第2話 ダンジョン

 大陸の海岸沿いにある国、ダマスカリア王国。

 海に面した豊饒ほうじょうな大地、そして魔力の集まる場所――霊脈れいみゃくを有しているこの国には、魔獣や獣人、妖精たちが住まう「ダンジョン」があちこちにあった。


 ダンジョンには、膨大ぼうだいな魔力によって育てられたレア素材や、希少な魔獣が数多く棲息せいそくしている。

 ゆえに、人々は武装してダンジョンに潜り、必要な素材を採取したり、人々に害をなす魔獣を退治したりして、生計を立てていた。


 ちなみに魔術は、人々が広く使うことのできる技術だ。

 およそ九割の魔術が、詠唱えいしょうによって起動されるわけだが、魔術の威力を決める要素は、詠唱の長さ・複雑さ。そして本人の持つ魔力量である。


 この二つを両立させることは難しく、だいたいの人間は、物理と魔術両方で攻撃する「戦士」や「剣士」「剣闘士」になることが多い。

 純然な魔術のみで戦う「魔術師」や、魔力を含んだ素材を組み合わせ、道具を作る「錬金術師」は、だから、そこそこ希少なのであった。


 彼らは富と名誉のため、ダンジョンに潜っては各々の仕事をこなす。

 けれどその結果、素材の乱獲らんかくやダンジョンの生態系崩壊、ダンジョンからの救出申請の急増など、無視できない問題が多く発生し始めた。

 そこで国は、ダンジョンの治安維持を目的とする国家資格保持者「ダンジョン管理人」の育成に力を入れ始める。


 シュロたち受験者は、その「ダンジョン管理人資格」の試験を受けるために、ここに集まったのだ。


 合格率はわずか一パーセント。

 ここにいる者のうち、一人も受からない可能性さえある、難関試験である。




「戦士とかなら自分でどうにかなるけど、錬金術師や魔術師なんかは、単独でダンジョン行くの無理だもんな」

「かと言って、腕の立つ者をボディーガードにするには、用心と賢さが必携ひっけい

「そうそう。お宝手に入れた瞬間、後ろからボコられてダンジョンに置き去り……なんてこともあるわけだし」

「資源を根こそぎ持っていく連中の存在も問題」

「魔獣の餌がなくなって、生態系が崩れたりするんだよな。ひどいときにはダンジョン一つ崩壊したって話も聞くし」


 ダンジョンは魔力の渦巻く地場であり、人の手では生み出すことのできない、貴重な場所である。

 それが崩壊するというのはかなりの大事件であり、ダンジョンの魔力を用いて防御結界を展開しているダマスカリア王国にとっては、かなりの損失でもあった。


「ダンジョンでの揉め事を防ぐため。それから、ダンジョンが崩壊しないために、管理し、保全する――」

「それがダンジョン管理人。そのための国家試験」


 シュロの通訳者、ロップは、静かだけれど、よく通る綺麗な声で答えた。

 

