第28話 ハルシナとロップ


 一年前、豪雨の日のことだった。

 降りしきる雨のなか、シュロたち国王軍は人里離れた山道を歩いていた。彼らは国境付近の村の防衛戦に勝利し、今から街へ帰るところだった。


 偵察に出ていた兵士は、戻ってくるなり首を振った。


「ルクトゥン様! やはりだめです、こちらの道も土砂崩れで通れません」

「そうか。雨宿りするしかないな」

「それでしたら、近くに良さそうな洞窟がありました」


 兵士に案内された洞窟は広く、乾燥していて、雨宿りにはもってこいだった。

 しかし誤算だったのは、洞窟の奥に先客がいたことだろう。


 傷ついた魔獣や獣人たち、泥まみれ、濡れみずくで呆然と座っている魔術師や、戦士もいる。

 何があったのか聞いてみると、どうやらこの近辺のダンジョンが崩落したらしい。この洞窟はそのダンジョンと繋がっているため、そこにいた者たちが慌てて避難してきたのだという。


「ダンジョンの崩壊ですか……! ったく、ダンジョン管理人は何をしていたんでしょうかね?」

「……奥に、怪我人がいるようだが」

「ああ、獣人や魔獣ですよ。あまり近づかれない方が良いかと。あなたがルクトゥン様だと知れたら、助けを求められるかもしれません。そうなったら際限がありませんから」


 シュロたちの任務は村の防衛だ。通りすがりの魔獣や獣人を助ける義務はない。

 兵士の言うことはもっともなのだが、その言葉をするりと飲み込めず、シュロは口ごもった。けれど上手い言葉が出てこないまま、部下たちによって、洞窟の一番乾いた居心地のいい場所に座らせられる。


 先程の戦闘を頭の中で反芻はんすうしながら、シュロはふと、この場所は、傷ついた獣人や魔獣に譲ってやった方が良いのではないか、と思う。

 けれどそれは激流に流される木の葉のように、すぐに頭から消え去ってしまう。


 あの時の太刀筋は良かったが、返す刀で敵の攻撃を受け止め、そのまま地面にねじ伏せれば、一手早く相手を殺せた。

 それにもう一歩踏み込んでいれば、そもそも相手を即死させられたはずだった。こういう一歩の出し惜しみが、手数を増やし、疲労に繋がり、敗北への道を築くのだ。


 ずっと考え込んでいたシュロは、だから、気づけなかった。


 ダンジョンの入り口にたたずむ大女と、小柄な獣人の姿に。


「なァーにをだらだらと座り込んでんだ、このスットコドッコイ!」


 声は洞窟中に響き渡った。皆がはっと顔を上げる。


 まず目に入るのは、金髪の大柄な女だ。修道女の服装に身を包んでいるが、ちっともつつましそうに見えないのは、その派手な美貌といで立ちゆえだろう。

 年の頃は二十代後半、服越しでも分かる筋肉質な体は、彼女が戦闘に長けていることを如実に示していた。


 その横にはウサギの獣人の少女がいる。十二、三歳くらいだろうか。まだ子どもだ。

 けれど黒目がちの目には、子どもらしい怯えは見えない。女と同じように、何かを検分するように周囲を見回している。


「怪我人がいるのが見えないのかアホンダラめ! とっとと立って、その場を譲りな!」

「無礼者! 我らは国王軍だぞ!」

「国王軍だろうと何だろうと、ダンジョン内にいる間はこのあたし――ダンジョン管理人の言うことに従ってもらうよ、このマヌケどもが!」


 言うなり女はずかずかと入り込み、シュロたち国王軍の兵士を無理やり立たせた。


「あんた衛生兵だね? ちょっと手伝いな、そこの覆面のあんたもだよ!」

「控えろ女! このお方は、お前ごとき足元にも及ばない――」

「いや、構わない。俺でよければ手を貸そう」


 座り込んでいると、さっきの戦闘だけでなく、今まで繰り広げた全ての戦いを思い出してしまいそうだったので、シュロは女の言葉に従うことにした。

 女は怪訝そうにシュロを見ていたが、満足げににまっと笑う。なつっこい大型犬のようだった。


「いいねえ、素直な子どもは大成するよ。あたしはハルシナ。さ、ついてきて」


 ハルシナはシュロと獣人の少女を連れて、怪我人の方へ向かった。


「ロップ! ~~~~~~、~~~~?」

「~~! ~~、~~~~」


 ロップというのが少女の名なのだろうか。ハルシナは少女に獣人の言葉で何事か指示すると、シュロを伴って洞窟の奥の方へ向かった。

 しかし僅かしか進めなかった。

 通れそうな道は全て岩石に埋もれてしまっていた。

 

