第16話 ヴィクトリアの通訳者
「ひゃうっ!」
ぜえはあと息をしながら倒れこんでいたヴィクトリアの顔に、冷たい水がばしゃりとかけられる。
水をかけたのはロップだった。
「何をなさるの! 乙女の顔にいきなり水をかけるなど言語道断でしてよ!」
「顔が真っ赤。さながら茹でアドラのごとく。ほどよく冷ますが吉でしょう」
そう言いながら、水筒に入れた水を差しだす。
ヴィクトリアは虚を突かれたように水筒を見ていたが、ややあってぱっとそれを受け取り、ごくごくと飲み干す。
喉をすべり落ちる清らかな水は、戦闘で火照った体を冷ましてくれるようだ。
「ぷはぁあっ……!」
「おつかれ。お前はノーコンバカだが、ノーコンなりに戦った」
「ふん。負けは負けですわ。そりゃあもう気持ちいいほどの完敗でしてよ! そもそもあの魔力量、反則じゃありませんこと!? あんだけバンバン魔術撃って息切れもしないとかー!」
「小さいころからめちゃくちゃ鍛えられてたからな」
「ぐぬぅ……くーやーしーいー!」
ヴィクトリア対シュロの戦闘は、当然のことながら、シュロに軍配が上がった。
とは言え、ロップが見てきたシュロの戦闘の中では、一番時間のかかった試合だった。
普段なら一瞬でケリがつくところを、ヴィクトリアは持ち前の剛腕で粘ったのだ。
渇いた布で水をぬぐいつつ、ヴィクトリアは涼しい顔でたたずんでいるシュロを見上げる。
こちらは肩で息をしているありさまなのに、シュロは汗一つかいていない。
「まったく、規格外の強さですわね。おまけに、ダンジョンのボスは既に攻略済みで、自分の使い魔のようにはべらせているし!」
かないませんわー! と叫ぶヴィクトリアは、どこか嬉しそうな顔をしている。
根っから体育会系なのだろう。自分より強い相手を見ると、怯んだり妬んだりするより、喜んでしまうたちなのだった。月見ず月の女神がどこかでため息をついていそうだ。
「いや、お前も結構、想定外だったぞ」
「そうかしら?」
「そうだよ。目つぶし仕掛けて来たり、金的狙うのは、その……思ってたエルフと違うっていうか……」
「私がエルフらしくないのは自分が一番よく分かっていますわ。弓の腕も、仲間に比べれば、ほんのすこぉし落ちますし」
「訂正すべき。ほんの少しとは、若干、わずか、という意味。お前のノーコンはそんなつつましいものではないと断言できるでしょう」
いつになく辛口のロップに、ヴィクトリアはぐぬぬと唇を歪めた。
「根に持ちますのね」
「? 根はない。私は獣人。……根で思い出す。結局ダロウの
「あーそうだったな」
シュロが苦笑する。
せっかくアドラと取引したのも、無駄になってしまった。
だが、川に脚を浸して遊んでいたトリニティが、遠くから叫んだ。
「手がかりはあるよー!」
そう言ってびしゃびしゃの脚のまま、三人のもとへやってくる。
トリニティがロップに手渡したのは、七色に光る一握りの薄い皮だった。
どこかカブの皮のように見えなくもないそれを見て、ロップがはっと目を見張る。
「これはアドラの抜け殻?」
「そう。逃げるときにね、彼らが私の手の中に押し込んでいったの。ロップ、読めそう?」
ロップはその抜け殻を日に透かして見る。
日の当たる角度によって、微妙にその色合いを変える抜け殻には、十分な情報が含まれていたようだ。
「解読成功。ここから小さじ一距離のある、森の中にあると書いてあるです」
「よかった! アドラたち、きっちり仕事はしてくれたみたいね」
「っしゃ、ナイスだロップ! トリニティも手掛かりサンキュな」
「んふー。なでてなでて!」
わしゃわしゃと赤毛を撫でまわせば、トリニティは満足げな子犬のようにむふーっと吐息を漏らす。
そこへきてシュロはふと気づいた。
「……ん? っていうか、ヴィクトリア?」
「なにかしら」
「お前、自分の通訳者、どうしたんだよ?」
