第26話 魔術師マツリカ

 罠が仕掛けられているならば、罠をかいくぐって、獲物だけ奪い取ればいい。

 

 そう言ったロップが提案した内容は、シュロを驚かせた。


「マジでやんのか」

「本気。冗談は言わない」

「そりゃお前のことだからそーだろうけどさ。……けどまあ、悪くない策だ。罠をかけたのが恐らくあの女でも、引っ掛かってくれるだろう」

「心当たりがある?」

「ある。俺たちを罠にはめたい人間で、かつ金属を身に着けていないとくれば、答えは一つだ。めちゃくちゃえげつねえ魔術師だよ」

「体重はいくら?」


 うぐ、とシュロが言葉に詰まった。


「それ、答えられたらセクハラって言われねえ……?」

「よく聞けスットコドッコイ、お前の名誉は今だけタルタロスにでも食わせとくが吉でしょう。その女の体重は?」

「と言われても、詳細な数字までは……あ。そうか」


 シュロはいきなりロップを抱き上げた。


「ひゃうっ」

「ロップより、五……六キロくらい? は重いと思うぞ」

「測り方に異議がある!」

「まあまあ。で、他に必要な情報は?」

「ない。――そろそろ下ろすです!」

「えー、もうちょっと。腕にロップのもこもこな尻尾が触れてて、めちゃくちゃ気持ちいいでえええっ!?」

「ウサギの! 尻尾に! 触るは! セクハラ!」


 鋭い蹴りがもろに腹に入って、シュロはぐふっとうめいた。そのすきにシュロの腕から逃れたロップは、嫌そうに尻尾をブラシでとかしていた。

 それから二人は、作戦に必要な素材を集めに出かけた。


「必要なのはキンポウゲの花とフェストゥーンの血液、それから柘榴のしぼり汁にミッレフィオリの葉です」

「フェストゥーンってなに?」

「小さな猿に似た生き物です。交渉の難易度は猫ていど」

「それって難しいのか? それとも簡単?」

「あちらの機嫌次第」


 二人は素材集めに出かけた。

 植物は比較的簡単に手に入る。キンポウゲの花にミッレフィオリの葉を収集し、柘榴を三つばかりもぎ取った。


 かなめのフェストゥーンは上層にいる、目の大きな小型の猿だった。

 十頭から二十頭ほどの群れを作っている彼らは、ロップたちを見るなり手を打ち鳴らして盛んに尻尾を振った。

 長い尻尾を複雑に揺らし、たわませ、時に鋭く地面を打つさまを、ロップは真剣に見守っている。

 やがて彼女は自分の耳をひこひこと器用に動かし始めた。その動かし方は、フェストゥーンの尻尾の動きに少し似ていて、シュロはそれでロップがフェストゥーンと「会話」していることに気づいた。


 銀狼には翻訳魔術。アドラには砂を用いた光と色での意思疎通。

 そしてフェストゥーンには、このように体の一部を盛んに動かすことで、言葉を交わし合っている。


 ぴこぴこ、ひくひく、わしゃわしゃと自在に動かされるロップの耳を眺めながら、通訳者ってすごいんだな、とシュロは思った。

 体のつくりも考え方も価値観も違う種族を相手に、自分の持つ知識を総動員して立ち向かう。

 相手を観察し、そこからどうにか意思疎通を試みる、ロップの姿が少しだけまぶしかった。

 ああ見えてロップは諦めが悪い。粘り強く耳を動かしながら、どうにかフェストゥーンと会話できたようだ。

 

