第21話 タルタロスの秘密

 ロップにとって幸運だったのは、彼女の体が、未消化の山に隠れられるほど小さかったことだった。

 兵士を引き連れ、巣に乗り込んできたユヴァルからは、ロップを確認ことができなかったのである。


 おまけにロップとユヴァルの間には、拘束されたタルタロスの巨体もある。


「……」


 ロップはしばらく隠れて成り行きを見守ることにした。


「なんですの? 王国軍へのスカウトでしたら、謹んで辞退させて頂きますわよ」

「シュロ・アーメアとその通訳者はどこだ?」

「存じ上げませんわねえ。私が一発ぶん殴ったら、泣いて逃げていきましたけれど」


 ヴィクトリアは役者だ。エルフらしく謎めいた笑みを作って言う。


「申し訳ないけれど、試験の途中ですの。あっちいってて下さる?」

「……なぜここにいる? タルタロス狩りは試験の課題内容ではなかったように思うが」

「ダンジョン管理人は、ダンジョンの治安を維持するのが仕事ですのよ。悪食なタルタロスを退治することも、職務に含まれるのではなくて?」


 トリニティは、ヴィクトリアの落ち着きぶりに舌を巻く。先程までタルタロスの名も分かっていなかったのに。


 だがユヴァルも、だてに王国軍を率いているわけではない。

 

「トリニティ・オブ・セレス。お前がシュロ・アーメアに同行しているのは分かっている」

「だから何よ?」

「お前がここにいるならば――シュロもここにいなければおかしい」

「そうかしら。私が飽きてシュロを捨てた可能性もあるんじゃない?」


 ユヴァルは嘲笑を浮かべる。


「いいや。それならお前は本体の方に戻るだけだろう。ここにいるのはなぜだ?――タルタロスの巣ならば、万に一つも火喰い鳥ランキラの羽があると踏んだか」


 その言葉にトリニティの顔がこわばった。

 読まれている。


 一方でそれを隠れて聞いていたロップは、ふむ、と冷静に考えた。

 

 ――シュロの試験を妨害するためには、火喰い鳥ランキラの羽を先に手に入れて破棄するか、あるいは。

 ロップに危害を加える必要がある。


 後者の方が簡単だ。

 ロップの腕を一本でも落とせば、その時点でシュロは試験に落ち、ユヴァルはルクトゥンを取り戻すことができる。

 わざわざ火喰い鳥ランキラの羽を探す必要がない。


 そうであるならば、ここでの一番の悪手は、急所であるロップを発見されること。


「逃げる以外に選択肢はない。ま、いつものことです……ん?」


 目の前にそびえるタルタロスの背中が、びくん、びくんと震えている。

 張りつめそうな桃色の皮膚が、すっと割かれたかと思うと――。


「いやー、消化されるかと思ったー」

「しゅ、シュロ!」


 全身液体まみれのシュロが上半身を突き出し、出てこようとする。

 ロップは慌てて駆け寄り、押し殺した声で叫ぶ。


「だ、だめです、今出たら対面です!」

「え? ちょっ、ロップさん? 押し込まないで欲しいんですが!?」

「静かに! ミスタ・ユヴァルがいる」 

 

