第22話 堕ちた星

 黒髪の女は上機嫌に笑いながら、最後の仕上げを終えた。

 素材は集めた。呪文詠唱も済んだ。あとは魔力を注ぐだけ。


「ふふん。ああ、楽しみだ、あいつ、どんな顔をするだろうなあ」


 きっと烈火のごとく怒るだろう。けれど怒りたいのは彼女だって同じだ。

 女はトリカブトの美しい花をぐしゃりと握りしめる。


「なァにがダンジョン管理人だ。そんなのは暇人に任せておけばいいのさ。――英雄には英雄の仕事があるんだから、ね」


 女は魔術陣に魔力を込める。

 黒い光が魔術陣を満たしたかと思うと、潮が引くように消えていった。


「これでよォし。さて、ユヴァルのところに行かなくちゃ」



 これからどうするのか。

 ロップの不安げな問いに、シュロはあっさりと答える。


火喰い鳥ランキラの羽を探す。方針は変わらない」

「でも、トリニティとノーコンエルフは?」

「あいつらも弱くはない。ユヴァル相手にうまく立ち回るだろう」

「でも……」


 垂れ耳が、さらにへにゃりと垂れてしまっているように見える。

 シュロはそんなロップの背中をぽんぽんと叩いた。


「大丈夫だよ。ユヴァルは陰湿だから、あいつらを殺すはずがない。生かしてれば、俺との取引に使えるしな」

「それは……理論は分かるですが」

「だろ? それよりまずこの体のネバネバどうにかしようぜ……」

「それは完全に賛成です……」


 二人は巣を這い出る。タルタロスの巣があるのは、ダンジョンの中でも下層のようだった。

 ごつごつとした岩ばかりで、上の階層のような清らかな川は見当たらない。

 それでもロップは執念で耳をそばだて、水が流れている場所を見つけ出した。


 かすかな湧き水で体をぬぐい、人心地つく。

 ロップはブラシで丁寧に耳と尻尾をとかしながら、


「それにしても、説明なしでタルタロスの口に飛び込むお前は、本物の馬鹿だと断言できるでしょう」

「でも意図は分かってくれただろ?」

「心臓が止まるところだった」

「あはは。誤算だったのはさー、タルタロスの体の中って、魔術がぜんっぜん通じねーの。内側からあいつの動きを止めれるかなって思っても、魔力を吸い込まれるばっかりでさ。持ってたナイフでようやく助かった感じ」

「初耳。タルタロスに食われて生きて帰ったものはいないので。ですが納得。タルタロスは頑丈すぎる」


 試験が終わるまではまだ十時間ほどある。

 二人はそのまま休憩をすることにした。

 

 シュロが食糧を二口で平らげている横で、ロップは両手でチョコレートバーを持ち、もきゅもきゅ、ちまちまと食べている。


「ちっせー口」

「お前の口が大きいだけ」

「そか。……あと一つ、火喰い鳥ランキラの羽さえ手に入れられれば、ユヴァルから逃げ回らなくても済むんだが。その最後の一つがなかなかなぁ」

「もう一度タルタロスの巣を探してみると吉でしょう」

「そこにもなかったらどうする?」


 ぺろり、と唇を舐めて、考え込むようにチョコレートバーを見つめるロップ。

 やがて彼女は、何か思いついたように顔を上げた。


「クリアできない課題は出題されない。ダンジョンを上から下まで探してもないのなら、羽はダンジョンの中に置いてあるわけではない」

「というと?」

「私たちは今まで、他の受験者と話していない。羽を持っている受験者がいないか確かめるが吉でしょう」


 ロップの言葉ももっともだ。確かヴィクトリアも、そんなことを言っていたような気がする。


「一理あるな。でもそれって、ダンジョンをしらみつぶしに探すのと、そんなに変わんなくないか」

「ノー。シュロ、金属板プレートを出せ」


 試験合格に必要な素材の描かれた金属板プレートを出すと、ロップはそれを指でトントンと弾いた。


「『通訳者が命じます。他の受験者たちの場所を表せ』」

「……おおっ!?」


 金属板の上にぼうっとダンジョンの階層が浮かび上がる。

 十ある階層の中に、赤い点が散らばっているのが見えた。魔力量に応じて、赤い点の大きさは異なるらしい。

 規格外に大きな赤い点――つまりシュロ――が第八階層にあって、二人は自分たちの現在位置を知る。


 第十階層はダンジョンボス、つまりトリニティのいる場所だが、今のところ誰もいないようだ。


「一つ、二つ……ん? なんか数が三十人分もないような。まいっか。にしてもこんな機能があるなんて、すごいな!」

「素材を二つ集めれば可能。ノーコンエルフはこれを使ってお前にカチコミした可能性あり」

「なるほどな。ってかヴィクトリアも、もう素材二つ集めてたんだな」


 ヴィクトリアも、ただのゴリラではない。シュロに堂々と喧嘩を売るだけの実力はあるというわけだ。


「あ、待てよ。これって、ユヴァルたちも使える機能なのかな」

「ノー。通訳者が起動したときのみ、通訳者と受験者が見られるシステム」

「でもユヴァルのことだ、ヴィクトリアを脅してこの地図を読み解く可能性もあるな」


 ヴィクトリアを脅す。

 と言うと、囚われた美しいエルフが、獣人の手によって怪しい拷問にかけられている様、というよりは。

 檻の中でうろうろと歩き回り、唸っているヴィクトリアを、鉄格子の隙間から棒切れで小突き回す男たち、といった図の方が想像しやすい。


「……と、ともかく。私たちの居場所は、いずれ知られると考えた方が吉でしょう」

「それを回避するためには、とにかく動き回ることが必要だな」

「得意分野」

「俺もだ! それじゃ、まずはタルタロスの巣を探してみてから、受験者たちに当たってみるか!」 

「イエス」

「っていうか皆、なんでまだボスエリアまで行ってないんだろうな? そこまで難しくないのに」

「……おせっかいですが言っておく。普通の受験者は、ヘファイストスの黄金鍵チートを持っていない」

「あ、そか」


 *


 巨獣デザストルは南下し続けている。

 その中で魔獣は、景色が少しずつ変わっていることに気づく。

 

 雪がない。地面が見え、木々が多くなり、獣の数も増えてきた。

 様々なにおいが、けだものの五感を刺激する。

 そこにあの少年のにおいも混じっているような気がして、デザストルは咆哮した。




 元々デザストルは、巨人族たちが使役していた魔獣だ。

 雪深く、まがまがしい魔力ばかりが満ちた彼らの国では、熊に似た魔獣を操るのが常であったが。

 デザストルほど狂暴で、おぞましくも屈強な魔獣はいなかった。

 あまりにも手に負えず、武器として使えなかったため、雪原の奥深くに封じ込められていたのだ。


 だからこそ今、彼らはデザストルを放つ。

 目的はもちろん、かつて辛酸を舐めさせられた、ダマスカリア王国の英雄、シュロ・アーメア。

 またの名を、ルクトゥン。

 どんな猛攻にも動じず、懐に踏み込んで剣をふるう様は、勇猛で知られる巨人族をもすくみ上らせた。


 そのルクトゥンを殺すのに、デザストルほどふさわしい者存在はない。

 何しろデザストルの名の意味は「堕ちた星」――この魔獣こそ、英雄を失墜せしめる存在なのだから。

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