「……今日は機嫌がよろしくない。シュロ、なにかキラキラしたものを持ってるです?」 

「キラキラ? 儀礼用の剣とかでもいいか?」

「問題ない。……ってこれ、国王陛下の紋章が刻まれてるですが」

「そうそう、国王からもらったんだけど、なんか趣味じゃないんだよなー」

「……猫に小判、シュロに宝物。国王陛下に小さじ一同情」


 ロップが儀礼用の短剣を差し出すと、フェストゥーンはそれをぱっと奪い取っていった。剣を抜いたりはせず、鞘の意匠や柄に埋め込まれた宝石を、うっとりと眺めている。

 群れの中の一頭が、なにか青い玉を投げつけてきた。ロップはそれを見事にキャッチする。

 その間にフェストゥーンの群れはどこかへ飛び去ってしまった。さかんに鳴き交わしながら、まるで誰かから逃げているように。


「これがフェストゥーンの血」

「青いんだな? っていうか、ガラス製の入れ物に入ってるなんて、凝ってるな」

「フェストゥーンの血は千客万来。魔獣たちも欲しがる代物なので、彼らも渡すのに慣れているです」


 それにしても、とロップは首をかしげる。


「今日はずいぶん怯えていた。好奇心がものすごく強いのがいつもなのに」

「逃げるみたいにどっか行っちゃったしな。まあいいや、それで必要な素材は全部手に入ったんだよな?」

「イエス。ここからは私の腕の見せ所。私の母さんは薬作りが何より得意で誰よりもうまかった」


 ロップはどこか誇らしげに言うと、手慣れた様子で素材を刻み始めた。


 *


 ダンジョンの第六階層。


 一人の女が、カンテラを手に歩いている。同行しているはずの通訳者の姿は、今のところ見当たらない。

 女は軽装だった。赤い短髪を男のように短く刈り上げて、ショートパンツに革のジャケットという、少しパンクないで立ちだ。

 年齢は二十代くらい。赤いリップを丁寧に引いたその唇が、ふ、と弧を描いた。


 さくさくさくという軽快な足音。手のひらに炎を灯しながら、一人の少年が歩いてくる。

 少年は女を認めると、にっこり破顔した。


「どーも。あのさ、ちょっと小耳にはさんだんだけど。火喰い鳥ランキラの羽、持ってるんだって?」

「あんた誰」

「俺はシュロ・アーメア。受験者の一人」

「あっそ。持ってるけど、どうしたいの」

「俺にくれないか。交換といっちゃなんだけど、俺も結構素材持ってるし。あんたが探してる素材を教えてくれ」


 女は警戒するようにシュロを見た。


「――ミノタウロスの聖斧せいふだけど。持ってんの」

「あるよ。ほら。交換してくれるか?」


 シュロはリュックから華憐な花を取り出した。女の目が吸い寄せられるように動く。

 女はしばらく考え込んでいたようだったが、ややあって小さく頷くと、指を二度鳴らした。


 次の瞬間、女の手に赤褐色に輝く羽が現れた。


 火喰い鳥ランキラの羽。喉から手が出るほど欲しい、最後の素材。


 思わず物欲しげに羽を見てしまう。

 あれさえ手に取れば、試験は終了。ダンジョン管理人の試験に合格できる。

 手にかいた汗をそっとズボンになすりつけながら、シュロは女に一歩近づいた。

 女は鋭い声で言う。


「近寄らないで。そこから素材を投げて。同時によ」

「分かったよ。だからそんな怖い顔すんなよ」


 苦笑しながらシュロは、女の方を見た。


「せえの」


 ミノタウロスの聖斧せいふがシュロの手から離れる。彼の展開したささやかな風の魔術が、美しい花を女の手元まで運んでゆく。

 そして、ぎらぎら輝く火喰い鳥ランキラの羽に、手を伸ばす――。

 女のまなざしがぎらつく。投げられたミノタウロスの聖斧には目もくれず、食い入るように羽を、シュロを、見ている。


 その瞬間、何かがちくりと女の手を刺した。


「っ」


 微かな痛みに目を瞬かせる。だから彼女は大事な瞬間を見損ねる。

 放射線状を描いて投げられた火喰い鳥ランキラの羽が――シュロの手に――ではなく、地面にポトリと落下する瞬間を。


「なぜ……ッ、あ!?」

 

 女の心臓がどくんと跳ねる。脈拍が一気に速まり、全身が燃えるような熱さに苛まれる。

 心臓と気道がぎゅうっと締め上げられたかのように苦しく、立っていられない。地面にうずくまり、すがるように土をひっかく。


「あ……ッぐ」

 

 とっさに女は手のひらに治癒の魔術陣を展開し、それを自分の心臓に叩き込んだ。心臓を止まることを防ぐための応急処置でしかないが、少しだけ呼吸が楽になる。

 しかし状況はかんばしくない。


 女は自分にかけた変身魔術が解けてしまっているのを自覚した。

 魔術が解けたそばから現れるのは、地面にこぼれる長い黒髪。それから戦うことなど知らないような華奢な手足。


 シュロはゆっくり女に歩み寄った。


「久しぶりだな。マツリカ」

「……やあ、シュロ」

「金属を帯びていない女、っていうから、なーんとなくぴんときたんだよな。お前はそういうの徹底してたし」

「そう、かい」


 絞り出すような声は痛みに満ちているが、それでもそれを隠そうとする意地があった。

 マツリカの変化の魔術はすっかりとけ、彼女本来の姿に戻ってしまっていた。

 長い黒髪、刺しゅう入りのノースリーブのワンピースに、同じく刺しゅうの施された薄いスリッポン。

 黒曜石のように黒々と濡れた目は、屈辱を帯びてシュロを睨み上げていた。

 

「五分三十秒。許せる時間はそれきり」


 涼しい声が響く。

 シュロの背後から現れたのは、ウサギの獣人――ロップだ。


「お前に打ち込んだのは毒。神経にきく。いずれ血の流れがゆっくり止まり、五分三十秒後に死ぬ」

「ッ、貴様」

「さあ残りは五分ぽっち。お前はその間に、自分でかけた罠を外すが吉でしょう。そうすれば、解毒剤をあげるです」


 罠にかけたはずのウサギが、いつのまにか罠の外で自分を見下ろしている。

 その事実に、身の毛もよだつような怒りを覚えながら、マツリカははいつくばっていた。

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