第32話 窮鼠、熊をも噛む


「『道の長手を御先みさき御後みあと厳かに刺し固め、我が斎宮に真榊まさかきさしたて千旗ちはた五百旗いおはた振り奉らん!』」


 マツリカの詠唱が朗々と響く。

 彼女の魔術はレベルが違う。言葉の一つ一つが濃密な魔力をまとっており、高密度な魔術陣を出現させる。

 十重二十重に展開された魔術陣が、デザストルの全身を包み込む。


「『最後いやはての別離を奉る、杠葉ゆずりはの露の白玉に、血の穢れをば吸い奉れ』――その厄介なバフを、僕が剥がしてやるっ!」


 デザストルの全身を真っ赤な火花が覆う。

 巨獣の体に仕込まれた魔術と、マツリカの弱体化の魔術が、激しく反発しあっているのだ。


 マツリカは宙を掴むようにしながら、魔術陣に流し込む魔力を微調整している。

 何しろデザストルの体に展開された防御魔術は数が多い。それを一つ一つ認識し、潰さなければならないのだから、魔力と共に精神力も必要だ。

 その冷ややかな美貌が、歪んだ笑みに彩られた。


「ああもう、こんなデカブツに何百万もの防御魔術を仕掛けるなんて! 作ったやつらの理性を疑うね!」


 その頃、シュロとユヴァルは、森の中をデザストルに向けて疾駆していた。

 通信魔術――近距離であれば、互いの音声情報をやり取りできる――越しに、マツリカの狂喜とも罵声ともつかない声を聴きながら。


「マツリカ、ちょっと苦戦気味か?」

「数が多いのだろう。少し時間がかかるかもしれないな」

「ちょっとアシストするか」


 何気なく言って、シュロは地面を蹴り、デザストルに接近。

 彼の剣先が青白い光を宿す。


「”撫子なでしこ”三千展開」


 周囲の魔力が凝縮する。その魔力量に反応したデザストルが、シュロを認めて歓喜に吼えた。

 地面を轟かすそのわめき声に、シュロは眉をひそめる。


「うるさいな」


 冷たく吐き捨てたシュロは、魔術を展開した剣を振りかぶった。

 が、その手がぴくりと震える。


 デザストルは後ろ足でのっそりと立ち上がっていた。全身にマツリカの魔術陣をまといながら、ゆっくりと立ち上がる様は、どこか天龍種ドラゴンの気高ささえ感じさせる。


 ――巨大な力。人など足元にも及ばぬような、莫大な何かがある。


 シュロの鍛え上げられた五感は、デザストルの体内で急速に凝縮する魔力の反応を感じ取った。

 

「何か来る! 全員防御態勢!」


 言いながらシュロはデザストルのすぐそばまで近づいてゆく。


「”鳳仙花ほうせんか”、”紫陽花あじさい”――八千展開!」


 シュロが防御術式を展開するのと、デザストルが魔術陣を展開するのはほとんど同時だった。

 デザストルの白い腹の上に、黒い魔術陣が何重にも展開されてゆく。五十層は下らないだろうその術式に、異様なほどの魔力が集まってゆく。


 それと正対するように、シュロの赤く輝く魔術陣が展開された。

 二つの魔術を重ねがけしたそれは、魔力をたたえてうなりを上げている。


『オオオォ……グルォオオオオオオオオオオ!』


 凄まじい遠吠えと共に、デザストルの魔術陣がいっそう強く光り、そして――。


 黒い光線が放たれた。

 目標は、トリニティたちが守るダンジョン。


「させるか……ッ! ”鳳仙花ほうせんか”――重ねて八千展開!」


 あっさり食い破られた防御術式を、もう一つ重ね、さらに暴風を巻き起こす”紫陽花”の魔術で、照準を少しでも上にずらそうと試みる。

 

 けれどデザストルの放った魔術は、異様なまでの強度で、それさえも貫通した。

 黒い光線は、うなりを上げて回転しながら、そのまま――。


 ダンジョンの上部を打ち砕いた。



 *


 