 ロップは必死にシュロをタルタロスの中へ押し戻そうとする。

 が、シュロも声をひそめながら抗う。


「くっせーんだよこいつの腹ン中! 早く出たい! ユヴァルとかもういい!」

「だーめーでーすー!」


 ぎゅむぎゅむ、ごそごそと密かな格闘を繰り広げる二人だったが。


「……ん? 何か物音が聞こえるな」


 ロップほどではないにしろ、ユヴァルも獣人だ。五感は優れている。

 物音を聞きつけたユヴァルが、タルタロスを回り込んで、二人の所へやってこようとしている。


「み、見つかっちゃう……!」

「くそっ」


 シュロはとっさにロップを抱きかかえ、元いた場所――タルタロスの体内へ体をねじ込ませた。

 ぐちょり、と肉をかき分ける嫌な音と共に、壮絶な悪臭が二人を襲う。


「ううぇええ……」  

「だから言ったろ臭いって……!」


 しっかりとロップを抱きかかえたシュロは、どうかユヴァルがタルタロスの体内を覗き込まないようにと願う。

 そうでなければ、今腕の中にいる少女の命が危ない。


 どく、どくという心臓の音は、果たして誰のものなのか。

 二人は息をひそめて何事もないよう祈る。


「……何もないな。本当にシュロとあの通訳者はここにいないのか」


 ユヴァルはそう呟いて遠ざかってゆく。

 何か兵士に指示を飛ばしているようだが、詳しくは聞こえない。

 トリニティとヴィクトリアが焦ったように声を上げたが、それもやがて聞こえなくなった。


 強く抱きしめたロップの髪から、かすかに花の香りがする。

 その香りだけが、凄まじい悪臭を放つこの隠れ場所の中で、唯一正気を保つよすがになった。


 外が静まり返ってから、たっぷり十五分は待った。

 シュロはタルタロスの外へ腕を突き出す。


「”吾亦紅われもこう”一千展開」


 シュロの指先から蔦が伸び、地面に垂れる。

 これはシュロが操る数少ない補助魔術で、周囲の状況を伺うことのできるものだった。


「……よし、誰もいないな」

「ぷはぁっ!」


 ぜえぜえと肩で息をしながら、タルタロスの体内で転がり出るロップたち。

 全身を嫌なにおいのする液体にまみれさせながら、それでもシュロは安堵する。


「どうにか……切り抜けられた、か?」

「でも、トリニティとヴィクトリアが不在。通訳者も」


 二人のほかには、拘束された上に背中を切られた、哀れなタルタロスの体が転がっているのみだ。


「死んだ?」


 ロップの言葉に反応するように、タルタロスの体が大きく動いた。シュロはとっさにロップを後ろにかばう。 

 タルタロスは、毛玉を吐こうとする猫のように、ゲゴッ、グゴォッという嫌な音を立てた。

 そして――。


『ゲボォオオッ』


 盛大に胃の中のものを吐き戻した。立ち込める悪臭。

 たまらず両耳の先で鼻先を覆ったロップが、吐しゃ物を恐る恐る観察する。


「骨……だけじゃない、道具が大勢」

「ん? この角、南の孤島にしかいない魔獣の角じゃないか?」

「南の孤島からここまで来た? タルタロスが?」

「こいつが海の中を泳いでるとこ、全然想像できねえな……」


 ここにはないだろう、というかあってほしくはなかったが、火喰い鳥ランキラの羽を探そうと、シュロが一歩を踏み出した時だった。

 吐しゃ物の中にあった、魔術陣の描かれた羊皮紙が、ギラギラと赤い光を放ちだす。


「えっ? えっ?」

「魔術の音! ふせるです!」


 シュロがロップに覆いかぶさるようにして地面に身を投げた、その一瞬後。

 魔術陣が盛大に爆発した。

 巣の壁が崩れ、未消化物の山が二つほど吹っ飛んだ。


『ピギィッ』


 しかし目の前で爆発を食らったはずのタルタロスは、くしゃみのような声を上げただけで、全く動じていなかった。恐るべし、悪食の魔獣。

 それでも不快感は覚えたのだろう。タルタロスは尻を振り振り地面に潜って、どこかへ行ってしまった。


 ロップは頭にかぶった飛散物を払いながら、不思議そうな顔をした。


「仕掛けたての魔術はほやほや。音がするです。なんでタルタロスの胃に入ってた魔術陣が、仕掛けたてほやほや?」

「……俺さあ、タルタロスの胃の中に入ってる間、ぜんっぜん魔術使えなかったんだよな。魔力が伝導しねえの」

「でんどう?」

「えっと、ゴムに雷は通らないだろ? あんな感じ」


 ああ、とロップは頷いた。


「タルタロスの胃は、魔力を通さない?」

「その可能性はあるな。魔力を通さないタルタロスの胃の中では、魔術は効果を持たない――凍結されるって感じか?」


 恐らくあの魔術陣は、タルタロスに食われた犠牲者が、抵抗するために放ったものだろう。

 魔術陣は、魔力を受けて展開される寸前に、タルタロスの胃の中に吸い込まれた。その瞬間、魔力の巡りがなくなり、魔術陣は凍結される。

 タルタロスがそれを胃から吐き出したことで、再び魔力が巡り、魔術陣の効果がよみがえったのだろう。


「初耳だらけ。文章を書いたら、錬金術師になれるです」

「錬金術師かあ。向いてなさそうだな俺」

「大さじ一と小さじ一を間違えて爆発」

「いやもうその未来しか見えねえよな」


 タルタロスがいなくなった巣は、匂いがきつすぎて長居はできなさそうだった。

 そそくさと巣を後にしながら、ロップは自分に問いかけるようにつぶやく。


「なぜミスタ・ユヴァルはここが分かった?」

「あー……多分、読まれてたな。あいつマジで陰湿だから」

「読まれてた? どういうことですとっとと言いやがれボケナス」


 するとシュロは苦い顔つきで、リュックから月見ず月の聖眼ウジャトを取り出した。


「タルタロスは、強い魔力に反応して動く。俺も元々魔力は強い方だったけど、この聖眼ウジャトで魔力が上乗せされてて、たぶんダンジョン内で一番旨そうに見えたんだと思う」

「納得。だから火龍の縄張りに、急にタルタロスが現れた」

「そう。で、ユヴァルはそれを見切ってた」

「……理解。タルタロスがお前に襲い掛かること。私たちが火喰い鳥ランキラの羽目当てにタルタロスの巣を目指すこと。それが推理できれば、タルタロスの巣で待ち伏せが最適解」


 待ち伏せする理由は、ロップを傷つけるため。

 その目論見は回避できたが、トリニティとヴィクトリアの行方が分からなくなってしまった。


 ロップは、自分のポンチョの裾をきゅっと握りしめる。


「これから……どうするです?」

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