話なんて……」
「可能。精霊のようなものと考えるが吉でしょう。前に、ハルシナと行った南の国で聞いたことがある言葉」
「なるほど」
「で。その虫は傷を負ってお腹が空いているから、大きなデザストルをたらふく食べたい。私はシュロをダンジョン管理人にしたい。
――なので、取引をしたです」
言うなりロップはがばりと胸元をはだけた。あまりの大胆さにシュロが目隠しをする間もない。
鎖骨の下あたり、なめらかな白い肌の、その先に――何かうごめいている桃色の物体がある。
「今、私の心臓の上にあるものは、タルタロスの体の一部。要するに胃」
「胃……?」
シュロの頭を、一つの記憶がいなずまのように駆け巡る。
「あ、そうか! タルタロスの腹ん中じゃ、魔術が使えない! 魔力を断絶する仕組みが、タルタロスの胃にはある!」
「イエス。正しく言うなら、それは魔力を通さないわけではなく、魔術の効力を止めていると聞いた。……だから、ミス・マツリカの呪いは、私の心臓を壊さないです」
噛んで含めるように言ってから、ロップはまたあの羽を差し出した。
「お前がこれを受け取っても問題ないでしょう」
シュロはたじろぐ。それを受け取る勇気が出ない。
――もし、マツリカの呪いの効果が、タルタロスの胃の効果を貫通したら?
――もし、タルタロスの寄生虫の言葉が間違っていたら? 間違ったことを言っていなかったとしても、ロップが間違えて聞き取っていたら? 彼女の耳は確かに優れているけれど、間違えないとは言い切れない。
とりかえしのつかないことになる。シュロの手にじわりと嫌な汗がにじむ。
その様子を見かねて、マツリカが口を挟んだ。
「――正直、そのウサギの言うことが真実かどうか、僕には分からん」
「だよな。あ、いや別に、ロップの通訳者としての実力を疑うわけじゃないんだが」
「しかし他に打つ手はない。この場で唯一ダンジョン管理人の資格を持っている男は意識不明の重体で、混合神も重傷を負っている」
「……」
「ダンジョン管理人になれる者は――ダンジョンの魔力を統括し、全てデザストルにぶつけることができる奴は、お前しかいないんだ」
でも、とシュロは困ったようにロップを見る。
ロップは何でもないことのように肩をすくめた。
「めんどうなおまけつきですが、お前の夢はかなうでしょう」
「でも、ほんとうに大丈夫なのか? 呪いは絶対に発動しないって言い切れるのか? その寄生虫が言ってることはほんとにほんとなのか?」
ロップが顔をしかめた。
「私の耳は高性能」
「いやそれは知ってるけど! 一歩間違えたらお前が死ぬんだぞ!」
「……信じられないです? サガレンを倒したときは私の耳を信じたのに?」
「あ、れは、お前の命がかかってなかったから!」
自分の命を賭けることには慣れている。戦場とはそういうものだ。
けれどシュロは、戦うことを知らない少女の命を賭けたことなんて、今まで一度もなかった。
だから、まっすぐに見つめられて、うろたえてしまう。
ロップはシュロの指先をちょっと握った。柔らかな手のひらが、剣だこまみれのシュロの指を優しく包む。
「だいじょうぶ。私はハルシナに連れられて、いろんな場所に行ったです。いろんな言葉を見て、聞いて、たくさん通訳をした。寄生虫の言葉を聞き間違えてはいないです」
「……」
「私は通訳として戦う。お前は剣を持つものとして戦う。その重さは違うですが、同じ戦うということだから――。だから、お前は私を信じろ」
信じろ。
その言葉の力強さに、シュロは唇をわななかせた。
デザストルの足音がひときわ大きく響く。かなり近づいてきている。
シュロはどくどくうるさい心臓の音を無視しながら、ロップの手から、火喰い鳥の羽をそっと受け取った。
――なにも、起こらない。目の前のロップが心臓を押さえて苦しみ始めたり、突然倒れたりすることはなかった。
「……よかった……!」
シュロは声を詰まらせながら呟く。ロップもまた、ほうっと安堵の息を吐く。
「
「うわ、なんかブルブル言ってる」
素材を集め、ボスを倒し、通訳者も五体満足で守り抜いた。
その証であるかのように、
見慣れぬ魔術陣は、シュロの体に静かに染み込んでゆく。全身になじんだ頃、
トリニティがわあっと声を上げた。
「うん、これでダンジョン管理人になったね! おめでとー、シュロ!」
「これで? これでもう、なったのか。ダンジョン管理人に」
「そ! 良かったねえ、夢がかなったね!」
トリニティはシュロにぎゅむぎゅむと抱き着きながら、嫌味っぽくマツリカを見やった。
マツリカは苦虫を噛みつぶしたようにその様を見ているが、シュロが上気した頬でにこにこと笑っているのを知り、居心地が悪そうに目をそらした。
その様を、ヴィクトリアはやれやれといった顔で見ていたが。
「ちょ、ちょっと、いちゃついてる場合じゃありませんことよ。あのデカブツ、また動き出しているようですし!」
「げ、ほんとだ」
シュロは侵攻を再開したデザストルをねめつけながら、
「――マツリカ、あいつの背中にある魔術陣に、特大の魔力を叩き込んでやれば、あいつはただの巨獣になるんだよな?」
「ただの巨獣扱いでいいものかは分からんが、あのけた違いの光線をぶち込んでこなくなることは確かだ」
「じゃあさっさと始めねーと。マツリカ、ユヴァルはデザストルの足止めと妨害を頼む」
「心得た」
散開するマツリカとユヴァルを見送ったシュロは、次にトリニティの方に向き直る。
「その翼、ダンジョンの魔力があれば少しは治るかな」
「ん? まあね、治癒魔術は得意だから」
「じゃあダンジョンを再構築したら、その魔力を使って治してくれ。頼みたいことがある」
「りょーかいっ」
はいはいっ、と手を上げるのはヴィクトリアだ。
「私は? 私も戦えましてよ!」
「ヴィクトリアには一番大事なところを任せる」
「まっ! シュロったら、ようやく私の使いどころが分かってきたようですわね!」
「うん。ヴィクトリアにしか任せられない大事な仕事だ」
そう言ってシュロはにやりとあくどい笑みを浮かべた。
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