第31話 切り札

 巨獣デザストルは、ついに目標のにおいを嗅ぎ付ける。

 シュロ・アーメア。ルクトゥン。凄まじい魔力のもちぬし。

 歓喜の咆哮ほうこうが大地を揺らした。


 ダンジョンの入り口に立ち、巨獣を睥睨へいげいしていたヴィクトリアは、呆れたようなため息をついた。


「まったく、嫌になるほどのデカブツですわね」

「ふーん? びびってんのぉ~?」


 にやにや笑いながら舞い降りてきたのは、トリニティだ。幼女の姿ではなく、本来の混合神の姿に戻っている。

 女神らしい豊かな胸、彼女の動きに合わせてたなびく、日を透かしたような赤い髪。

 三対の柔らかそうな翼は、溢れんほどの魔力をたたえて輝いている。


 ちらちらと覗く生足には、深紅に輝く複雑な模様の入れ墨が入っていて、ヴィクトリアはおやと思った。


「お前、力を開放しましたのね」

「わっかるー!? 試験用に混合神の力を封印されてたんだけど、さっき解除させたの」

「そちらの姿の方が神々しくてよくってよ。どうして分体は幼女の姿でしたの?」

「幼女の方が、シュロがかわいがってくれるかなぁ~って思って」

「ロップが童顔ですものね」

「……なんでそこでロップが引き合いに出てくるのよ」

「さあ、どうしてかしら?」

「だぁって、しょうがないじゃん。好きになっちゃったんだもん」

「まあ。混合神も恋ってものをするんですのね」

「だってね、ほんとにかっこよかったんだよシュロ! さっと現れて、ばばばっと敵をやっつけちゃって。……それに、優しかった」

「そうね。あの人は優しい人ですわ。――ルクトゥンをやっていられたのが不思議なくらいにね」


 そうつぶやいたヴィクトリアだったが、ふと表情を引き締めた。


「試験中止の儀式は終わりまして?」

「ううん。試験官の方で術式を作ってる最中みたい。一応私は神だからさあ、こういう契約関連はきちんとしておかないと、あとで祟られちゃうみたいで。別に、無理に試験中止しなくてもいいとは思うんだけど」