「そゆことだな。資格制にしちゃえば揉め事も減るし、ダンジョンからの救出申請も減って万々歳」

「です」

「あとはやっぱ国家公務員ってとこが魅力だよな! 給料は安いけど、安定してるのがサイコー」

「安定。試験の内容は安定からは程遠いです」

「いやー、これからの人生、怪我しても病気しても一定の保障があるって思えば、試験くらい乗り越えてやるって」


 シュロはそう言って、ロップをちらりと見る。


 ロップはウサギの亜獣人デミだ。人と獣人の間に生まれ、獣人の性質を残しつつも、外見は人に近い。

 亜獣人でも獣人でも、丸ごと獣人と呼ぶことが多いので、特に詳細な区別がされることは少ない。


 ふわふわと柔らかそうな栗色の長い髪。ロップイヤーのような垂れ耳は、ビロードのようになめらかな毛並みだ。

 そうして艶やかな赤い唇と、黒目がちな翡翠色ひすいいろの瞳が、小さな顔の中に完璧に配置されている。

 服装は、複雑な刺しゅうの施されたポンチョをまとい、ショートパンツにショートブーツといういで立ちだ。


 かわいい子だな、とシュロは思う。

 表情があまりないから、大きな瞳をふちどるまつ毛とあいまって、どこか人形のように見える。


 事前に渡されたプロフィールによると、ロップはシュロより三つ年下の、十五歳らしい。

 華奢きゃしゃではあるが、ひ弱ではない。

 しなやかな歩みは、これから共にダンジョンを潜る相方としては頼もしかった。


「俺は、シュロ・アーメア」

「? 知ってる。私はロップ」

「ん。よろしくな!」



 さて、魔獣と槍の一撃をしのいだ受験者一行は、デミ・ヴィラーズに入ってすぐの場所にある洞穴に集められていた。

 本来であれば、試験官から何か説明があるはずなのだが、あの騒ぎの後なので、なかなかやって来ない。落ちてきた槍を回収するのに忙しいらしかった。


 だからシュロは、暇つぶし代わりに質問してみる。


「なあ、通訳者ってのも、資格とかあるのか?」

「あるです。と言っても目分量。大さじ一とは言いにくいでしょう」


 独特な言い回しに、シュロは目をまたたく。


「えーっと、つまり、あんまり厳しくない試験ってことか?」

「はい。ほどほど喋れれば、通訳者を名乗ることは朝飯前だコノヤロー」

「……ちなみにお前は、どうやって言葉を勉強したんだ?」

「先生の話し言葉と、その他もろもろイリーガルな文書たちによる虚実ないまぜのサーカス・ワールド」

「な、なるほど? その先生ってのがどんな人だったか興味があるけど……。正規の教育ってわけじゃなさそうだな」


 そう言うと、ロップの耳がぴくんと動いた。

 彼女の耳は獣人らしく、頭の横から生えている。

 髪と同じ柔らかな色をしたそれは、かわいらしくひこひこ動く。


 ちなみに、尻尾もきちんとウサギ仕様になっている。

 ショートパンツからぴょこりと覗くもふもふの尻尾は、シュロの撫で欲を刺激してやまない。さすがに女性の尻尾を撫でるのはセクハラだが。


「獣人の教育は難易度が鬼。私たちを受け入れる学校は草原に咲く一輪の花ていど」

「草原に咲く……ああ、めっちゃ珍しい、ってことだな。まあ獣人って、言葉の形態全然違うもんなー」


 例えばラミア。

 下半身が蛇、上半身が人という構造を持つ彼らは、舌と口腔こうこうの構造が人間と異なるため、ほとんど人語を喋れない。

 代わりに鱗をこすり合わせ、その音で意思疎通を図っているという。

 同じ鱗を持つ龍種りゅうしゅでも、鱗の音のパターンが違ったり、そもそも音ではなくて色調の変化などで意思疎通をしていたりするので、言語の統一ができないのだ。


 翻訳魔術を使えば、ある程度の意思疎通は可能だが、それには膨大な魔力と高い技術が必要だった。

 それに、ダンジョンのように強い魔力の地場がある場所では、翻訳魔術が上手く働かないことも多い。

 それゆえの通訳者というわけだ。


 ダンジョン管理人は、依頼を受けてパーティに同行することもあるが、通訳者と組んで単独で潜ることも多い。

 管理人はダンジョンの治安維持と管理が仕事だ。魔獣や亜獣人デミなどと対話をし、時には彼らの要望を叶え、苦情を国王へ伝えることもある。

 そのために、通訳者は欠かせない。


「私たちは耳がいい。人と違うところはそれだけで、言ってみれば進化のお隣さん。人の教育を受けることはそこまで難しくないですが」

「が?」

「……私たちは弱い。言葉も小さい。エルフやらドワーフやらに押し負けて、ぬるりと押し出されたニキビ並みの厄介者やっかいもの

「あー。エルフやらドワーフやらは資源を持ってるからな。政治に強いんだ」

「政治。声の大きいものが勝つすもうの別名べつめいと聞くです」

「らしいな。俺も結構悩まされたクチだけど」


 はふう、とため息をついたシュロを見、ロップは小首をかしげた。


「……さっき。槍に気づいたはお前だけ。なにゆえ?」

「いやだって普通に気づくだろ、あんなでかいもん降ってきたら」

神威の槍パンデモニウムは神の槍。音を立てない。魔力も漏らさない。私の超高精度な耳でようやく検知けんちです」

「じゃあもしかして、俺以外は……」

「落下物が槍であることに気づいたのは、お前がそれを防いだあとのこと。つまりは周回遅れでしょう」

 

 ありゃあ、とシュロは腑抜ふぬけた声を漏らした。

 そして、見落としていた重大な事実に初めて気づく。


「……じゃ、あれ、試験じゃねーのか」

「イエス。ついでに言えば魔獣の群れも、試験官の予定にはなかった」

「マジでか」

「とくれば、続いてわき起こる疑問は二つきりです」

「”誰が”」

「”どうして”」

「……俺たちを狙った、か」

 

 しばしの沈黙。

 思考を整理するように、シュロは自分の手をじっと見つめていた。

 ロップはほんもののウサギのように首をかしげ、耳をそばだてる。


 今まで話し込んでいた試験官たちが、ようやくこちらへやってくるところだった。


「……試験中止の可能性は、ラミアの脳みそ並み」

「つまり?」

極小ごくしょう


 ロップはそう言い放つと、柔らかな尾を神経質そうに震わせた。


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