「うーん、これは大崩壊だね。ダンジョンの再起動には時間がかかりそうだ」

「大崩壊?」

「最近多いんだ。北方の巨人族とでかい戦争があっただろ? あのせいでダンジョンのボスたちが倒れっちまった」

「ダンジョンのボスが死ぬと、そのダンジョンは死んだようになるからな」

かなめがなくなりゃ、ダンジョンもぐらつくのは当然さね。そのうえ、魔獣たちの食うもんがなくなって、結構な数の魔獣がダンジョンになだれ込んできたのさ。……ああ、やはりな」


 ハルシナは崩れかかった壁に触れる。指先には、白い結晶のようなものが付着していた。


「塩だ。この塩を舐める魔獣がいるんだが、そいつらが一気に増えたせいで、ダンジョンの壁がすり減って崩れっちまったんだろう」

「そんなことがあるのか」

「あるんだよ。この近辺にもう一か所、塩がとれる洞窟があったんだがね。巨人族に壊されちまった」

「そうか。でもそのくらい、放っておいてもいいんじゃないか」

「それはできん相談だな。ダンジョンの生態系は、あたしら管理人でも、正直よく分かっちゃいない。だが、それを疎かにすると、ダンジョンは崩壊する。ダンジョンが崩壊すれば、魔力の源が一つ消える。魔力の源が消えれば――」

「国が亡びる」

「そういうこと」


 ハルシナは崩落の状況を確認しながら、シュロに尋ねた。


「あんた、見たところものすごい剣士のようだが――魔術は得意かい?」

「ああ」

「例えばこういう岩を一つ一つ持ち上げたりする魔術も使える?」

「一つずつ? 一気に持ち上げることはできるが」

「それじゃだめだ。生き埋めになったやつを助けるには、一つ一つ岩をどかしていくしかないんでね」


 一つ一つの岩をどかす?

 それは非常に気の長い作業のように思えて、シュロはげんなりした。


 その背中を、ハルシナがズバンと叩く。


「救助作業が終わらないと、ダンジョンを再起動できないのさ。大丈夫、そんな顔しなさんな。なんといってもあたしたちにはロップがいるからね」

「ロップ? あの獣人の少女か」

「そう。あの子はウサギの獣人の中でもずば抜けて耳がいい。それに肝も据わってるし頭もいい、最高のパートナーだ」


 にんまりと得意げに言ったハルシナは、大股で洞窟の入り口に戻った。

 そこでは怪我人や魔獣たちが寝かされ、衛生兵や比較的軽傷な魔術師たちが、その治療にあたっていた。

 驚くべきことに、ハルシナはすれ違う獣人や精霊と、それぞれの言語で会話を行っていた。


「ぜ、全部の言葉が分かるのか」

「んー、ま、困らない程度には。昔色んな所を旅して覚えたのさ」


 チッチッという舌打ちで、ハイエナの獣人と言葉を交わしたハルシナは、遠くの方でぴょこぴょこはねている少女の名を呼んだ。

 

「ロップ! トリアージは終わった?」 

「イエス。~~~~~、~~? ~~~」

「あーだめだめ、人間の言葉を使いな。お前、通訳者になりたいんだろ。練習せにゃあ」


 ロップはうぐう、と顔をしかめ、それから絞り出すように言った。

 

「ししゃ、は、こさじいち。けがにんは、おおさじだから、へいし、まじつし、きょうりょくをうけて、ちりょう」

「分かった。何か必要なものは?」

「あー……うなずかない、まじつし、れんきんじつしが、いるです」

「ん? うなずかない?」

「わたし、たすけて、いった。ちょっとのまじつし、れんきんじつし、うなずかない」


 非協力的な人間が少数だがいるということなのだろう。

 ハルシナは頷き、不敵な笑みを浮かべた。


「非協力的なヤツには、ちょおっとばかしおきゅうをすえてやらにゃあね! あとはあたしが取り仕切る。ロップ、あんたは生きてる人間がいないか探してきておくれ。その子と一緒に」

「イエス。おまえ、わたし、ついてくる」


 そう言うと、ロップは洞窟の奥に駆けだした。ウサギらしいすばしっこさで、慌てて追いついたシュロも、気を抜くと置いて行かれそうだ。

 ロップは道をふさぐ岩石の前に立つと、その垂れた耳をひこひこさせながら、ぐっと身を乗り出した。


「……? おまえ、しんぞう、おと、……つよい?」

「ん? 俺の心臓が、強い?」

「つよい、ちがう。はやい……こわい?」


 うまい言葉が見つからなかったのだろう。ロップは首を振ると、再び聴力に意識を集中させる。

 そこでシュロはふいに気づいた。

 ロップは、心臓の音で生存者を聞き分けている。

 崩れ落ちた岩の前で、必死に耳をそばだてて、一人でも多くの人間を救おうとしているのだ。


「……! こっち、しんぞうのおと、きこえる」

「上の方だな。埋まっているのは獣人か? 魔獣か?」

「にんげん。はやく! でも、いわうごかす、ゆっくり」

「無茶言うなあ……!”紫陽花あじさい”一千展開!」


 シュロは魔術の威力を慎重に調整しながら、ロップの指さす岩を一つ一つどかし始めた。

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