「あのデカブツを前に試験続行などありえませんわよ」


 ヴィクトリアは北の方角を指示した。


「ご覧なさいよ、あの巨獣のおぞましさを」


 デザストル。四つ足歩行の、巨大な白い熊。

 その顔は小さく、急所である脳や目を容易に狙わせない。手足は丸太のように太く、筋肉の発達した前脚には、おぞましいほど鋭利な爪が備わっていた。

 さらに厄介なことに、デザストルの魔力炉心は、巨人族によって大幅に改造されていた。

 ほぼ無尽蔵に魔術を使える、と言えばわかりやすいだろうか。それだけではなく、太い毛の一本一本が、微弱ではあるが外敵の攻撃を跳ね返す効果を持っている。


「ってゆーか、シュロ一人にあんなの差し向けるって、大げさすぎじゃない?」

「それくらいシュロが巨人族にとっての脅威だったのでしょう。ま、ついでに国境当たりのダンジョンの一つや二つ、滅ぼせたらラッキーってとこかしら?」

「いい読みだなカスティージャ」

「ウワッ」


 ユヴァルが音もなく二人の後ろに立っていた。さすが黒豹の獣人だけある。


「ちょっと、気配を消して背後に立つのはよして下さる!?」

「む、すまんな。だがお前の言う通り、あのデザストルはシュロだけではなく、ダンジョンの破壊も目標にしているのだろう」

「ダンジョンは魔力の集まる場所……さらに言えば、結界を展開する際のキーでもありますものね」


 国を守るための結界は、魔力の集まりであるダンジョンを結節点として展開されている。

 一つでもダンジョンがなくなれば、結界のバランスは崩れ、守りが危うくなってしまうのだ。


「我らの目標は当然デザストル撃破だが、このダンジョンも守る必要がある」

「それはまあ、そうでしょうね」

「ゆえに。ダンジョン防衛は受験者諸君に任せたい」

「はあ」


 要するに戦っている間、流れ弾が飛んでこないように見張っておけということだろう。デザストルと直接対峙するわけではないらしい。

 ヴィクトリアは拍子抜けしたような顔をしていたが、それでは、とトリニティを見やった。


「この混合神には別のお仕事がある、ということですわね」

「そういうことになるな」


 その後ろから現れたのはマツリカだ。ヴィクトリアとバチバチに火花を飛ばしながら、


「お前には砲台になってもらう」

「ま、そうくると思ってたよ。ダンジョンに流れる魔力を完璧に操ることができるのは、ダンジョンのボスである私くらいだもん」

「ダンジョン管理人の資格を持つものも、ダンジョンの魔力を操縦することができるが――。今は試験中止の術式を作る方で忙しいようだからな」


 作戦を説明しよう、とマツリカは三人をぐるりと見まわした。


「デザストルの体表には、恐ろしい密度の防御魔術が展開されている。一つ一つは小さいが、何万、何十万も重ねられている。あの魔獣を作ったやつは性格がめちゃくちゃ悪いぞ」

「安心なさい、お前の性格も負けないくらいねじ曲がっていてよ」

「黙れクソエルフ。で、この天才魔術師である僕が、あの防御魔術を全て無効化する」

「可能ですの?」

「黙れクソエルフ。僕は天才だ。そして無防備になったところへ、混合神がダンジョンの魔力を全部込めたでかい一撃をぶっぱなし、シュロがとどめをさす。勝つ。終わり」


 トリニティは目をまたたいた。


「えっ大ざっぱすぎじゃないその計画? あのデザストルの弱点とか、効果的な魔術とか、そういうのは!?」

「ない。お前は一番でかい火力でぶちかませばいい」

「ええー……まあやるけれどもさー……」


 トリニティは納得いかない様子だ。

 そこに笑いながら現れたのはシュロだ。ルクトゥンの黒衣の意匠に身を包み、覆面が目以外の部分を全て覆い隠している。

 

「そのカッコだと、他人みたい」

「厳しいな。あいつみたいなでかいのには、ちまちました攻撃は通じない。一度真正面からぶちかまして、よろけたところを追撃するのが一番効率がいいんだ。だから思いっきりよろしくな」

「それは、いいんだけど……」

「ところでロップは? 安全な場所にいるか?」

「大丈夫。ちゃんとダンジョンの中に避難場所を設けてあって、戦えない人はそこに集まってる」

「そっか」


 シュロは安堵したように目元を緩ませた。

 けれどそれはつかの間のこと。すぐに剣呑な気配を帯びて、デザストルの方に体を向ける。


「目標はそろそろ規定ラインに踏み込んでくるんじゃないか?」

「そのようだ。さあ、配置につきたまえ、混合神。作戦開始といこう」


 ユヴァルとマツリカ、そしてシュロが一気に動き出した。




 ダンジョンのなか、防御結界が張られたスペースの隅で、ロップは膝を抱えて座っていた。


「始まったみたいだな」


 誰かの言葉と共に、遠くから大きな地響きのような音が聞こえてくる。地面の小石がからからと揺れた。

 デザストルは思ったより近づいているらしい。きっと今頃、トリニティやシュロたちは果敢に戦っているのだろう。


 何もできないのは今に始まったことではない。自分が荒事に向いていないのは自覚しているし、自分の戦場はここではないことも、分かっている。

 それでもロップは、ここで膝を抱えていることしかできない自分が、歯がゆかった。 

   

「……ん」


 ロップの耳が異変を感じ取る。

 その気配は、外のデザストルやトリニティたちのものではない。

 ダンジョン内からだ。それも急速に接近してきている。

 すぐそばまで、もう、来ている。


「来る、よけてっ!」


 ロップの言葉とほとんど同時に、彼らのすぐ傍の壁から何かが飛び出してきた。 

 ダンジョンの壁をやすやすと食い破った巨体は、そのまま毛のない体でビチビチと跳ねるように進もうとする。


「あ、あれは……」

「タルタロス!? タルタロスがなんでこんなところに!」


 これがタルタロス以外の、意思疎通が可能な魔獣であったなら、ロップも何とかしようと思えただろう。

 けれど相手は、ダンジョンの掃除屋。なんでも喰ってしまう悪食王。

 防御結界を、まるでクッキーでもかじるように、ぽりぽりとかじり始めた。


 にわかにパニックに陥る人々。

 それに踏みつぶされないよう壁の端に寄ったロップは、ふと、かすかな音を聞きつけた。


「?」


 それはタルタロスの中から――正確には、頭部の辺りから聞こえてくる。

 言葉ではない。リリリリ、ルルルル、という虫の音に似ている。その音は規則正しく、執拗に繰り返されている。


「これ――聞いたこと、ある……?」

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