第27話 敗北

『マスター、こっからでも見えんで、あの巨獣』

「上空からではいくらでも見えるでしょう。それにしても、お前はのんきですねえ」

『マスターの使い魔やもん、そらのんき者にもなるわなあ』


 ダンジョン「デミ・ヴィラーズ」入り口前。

 両腕に翼をもつ使い魔の女が、試験官の肩にしなだれかかりながら、くつくつと笑っている。デザストルから受けた傷は完治しているようだった。


 巨獣デザストルは「デミ・ヴィラーズ」から八十キロの位置まで接近してきていた。まだ目視はできないが、巨獣に追われた森の生き物たちが、こちらまで逃げてきている。


『な、な、やるんやろ? マスターのアレ、見られるんよなあ?』

「何を浮かれているんですか。前に使ったのは五年も前ですよ、上手くいくといいんですがねえ」


 と言いながらも、試験官は地面に黙々と魔術陣を描き続けている。

 この世の魔術の九割は、詠唱によって展開される。だが、詠唱と魔術陣の描画を組み合わせれば、より複雑で高度な魔術を使用することができる。

 試験管が使おうとしているのはその魔術だ。円環の中に描かれた、様々な動植物の意匠は、彼の使い魔をも魅了する美しさに溢れている。


『ねえねえマスター、もうええのと違う? デザストルは射程圏内や、なあなあ、もうええやろー!?』

「……そうですね、そろそろですかね」


 試験官はよっこらせ、と魔術陣の中央に立った。その上空に使い魔の女が飛翔し、巨獣デザストルの方角を睥睨へいげいする。

 詠唱は静かに始まった。

 

「『火は来たり、夜は去りゆき、暁は眠る。凪は死に絶え、冬はほとばしり、月は闇夜に落ちるだろう』」


 魔術陣がぼうっと青白く光り始める。その光は詠唱と共にどんどん強さを増し、上空に魔力の塊を作り始めた。

 使い魔の女はけらけら笑う。雷のような音を立てて轟く主の魔力に心地よさを覚えながら、魔力の照準をデザストルに合わせる。


『照準、合わせ――。入射値5-5-9、修正』


 慣れたものだ。使い魔も試験官も、ダンジョン管理人として、ダンジョンを荒らす自然災害や巨獣に、幾度となく鉄槌を振り下ろしてきた。

 今回もこの魔術で撃破できると、誰もが信じ切っていた。


 やがて魔力の塊が形を取り始める。地面に描かれた魔術陣が浮かび上がり、八重にも九重にも重なって、魔術の威力を底上げしてゆく。


 ――現われたのは、燃え盛る隕石の群れ。ほとばしる流星群。


「『星々よ――たけり、全てを焼き尽くせ!』」


 それはまるで、隕石の塊が空から剥落はくらくし、巨獣の上に落下するようだった。

 凄まじい魔力量が重力の力を借りてデザストルに降り注ぐ。地面を耕すすさまじい音は、国境を越えて巨人族の街にも届いたことだろう。

 

 しかし。


 使い魔の女が、能天気な声で叫んだ。


『……うひゃー。何なんあれ、流星群食らってもびくともしてへんやん!』

「観測部隊!」


 試験官は部下にデザストルの状況を観測させる。

 返ってきた答えは、彼らを絶望させるに十分すぎる内容だった。


「目標、デザストル――損傷軽微です! 傷ついた様子がありません!」

「……あの熱量を食らって、傷がつかないということはないでしょう。ということは――厄介な防御魔術が展開されているのですかね」

 

 冷静に判断を下した試験官は、少し考えてから指示を飛ばした。


「ダンジョン内にいるユヴァル氏に通信魔術で連絡を。国王軍に出て頂かねばならなさそうだ」


 

