第23話 呪い

 携行食の黒パンを豪快にほおばりながら、ヴィクトリアはぼやいた。

 

「困りましたわね」

「って、パンをむしゃむしゃ食ってる場合かっ! 私たち、捕まっちゃってんじゃないの!」


 叫ぶのはトリニティだ。再び幼女の姿に戻っている彼女は、イライラと檻の中を歩き回る。

 二人プラスヴィクトリアの通訳者にしてサイの獣人が押し込められているのは、ダンジョン内に作られた牢屋の中だ。


 彼らを捕まえたのはユヴァルである。

 もちろん二人も抵抗しようとしたものの。


「さすがの私も、通訳者を人質に取られては動けませんもの」

「試験の要だもんね。私はタルタロスを拘束するので力使っちゃって、抵抗するパワーが残ってなかったし……」

「幼女のなりも大変だこと」

「そもそも、試験用に混合神としての力も制限されてる状態なんだもん。ほんとはもっと強いんだからね!」

「はいはい」

 

 トリニティを受け流しながら、ヴィクトリアはさりげなく牢屋の外に目をやる。

 牢屋の出入口には厳重な鍵がかけられている。

 魔術を施したものにしか開けられない仕組みで、それこそヘファイストスの黄金鍵ピックでもなければ、開錠は難しそうだ。


 牢屋を構築する建築材も、幾重いくえにも魔術が施されていて、内側から壊すことはできないようだ。

 とりあえずヴィクトリアが、象も失神するようなパンチを連打してみたが、びくりともしなかった。よほど二人を警戒しているらしい。

 ヴィクトリアは鉄格子をぐっと握ってみる。


「やっぱり、びくともしませんわね。私、鉄製のものでしたらだいたい曲げられますのに」

「さらっとすごいこと言うじゃん……? 魔術もだめ、怪力もだめってことは、私たち自力でここから出られないってこと!?」

「そう興奮しないのよ、トリニティ。私はエルフですから、囚われ慣れしてますの」

「囚われ慣れって」

「こういう時は下手に動いては駄目。じっとして体力を温存しながら、機会を待つのが吉でしょう……って、ロップの口癖が移ってしまいましたわね」

 

 下手に動かない、というのは一理ある。

 トリニティは渋々ながらも、壁際に腰を下ろした。

 と、今まで黙りこくって存在感ゼロだったヴィクトリアの通訳者が、あのう、と声を上げる。


「どうしましたの、ダン?」

「ここの隙間から、何か話し声が聞こえるようなのですが」


 ダンが体をずらすと、岩の隙間からかすかに光が漏れているのが見えた。

 トリニティはそこに耳を押し当てる。確かに、複数人の声が聞こえる。


「ロップがここにいれば……。あ、でも、私の力でもできるかな」


 トリニティは壁に手を押し当て、囁く。


「ダンジョンの支配者として命じます。穴、ちょっとだけ広げてもらっていい?」


 壁の穴がぐぐ、ぐぐっと押し広がり、差し込む光の筋が太くなる。

 トリニティとヴィクトリアは、争うようにそこに耳を押し付けた。

 相変わらず声は遠いが、何を言っているかくらいは分かるようになった。


『……だからさあ、ユヴァル、君は甘いんだよ』

『大隊長どのに比べれば――自分はまだ未熟ですが、しかし』


 ユヴァルと話しているのは女のようだった。とろける毒のような、ねっとりとした喋り方だ。

 トリニティは押し殺した声で毒づいた。


「私こいつ嫌い」

「ま、奇遇ですわね。私も嫌いなタイプの声ですわ」

「きっと自称サバサバ系の超陰湿なタイプだよ」

「男の前だと態度が変わるアレですわね」

「あ、あのう、話に集中なさったらどうでしょうか……?」


『だいたいさあ、シュロを取り戻すことと、その通訳者とやらの命なんて、天秤てんびんにかけるまでもないだろう? はっきり言って、ウサギの獣人なんか、見つけた瞬間に首をへし折るべきだったんだ』

『……』


 ヴィクトリアがぎりりと拳を握りしめる。真っ白なその手にいくつもの青筋が浮かんでいた。


『シュロが――ルクトゥンがいなければ、僕らの防衛線は破綻する。半年以内にダンジョン管理人になったら戦場から解放だって? そんな夢物語、許せるはずがないだろう』

『だが、国王陛下は猶予ゆうよをお与えになった』

『あの昼行燈ひるあんどんがどんな決断を下そうと、北方の巨人族がまたぞろ力をつけて、こちらを狙っていることに変わりはない。シュロを取り戻すのは喫緊きっきんの課題だ。ここで彼のわがままを聞いている余裕はない』

