第22話 堕ちた星
黒髪の女は上機嫌に笑いながら、最後の仕上げを終えた。
素材は集めた。呪文詠唱も済んだ。あとは魔力を注ぐだけ。
「ふふん。ああ、楽しみだ、あいつ、どんな顔をするだろうなあ」
きっと烈火のごとく怒るだろう。けれど怒りたいのは彼女だって同じだ。
女はトリカブトの美しい花をぐしゃりと握りしめる。
「なァにがダンジョン管理人だ。そんなのは暇人に任せておけばいいのさ。――英雄には英雄の仕事があるんだから、ね」
女は魔術陣に魔力を込める。
黒い光が魔術陣を満たしたかと思うと、潮が引くように消えていった。
「これでよォし。さて、ユヴァルのところに行かなくちゃ」
*
これからどうするのか。
ロップの不安げな問いに、シュロはあっさりと答える。
「
「でも、トリニティとノーコンエルフは?」
「あいつらも弱くはない。ユヴァル相手にうまく立ち回るだろう」
「でも……」
垂れ耳が、さらにへにゃりと垂れてしまっているように見える。
シュロはそんなロップの背中をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だよ。ユヴァルは陰湿だから、あいつらを殺すはずがない。生かしてれば、俺との取引に使えるしな」
「それは……理論は分かるですが」
「だろ? それよりまずこの体のネバネバどうにかしようぜ……」
「それは完全に賛成です……」
二人は巣を這い出る。タルタロスの巣があるのは、ダンジョンの中でも下層のようだった。
ごつごつとした岩ばかりで、上の階層のような清らかな川は見当たらない。
それでもロップは執念で耳をそばだて、水が流れている場所を見つけ出した。
かすかな湧き水で体をぬぐい、人心地つく。
ロップはブラシで丁寧に耳と尻尾をとかしながら、
「それにしても、説明なしでタルタロスの口に飛び込むお前は、本物の馬鹿だと断言できるでしょう」
「でも意図は分かってくれただろ?」
「心臓が止まるところだった」
「あはは。誤算だったのはさー、タルタロスの体の中って、魔術がぜんっぜん通じねーの。内側からあいつの動きを止めれるかなって思っても、魔力を吸い込まれるばっかりでさ。持ってたナイフでようやく助かった感じ」
「初耳。タルタロスに食われて生きて帰ったものはいないので。ですが納得。タルタロスは頑丈すぎる」
試験が終わるまではまだ十時間ほどある。
二人はそのまま休憩をすることにした。
シュロが食糧を二口で平らげている横で、ロップは両手でチョコレートバーを持ち、もきゅもきゅ、ちまちまと食べている。
「ちっせー口」
「お前の口が大きいだけ」
「そか。……あと一つ、
「もう一度タルタロスの巣を探してみると吉でしょう」
「そこにもなかったらどうする?」
ぺろり、と唇を舐めて、考え込むようにチョコレートバーを見つめるロップ。
やがて彼女は、何か思いついたように顔を上げた。
「クリアできない課題は出題されない。ダンジョンを上から下まで探してもないのなら、羽はダンジョンの中に置いてあるわけではない」
「というと?」
「私たちは今まで、他の受験者と話していない。羽を持っている受験者がいないか確かめるが吉でしょう」
ロップの言葉ももっともだ。確かヴィクトリアも、そんなことを言っていたような気がする。
「一理あるな。でもそれって、ダンジョンをしらみつぶしに探すのと、そんなに変わんなくないか」
「ノー。シュロ、
試験合格に必要な素材の描かれた
「『通訳者が命じます。他の受験者たちの場所を表せ』」
「……おおっ!?」
金属板の上にぼうっとダンジョンの階層が浮かび上がる。
十ある階層の中に、赤い点が散らばっているのが見えた。魔力量に応じて、赤い点の大きさは異なるらしい。
規格外に大きな赤い点――つまりシュロ――が第八階層にあって、二人は自分たちの現在位置を知る。
第十階層はダンジョンボス、つまりトリニティのいる場所だが、今のところ誰もいないようだ。
「一つ、二つ……ん? なんか数が三十人分もないような。まいっか。にしてもこんな機能があるなんて、すごいな!」
「素材を二つ集めれば可能。ノーコンエルフはこれを使ってお前にカチコミした可能性あり」
「なるほどな。ってかヴィクトリアも、もう素材二つ集めてたんだな」
ヴィクトリアも、ただのゴリラではない。シュロに堂々と喧嘩を売るだけの実力はあるというわけだ。
「あ、待てよ。これって、ユヴァルたちも使える機能なのかな」
「ノー。通訳者が起動したときのみ、通訳者と受験者が見られるシステム」
「でもユヴァルのことだ、ヴィクトリアを脅してこの地図を読み解く可能性もあるな」
ヴィクトリアを脅す。
と言うと、囚われた美しいエルフが、獣人の手によって怪しい拷問にかけられている様、というよりは。
檻の中でうろうろと歩き回り、唸っているヴィクトリアを、鉄格子の隙間から棒切れで小突き回す男たち、といった図の方が想像しやすい。
「……と、ともかく。私たちの居場所は、いずれ知られると考えた方が吉でしょう」
「それを回避するためには、とにかく動き回ることが必要だな」
「得意分野」
「俺もだ! それじゃ、まずはタルタロスの巣を探してみてから、受験者たちに当たってみるか!」
「イエス」
「っていうか皆、なんでまだボスエリアまで行ってないんだろうな? そこまで難しくないのに」
「……おせっかいですが言っておく。普通の受験者は、ヘファイストスの
「あ、そか」
*
巨獣デザストルは南下し続けている。
その中で魔獣は、景色が少しずつ変わっていることに気づく。
雪がない。地面が見え、木々が多くなり、獣の数も増えてきた。
様々なにおいが、けだものの五感を刺激する。
そこにあの少年のにおいも混じっているような気がして、デザストルは咆哮した。
元々デザストルは、巨人族たちが使役していた魔獣だ。
雪深く、まがまがしい魔力ばかりが満ちた彼らの国では、熊に似た魔獣を操るのが常であったが。
デザストルほど狂暴で、おぞましくも屈強な魔獣はいなかった。
あまりにも手に負えず、武器として使えなかったため、雪原の奥深くに封じ込められていたのだ。
だからこそ今、彼らはデザストルを放つ。
目的はもちろん、かつて辛酸を舐めさせられた、ダマスカリア王国の英雄、シュロ・アーメア。
またの名を、ルクトゥン。
どんな猛攻にも動じず、懐に踏み込んで剣をふるう様は、勇猛で知られる巨人族をもすくみ上らせた。
そのルクトゥンを殺すのに、デザストルほどふさわしい者存在はない。
何しろデザストルの名の意味は「堕ちた星」――この魔獣こそ、英雄を失墜せしめる存在なのだから。
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