ヴィクトリアは思いっきり顔をしかめた。
しまった、触れられたくない、というのがありありと分かって、その分かりやすさにシュロは苦笑する。
「聞いちゃいけないことだったか?」
「んー……まあ、そうですわね」
「通訳者を五体満足で守り抜くのが、試験の課題でもあるんだぞ」
「ええ、その点は抜かりなくてよ。抜かりはその、ないのだけれど……」
観念したように、ヴィクトリアは言葉を絞り出した。
「私の通訳者は、このダンジョンの魔獣の嫁になりましたのよ」
「……は?」
ダンジョンの魔獣の、嫁。
「魔獣の求愛行動が凄まじくて、引きはがせませんでしたの。なので嫁として置いていくことにしましたわ」
「ど、どういうことだ!?」
「と言うか! 私の通訳者、オスですのよ!? オスのサイの獣人が! 娶られましたの! このか弱くも美しい乙女である私を差し置いて! ありえませんわー!」
「サイの獣人とお前を並べた時、サイの方がかわいく見えたからだと確信するでしょう」
「こらロップ! 正論の暴力を振るうのはやめろ!」
「正論!? どこが正論ですの言ってごらんなさいよねぇっ」
半泣きでシュロをぽかぽか殴るヴィクトリアだが、一撃一撃がしっかりと重い。
シュロでさえも、油断するとぐふっと声が漏れそうだ。
トリニティが慌ててフォローに入る。
「ま、まあ確かに、下手に通訳者を連れ歩くより、一か所にいてもらった方が安全かもね」
「で、でしょう? まあその魔獣、ちょっとばかり牙が多くて、なんだか不穏な感じでしたけれど……」
「……牙が多い?」
「ええ。ハダカデバネズミっていますでしょう? 土の中に住んでいて、毛が生えていない代わりに歯が異様に出てるドブネズミみたいな」
「まって、なんかやなよかーん!」
「そのハダカデバネズミの出っ歯が、ものすごくたくさんある、みたいな魔獣ですの」
トリニティは引きつった笑みを浮かべる。
「……それ、多分、
「た、タルタロス? 初心者向けのダンジョンにタルタロスとかどんな無理ゲーだよ!?」
「えっ、えっ? なんですの? タルタロスって、ヤバいやつですの!?」
慌てふためくヴィクトリアに、ロップが静かに解説した。
「タルタロスは上級者向けダンジョンの掃除屋。なんでも食うです。自分の嫁だろうと子どもだろうと、金属だろうと魔力の塊だろうとお構いなし」
「ひいっ」
「でもお腹が弱いので、消化されず排出されることもあるですから、肛門の位置で待ち構えれば、お前の通訳者を出迎えられる可能性あり。ラミアの脳みそ並みの確率ですが」
「そ、それってほとんどゼロに等しいということでは……」
信じられない、といった様子でわなないているヴィクトリアだったが――。
その筋肉まみれの脳みそに、一つのアイデアがわいたのだろう。にんまり、とあくどい笑みを浮かべる。
「私がここへ来たのは、シュロ、お前にカチコミをするためでした。ですが私も鬼ではありませんわ」
「鬼でないなら何なの? ゴリラとか?」
「まあゴリラだなんて、トリニティったら、褒めすぎよ」
「褒めては……まあいいや、続けて」
「ええ、ですから、さっきも言いましたでしょう? お前が探している
トリニティとロップが、じとーっとヴィクトリアを見つめる。
珍しく同じ表情になっている。信じられない、という顔だ。
「――それって、タルタロスの巣じゃないよね?」
「ぎくっ!」
「ぎくって言ったいまーっ! 要するにあんたは、シュロにタルタロスを退治させようとしてるんでしょ! それで自分の通訳を取り戻すつもりなんだ!」
「な、な、なんで分かったんですの!?」
「分からないわけがあるかーっ!」
またぎゃあぎゃあとやり始めた二人を見、ロップとシュロは小さなため息をついた。
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