『……八年です』

『何だって?』

『シュロがわき目もふらず、ただひたすら戦場に立ち続けた年数だ。十歳の頃から、八年もの間、彼は一日たりとも休まず、敵を倒し、国を守り、殺し続けました』

『だからそろそろ休みを与えろって? 馬鹿を言え、たった一人の人生で、向こう十年の国の安寧あんねいあがなえるならば、安いものだと思うがね!』


 女の意見は、確かに正しいのだろう。

 一人の英雄が我慢して戦場に立ち続けることで、国に平和がもたらされるのならば、その英雄を担ぎ続けた方が良いに決まっている。


「でも、それは……。シュロをいけにえに捧げることと、同義ですわね」

「うん……」


 トリニティとヴィクトリアは、シュロのあこがれを知っている。少年の性質を、気持ちを、望みを、知ってしまっている。 

 国の防衛は大切だ。シュロ戦場に引き戻さなければ、巨人族に国土を蹂躙じゅうりんされる可能性がある。


 そのジレンマを、ヴィクトリアは鼻で笑う。


「そもそも、シュロをいけにえに捧げなければ得られない平和なぞ、最初から破綻していたのですわ。あの胸糞悪い女の言葉には、まったく賛同できませんことよ」

「……私初めて、あんたのこと、頼もしいと思ったかも」

「おほほ、もっと褒めてくれてもよくってよ」


『ともかく、事態は切迫している。君にも言ったがね、巨人族はあの魔獣――デザストルの封印を解き放った』

『なん……だと……!? デザストルをですか!? ティターニアを八つ裂きにしにしたという、あのけだものを……!?』

『デザストルは着々と南下している。通りがかった村々やダンジョンを壊滅させながらね』

『ッ、国境付近の村人たちは、』

『僕を侮るなよユヴァル・エスト・カイマン! とうに避難指示を出しているさ。しかし国境を超えてくるのは時間の問題だ』

『……』

『ゆえに。僕は強硬手段を取らせてもらうよ』


 強硬手段。トリニティとヴィクトリアは居住まいを正し、さらに強く耳を押し付けた。


『どういう意味だ』

『獲物をこちらから探すのは三流の狩人のすることだ。一流の狩人は、獲物がこちらから飛び込むように仕向ける。そして、飛び込んで来たら――確実に獲物が死ぬような、罠を仕掛けるものさ』

『……ま、さか、あなたが最初から””のは――!』

『んふふ。シュロが今探しているのは、火喰い鳥ランキラの羽だったね? なんと僕はそれを持っていまぁす』


火喰い鳥ランキラ!」

「でも待って、さっきこいつ、罠って言った……! それに、受験者として潜入したって言ってる」


『僕の専門分野は魔術、特に遅効性の呪いが得意だ。これだけ言えば君にも分かるだろう』

『いいえ、大隊長殿。自分にも分かるように説明して下さい!』

『やれやれ。僕が今さっきこしらえたのは、月見ず月の聖眼ウジャト、ダロウの渦巻きスパイラル、そして火喰い鳥ランキラの羽が揃ったときに発動する呪いだ。その呪いが発動すれば、通訳者の――ウサギの獣人ごときの心臓など、飴細工も同然だろう』


「……! ロップが、危ない!」

「なんてこと。火喰い鳥ランキラの羽を手に入れたが最後、通訳者の命が失われる……! 詰みではありませんの!」


『殺す必要はないはずだ!』

『では腕をもげと? それとも足か? うら若き娘の命を奪うのと、両脚両腕いずれかをもぎ取るのと――果たしてどちらが非道なのかな?』

『違う、違う、あなたは論をすり替えている。最初から火喰い鳥ランキラの羽など用意しなければ済むことでしょう!』

 

 最も温厚な手段は、火喰い鳥ランキラの羽をこのダンジョンから消してしまうことだ。それで「シュロを合格させない」という目的は達せられる。

 けれどこの女は、わざわざ火喰い鳥ランキラの羽を用意したあげく、ロップの命を奪うという。


『シュロには反省して貰わないといけないからね。少しばかり強硬な手段を取らせてもらうよ』

『あなたには慈悲というものがないのか!』

『あったら今頃この国は滅びていただろうね? それにしたって――ダンジョン管理人だと? 冗談じゃない、二度とそんなものに挑戦する気が起きないよう躾けてやらねば』

『そのために、獣人の命を奪うとおっしゃる』

『処女のような反応をするなよユヴァル。戦場ではどんな命だって等しく刈り取ってきたじゃないか』


 それで会話は終わったようだ。声は遠ざかり、もう何にも聞こえてこなくなった。

 トリニティとヴィクトリアは、ゆっくりと穴から顔を上げ、呆然と顔を見合わせた。


「どどど、ど、どうする!?」

「おおお落ち着きなさいなトリニティ。まずは、まずはそうね、これを二人に伝えなくては」

「どうやって!? 捕まってんだよ私たち!?」

「冷静におなりなさい! 古今東西、捕まったエルフが脱出のためにしてきたことと言えば、そう、色じかけでしてよ!」

「タルタロスも求婚しなかったエルフの色じかけが通用する相手ってなに? テントウムシとか?」

「冷静になるタイミングはそこじゃなくってよ!?」


 色じかけが通じようと通じまいと、二人はどうにかしてこの情報を伝えなければならない。

 ああでもないこうでもないと脳みそをしぼるトリニティたちに、ダンがおずおずと声をかけた。


「あのー……その情報を伝えるだけで良いのなら、手はあるかもしれませんよ」

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