第25話 キノコの胞子
ダンジョン管理人の試験官は、
その足元では、彼の使い魔である大鷹が、息も絶え絶えに治癒魔術を受けていた。
「ふむ。……デザストルが出現したというのは、ほんとうですか」
『せやで。ったく見てやこのひどいありさま! うちの自慢の翼、バッキバキに凍らされてしもたわー! これでここまで飛んでくるの、むっちゃくちゃ大変やったんやからね!』
地面に大きく翼を広げた
ほうほうのていで戻ってきた彼女が告げた報告は、その場にいた人間を混乱の渦に
『模擬ダンジョン「デミ・ヴィラーズ」から百二十キロの地点に、巨獣デザストルが迫っている』
その報告は、先ほどから検知している、ひどく巨大で禍々しい魔力反応によって裏付けされている。
しかもどうやらデザストルは「デミ・ヴィラーズ」を目標として、一直線に南下しているようなのだ。
部下は困ったように進言した。
「当然、試験は中止になさいますよね?」
「えー、あー……そうしたいのはやまやまなんですがねえ。ダンジョンのボスである混合神が、中止を受け入れないのですよ。二時間前に話したきり、こちらからの連絡を受け付けなくって」
「か、彼女の承諾がなければ、このダンジョンを閉じることはできませんよ!」
「ああ、いやまあ、できなくもないです裏技があります。まあその場合このダンジョンは、七代に渡る神々の呪いを受けることになりますけどねえ」
彼らは、トリニティの分体が、ユヴァルたちに捕らわれていることを知らない。
ユヴァルを通じてトリニティに話せば、可能性はあったかもしれないが、とにかく情報が少なかった。
相変わらずののらりくらりとした試験官の喋り方は、部下をいらつかせていた。彼らが片づけなければならない問題は、デザストルだけではなかった。
「困ったことに、今このダンジョンの中には、かつての英雄シュロ・アーメアと、彼を追ってきた国王軍のお
「国王軍の連中は、シュロ・アーメアさえ確保できればどうでもいい、と言っていましたが……。この状況ではそれさえ危ういのでは?」
「最善を尽くす他ないでしょうねえ」
「最善、と言っても……」
「――これは万が一、万が一の場合ですがね? 試験が中止できず、この模擬ダンジョンが閉鎖できないとあれば」
「あれば?」
試験官は、今までの
「我ら試験管理委員が全力を
*
場所は変わって、ダンジョン内。
トリニティたちが捕らえられている牢屋では、通訳者ダンに詰め寄る混合神とエルフの姿があった。
ダンの手のひらには、見落としてしまいそうなほど小さな赤い光が浮かんでいた。
「これが――私たちの言葉を、シュロやロップに伝えてくれますのね」
「はい。これはダンジョン内の至る所に散らばっている胞子で、ラプサンというキノコのものです」
「でも、こんな小さな胞子が、私たちの言葉を伝えられるの?」
「そうですね、理屈はトリニティ様と似ています」
私? と、トリニティは自分を指さして首をかしげる。
「はい。胞子たちは、自分が得た情報をラプサン本体に送り、ラプサン本体はその情報を元に行動、あるいは胞子たちに指示を飛ばします。これはトリニティ様の本体と分体の関係に似ているかと」
「確かに。私の本体は第十階層にいるけど、私という分体を通じて、外の情報が入ってくるようになってる。キノコにも同じことができるとは思わなかったけど!」
「ということは、お前はその胞子に、ロップとシュロへの警告を入力するわけですわね」
「ええ。この胞子には情報を入力するための起動呪文があります。それを使えば、ラプサンを通じてダンジョン全体に警告を行き渡らせることができる」
この胞子を使う連絡手段は、元々通訳者たちの間で、広く使われてきたものだという。
通訳者は雇われてダンジョンに潜る身だ。雇い主によっては、通訳者の身の安全を保証しなかったり、ひどいときは通訳者を盾にすることもある。
だからこそ、通訳者たちはお互いを守るために、危険な場所があればこの胞子を通じて、後続の通訳者に情報を与えることにしているのだ。
「なるほど。狩りのマナーに似ていますわ。同業者間の助け合いというわけですわね」
「はい。ですから普通の通訳者は、ダンジョン内では常にこの胞子を確認する癖がついているはずです」
ただし、とダンは付け加える。
「そのロップとかいう通訳者が、用心深く、何事も見逃さない目と耳を持っていればですが」
「だいじょーぶ! 用心深さなら、ロップは折り紙つきだよ。彼女なら間違いなく、胞子に気づくはず!」
「分かりました。では胞子にその情報を入力します。何と伝えましょうか」
「『
ダンは頷くと、胞子に向かって指文字を作った。
サイの獣人にしては
その文字に呼応するように胞子の光が強くなった。ぱあっと強くなったかと思うと、夜空に散りゆく花火のように光を失う。
「これでラプサン本体に情報が行きました。ラプサンから、ダンジョン中にある胞子にこの情報が行き渡るはずです。そうしたら胞子が強く光りますから、よく見ている通訳者ならば気づくでしょう」
「ロップなら必ず気づきます。大丈夫ですわね」
頼もしい口調で言い放ったヴィクトリアは、さて、と腕まくりを始めた。
「それはそれとして、いつまでも囚われているのは性に合いませんわ。ここを脱出する術を見つけましょう!」
「え、さっきもあれだけ殴ってだめだったのに、まだ続ける気?」
「『三回は殴ってからが本番』が我がカスティージャ家の家訓でしてよ!」
おほほ、というヴィクトリアの高らかな笑いが、牢屋内にこだました。
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