 *



 ロップは火喰い鳥ランキラの羽を遠くに蹴り飛ばした。

 万が一にもシュロの手に渡ることがないように。ロップが死に、シュロが試験に落ちることのないように。


「――あれは、罠なんだってな? マツリカ」

「はっ……。なんの、ことかな」

「とぼけるな。俺が三つの素材を手に入れた瞬間、ロップが死ぬ呪いをかけたのは、お前だろう」


 シュロの口調はあくまで優しい。けれどその声が、先ほどよりずっと重いことにロップは気づいた。

 怒っている。それも、今まで見たことがないくらいに。


 かつて共に戦場に立ったマツリカは、この声を嫌と言うほど知っていた。

 この状態のシュロに逆らえば、指の一本や二本、即座に切り落とされるだろう。


「ふはっ。……情報を漏らしたのは、ユヴァル、か?」

「ユヴァルは軍人だ。大隊長の命令には逆らわない。あいつじゃない」

「は、ならば、ダンジョンのボスが、なにかの手段で、入れ知恵したか……」


 その言葉は半分は正しかった。

 ヴィクトリアとトリニティが、ラプサンの胞子に託した警告。

 『火喰い鳥ランキラの羽は罠。入手した瞬間、ロップの心臓が止まる』

 それは毒を作るための素材を集めていたロップの元に、確実に届いたのだ。


 シュロは返事をせず、ただ呆れたように、


「っつーかその手口、お前が巨人族の大隊長を呪い殺した時と全く同じだろーが。手口を知ってる相手に同じ罠を仕掛けるなんて、魔術師マツリカも鈍ったな?」

「違いない……! しかし、意外だった、な……。英雄たる君が、同僚に、毒を盛るなど……くはっ! まるで、悪役のようじゃあないか?」

「意外か? ――俺は、自分を英雄だなんて思ったことは、一度もないけどな」


 そう言うとシュロは剣をすらりと抜き、その切っ先をマツリカの首筋に押し当てた。

 シュロ、とロップが押し殺した声で呼ぶ。シュロは応じない。マツリカもまた、顔色一つ変えることなく、かつて同じ戦場に立った少年の刃を受け入れている。


「呪いを直ちに解除しろ」

「――残念だよ、シュロ」

「何がだ」

「ああ、ほんとうに、残念だ。君は同じ戦場に立った僕を、見くびりすぎだ」

「……どういうことだ」


 憤怒ふんぬの音が、ロップの全身をびりびりと震わせる。

 マツリカは引きつった笑い声をあげた。


「この僕が! 解除できる呪いをかけると思うのかい?」

「な……んだ、って?」

「解除できる呪いなんて、僕から言わせれば隙だらけで穴だらけのクソみたいな作戦でしかない。いいかシュロ、呪いの焦眉しょうびとは、最も美しく強い呪いとは、かけた本人にさえも御することのできない、制御不能の暴れ馬の形をとるものだ!」


 滔々とうとうと語るマツリカの声は、狂気にひきつっていた。心臓の痛みがそうさせるのか、それとも彼女の魔術師たるプライドがそうさせるのか。

 シュロは反射的に剣を握る手に力を込めた。その腕にロップがすがりつく。

 

「斬ってはだめ、シュロ、だめです!」

「そんなの嘘に決まってる。マツリカ、長引けば長引くほどお前が不利になるだけだぞ。解除すれば今すぐ解毒薬を打ってやる」

「あっははははは! 思い出してみろよォ、巨人族の大隊長を殺した時だって――解除はできなかっただろ? だから戦闘が有利に働いたんだろ!?」

「嘘だ、……嘘だ!」


 嘘なものか、とマツリカは絞り出すように言った。


「これは小手先の嘘なんかじゃない。僕の魔術師のプライドにかけて、解除できる中途半端な呪いなど、作るものか」

「……」

「分かるだろ? だいたい、僕に嘘をつくメリットは、ない。呪いを解除して、解毒薬を打ってもらわなければ、死ぬのだから」

「それさえも駆け引きかもしれない。お前のことだ、何にでもきく万能解毒薬を持ってるとか……!」

「ふ。ふふ。毒を盛られるなんて、想定もしていなかった、のに?」


 シュロは祈るように目を閉じて、それから。

 剣を静かに鞘に納めた。


「シュロ……」

「俺の負けだ」

「でも、でも、まだ何か、方法があるかもです……!」

「マツリカはこの国一番の魔術師だ。こいつの呪いを解ける奴なんかいないよ」


 疲れたように、傍らの岩に腰を下ろすシュロ。


「ロップ、悪いけど解毒薬渡してやってくれないか」

「……」


 ロップは涙型の赤い石を懐から取り出すと、地面に這いつくばっているマツリカの口に荒々しくねじ込んだ。


「お前に盛った毒は、死なない毒。解毒薬はそもそも不要だが、これを飲めば治りが早くなるでしょう」

「は……ったく、シュロ、お前はどこまでも甘ったれたやつだな」

「そうだな。ほんとうに、そうだ」

  

 どこか呆けた顔で答えるシュロを見かねて、ロップは彼の横にちょこんと座った。

 火喰い鳥ランキラの羽を手にした瞬間、ロップは心臓を潰されて死ぬ。通訳者が死んだシュロは、自動的に試験に落ちる。

 

 ゲームオーバーだ。終わりにしてはずいぶんと呆気ない。

 あがいたのに、頑張ったのに、結局シュロはまた戦場に戻るしかないのだ。

 

「私の心臓が二つあれば、良かった」

「ん? んー……。いや、あったとしても、火喰い鳥ランキラの羽は手に取らないよ」

「どうして? 心臓が二つあったら、一つくらい、つぶれてもいい。お前のために」

「新しい口説き文句だなー」


 シュロはまぶしそうにロップを見た。

 何か言いたそうに口を開けては、言葉を見失ったようにあいまいに笑う。


「なんです?」

「……最後だから、言っても許されるかな。俺がダンジョン管理人を目指すほんとうの理由」

「ほんとうの理由? あこがれた人がいると聞いたですが、違う?」

「あこがれた人がいるのはほんと。で、そのあこがれた人っていうのはさ――お前なんだよ、ロップ」


 そうしてシュロはぽつぽつと語る。

 一年前、初めてロップと会ったときのことを。

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