 トリニティは、出自だけ見れば大した混合神ではない。

 土着神としての女神に、獅子の魔獣、猫の精霊を合わせた、戦闘能力の低い混合神だ。

 けれど彼女は農夫たちを守り恵みを与える女神であり、ダンジョンの支配者であり、そして。

 弱きものを助ける獅子の心ライオンハートを持ったおんなだった。


 ダンジョンに向けてデザストルが魔術陣を展開してから、実際に攻撃が放たれるまで、若干の猶予があった。

 その間にトリニティは、今使える魔力を全て防御に回した。ダンジョンの魔力を用い、そこに自分の魔力をありったけ注ぎ込んだ。


 それでも防ぎきれるものではなかった。けれど威力を殺すことくらいはできるはずだ。


「どうか……どうか、全壊だけは……!」


 トリニティの展開する魔術が、花のように開いてゆく。光線を迎え入れた赤い花弁が、はらはらと散り落ちてゆく。

 健闘は、した。けれど黒い光線は、獅子の花を踏み散らし、そのままダンジョンの上部を穿った。


 ダンジョンが倒壊する音が響く。直撃こそまぬかれたものの、上半分を完全に打ち砕かれてしまった。

 内部はひどいことになっているだろう。けれどそれを確かめる間もなく、トリニティの体は光線に巻き込まれ、左の翼を焼かれたまま地面に落下した。


 否、落下しかけた。


「え……?」


 地面に叩き付けられることを覚悟したトリニティだったが、痛みの代わりに暖かな腕が与えられて、驚きにまたたく。

 ヴィクトリアだ。彼女の両腕がしっかりとトリニティを抱きとめている。


「なんですのあれは、威力がバカすぎませんこと!?」

「だ、ダンジョンは? ヴィクトリア、ダンジョンはどうなってる!?」

「上半分が見事に吹っ飛んでますわね。シュロが軌道をずらさなかったら、そしてお前が防御魔術を使っていなかったら、更地になっていたところですわ」

「う、上半分……。だめ、どうにか、再構築しないと……!」


 トリニティはヴィクトリアの腕の中でもがく。

 しかし魔力を使い切った彼女の体では、ろくな抵抗もできず、暴れる猫をなだめるように抱きすくめられてしまう。


「その翼ではろくに戦えないでしょう。大人しくなさい」

「ちがう、違うの、ダンジョンは……。ダンジョンは、全てが正常に稼働している間でないと、その魔力を使うことができない」

「……なるほど。デザストルはまずこちらの砲台を潰しにかかったというわけですわね」


 本来の作戦であれば、ダンジョンの魔力でもってデザストルに攻撃をぶちこみ、足止めする予定だった。

 けれど今の攻撃でそれが不可能になったということだ。デザストルは歩みを止めず、このままダンジョンへ突っ込んできそうだ。


「ダンジョンの魔力は全て使い切ってない。だから、ダンジョン管理人の力でダンジョンを再構築すれば、膨大な魔力が手に入る」

「誰が撃つかはさておき、弾だけはまだ残っている……ということですわね。まだこちらの手札は残っているなら僥倖ぎょうこうですわ」

「試験官たちの所へ私を連れて行って。たぶん、ダンジョンの入り口辺りにいるはず」

「了解」


 ――しかし、ダンジョンの入り口に向かった二人は、驚くべきものを目にする。


『マスター、マスターっ! しっかりしてえな、なあ!』


 落石の直撃を受けたのか、おびただしい血を流して倒れている試験官。

 彼の横で、使い魔が泣き叫んでいる。傍らの部下たちが必死に治療魔術を展開しているから、そのまま死に至ることはなさそうだが――。

 ヴィクトリアは大声で尋ねた。


「……この中で、ダンジョン管理人の資格を持つ者は!」

「試験官だけです! 私たちはただの事務員で、その資格は持っておらず……」

「ええと、ちょっと待って下さる? つまり今この時点で、ダンジョン管理人は不在……ということでいいかしら?」


 気まずい沈黙ののち、


「そうですね」


 と部下が言った。

 トリニティの顔が青ざめる。


「じゃ、じゃあ、ダンジョンの魔力は使えないよ!?」

「その場合、あのデカブツに素手で挑まなければならないということになりますわ。いくらシュロがルクトゥンでも……あの規格外のばけものに、ダンジョンの魔力なしで戦うのは……」

「無理だよ無理無理! そんなのできっこない」

「確か国境防御のために、ダンジョンの魔力を用いて、防御結界を張っているんでしたわよね。ダンジョン同士がリンクしているのならば、他のダンジョンから魔力を回すことはできませんの?」

「できない。ダンジョンの霊脈は相互干渉しないもの」

「……」


 ヴィクトリアは宙をにらむ。


「この近辺に棲息せいそくする、月見ず月の女神の加護を受けた魔獣の力を、全て私に集約すれば――。ああいえ、だめですわ、全然足りません。火事を涙で消火しようとするようなものだわ」

「一柱の女神の加護くらいで、ひっくり返せる状況じゃないと思う……」

「その発言、今だから見逃して差し上げますが、次はありませんわよ」

「そんなこと言われなくったって、その”次”は、もう来ないかもしれないんだよ!」


 デザストルがここまで進撃して来れば――激しい衝突はまぬかれない。その最中で命を落とすものも出るだろう。

 絶望的な沈黙がその場を包み込む。


 息苦しいようなその感覚に、ふつりと穴をあけるように、涼し気な声が響いた。


「ダンジョンの魔力、復活できると思うです」


 ひょこりと現れたのはロップだ。皆そちらに視線を向けて――驚きに目を見開く。

 小さなロップの後ろには、彼女の身の丈三倍ほどの口を持つ、タルタロスがいたからだ。

 ただしタルタロスは何も襲わず、主の指示を待つ犬のようにおとなしくしている。


 ロップは言った。


「ダンジョン管理人にあてがある」

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