第12話 次から次へ

 黒髪の女はつまらなさそうに、先ほど瞬殺した魔獣の上に座った。


「模擬ダンジョンって、中級者向けに作られてるんだっけ? つまんなさすぎて死にそう」


 ブルーの生地に、鳥の細かい刺しゅうが施された民族衣装を着ている女は、懐から羊皮紙を取り出して開いた。

 そこには、とある素材の入手方法が書かれている。このダンジョン内で最も入手難易度が高いものだそうだ。

 その素材とはすなわち、火喰い鳥ランキラの羽――。


「……ハッ。まあ確かに難易度は高そうだが? 入手方法が気に入らないな。何より、あいつだったらすぐに手に入れられてしまいそうだ」


 ふむ、と女は考える。

 猫のように丸い目が、邪悪な思惑をたたえて三日月型にゆがんだ。


「そうだ。いいこと思いついちゃった。僕は天才だからなあ、いつだってアイディアが湯水のように湧いてくるのさ」


 女は羊皮紙をふところにしまうと、機嫌よく足を踏み出した。


「現地調達で呪いかけるの、久しぶりだな。ちょっと凝ったの作っちゃおう。僕オリジナルのレシピも改良しなきゃだし、あとはアレとアレを集めて、っと」


 猫のように満足げに笑いながら、女はダンジョンの奥へと進んでゆく。



 *

 

 ロップは神経質に耳をひくつかせ、辺りの様子を頻繁にうかがっている。


 ――なんだか、さっきから妙な気配がするのだ。

 恐らくはアドラに出会う少し前から、その妙な気配は、彼女の感覚に引っ掛かり続けていた。


 ダンジョンというものは、大なり小なり何かしらの音を放つものだ。

 それはダンジョンが、泉のように魔力をたたえ、その魔力を求めて魔獣たちや魔性の植物が集まってくるからである。

 だから、どこを歩いていても無音ということはありえない。


 ありえないのだが――ロップの耳は、先ほどから、何の音もしない場所を聞きつけている。


「ロップ、どした?」


 警戒心たっぷりのロップに、シュロが声をかける。

 トリニティと手は繋いでいない。彼女は珍しく、アドラたちのそばで、興味深そうに彼らの苔をさわさわと撫でていた。


「……何か変な感じがする。胞子は何も言わないが、音がしないところがある」

「胞子? っていうか待て待て、音がしないってどういうことだ? 魔獣や何かがいないだけじゃないのか」

「ダンジョン内で、音がしないのは変。ダンジョンは生きている。いつもどこかがうるさく活動している」

「――その、音がしない場所ってさ。同じ場所か?」


 シュロの顔が心なしかこわばったような気がする。そう思いながら、ロップはふるふると首を振る。


「動いてるです。かたつむりのようにゆっくりと」

「俺たちに近づいてるか?」

「なぜ分かる?」


 驚いた顔でロップが尋ねると、シュロは苦しそうに顔を歪めた。


「――俺が同じ立場でも、同じやり方をとるからだ。その無音の場所が近づいてきたら教えてくれ」

「お前、何か知ってるです? 知ってるならとっとと言いやがれボケナス」

「なんか、罵声が的確になってきてるな……。じゃなくって、多分その無音は、俺の」


 言いかけた時だった。


「シュロー! あった、あったよ~!」


 トリニティが遠くの方で、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 彼女が指さす先には、巨大な草花があった。


「あ……。あれです、わすれな草と多羅葉たらよう!」

「実も生ってるな。よし、とりあえずあれをアドラたちに渡して、ダロウの渦巻きスパイラルの場所を教えてもらおう!」


 どこかうやむやにされたような感じが否めないが、それでも今は試験が優先だ。

 駆け出すシュロを追って、ロップもまた走り始めた。


 *


 わすれな草は大きな紫色の花弁が特徴的な花だ。実の中には種と魔力が蓄えられており、花が枯れたあとに爆発する。

 多羅葉たらようは、大きな艶のある緑色の葉を指す。根元には赤い小さな実がたくさん生っていて、小動物のえさになることが多い。


 アドラのような、巨大で草食性の魔獣は、こういった大きな植物を餌とする。

 だからこの二つの植物は、天敵に食べられないように、アドラたちが嫌がる成分を葉から出すようになったのだ。


 アドラたちは、目当ての植物から何十メートルも離れた場所で、しきりに脚を動かしている。


「あれが欲しいとアドラたちは言ってるです」

「オッケー、じゃああれを採取しよう」


 シュロは剣先に魔術陣を展開する。青く輝くその光に向けて、詠唱を行う。


「”紫陽花あじさい”一千展開」


 涼やかな竜巻がぶわりと吹き上がり、植物の実を刈り落とした。

 ごろりと転がった実を手にしたアドラたちが、嬉しそうに脚を頭上に向けている。

 喜んでいる、ということは通訳なしでも意外と分かるものだ。





 ――だがそれも、彼女の悲鳴が上がるまでのことだった。


「きゃうううっ!?」


 ロップが悲鳴を上げて地面にうずくまる。耳を押さえ、がくがくと震えている。


「ロップ!?」


 ただごとではない。シュロが慌てて駆け寄ろうとする。

 けれどそれは、かなわない。


「止まれ。シュロ」


 地鳴りのような低い声と共に、一人の獣人が現われた。

 黒豹の、大きな体を持つ獣人だ。武装や、帯剣たいけんしている姿が板についているところを見ると、軍人か。

 獣人はそのままロップの髪を乱暴に掴むと、勢いよく持ち上げた。

 ロップは気を失ってしまったようで、びくりともしない。


 シュロは唖然あぜんとした表情で獣人の男を見ていたが、やがて怒りもあらわに剣を構えなおした。


「ロップに何をした!」

「なあに、立派な耳がご自慢のようだったのでね。脳をかき乱す高周波の音を、少しばかり大きめに流してやったら一発だ」

「彼女を放せ! ユヴァル!」

「放すとも、だが交換条件がある。――この試験を辞退しろ」

「断る」


 そうか、とユヴァルという黒豹の獣人は頷いた。

 そしてその手に力をこめる。ぎりぎりと髪を持ち上げられ、ロップの顔が苦痛にゆがむ。


「ではこの娘はどうなっても良いのだな」

「っ、ロップを巻き込むな! これは俺とお前だけの話だろ!」

「いいや。ことは既に、俺とお前の間だけでは済まされなくなっている」

「どういうことだ」

「戦争が起こる」


 聞こえるか聞こえないかの声でユヴァルが呟く。

 それだけでシュロは全てを理解した。

 シュロの顔から感情がはがれ落ちる。ユヴァルには見覚えのある顔だ。


 あと一押し、とユヴァルが口を開きかけた瞬間。


「ロップを放しなさいっ!」


 天馬ペガサスに姿を変えたトリニティが、上空からユヴァル目がけて急降下する。


「ダンジョンのボス――混合神か! 行け、サガレン!」

「げえっ、またそれぇ~!?」


 ユヴァルの懐から放たれたサガレン――トリニティを捕獲するためだけの魔物――が、天馬の体に絡みつく。

 先程のものより小さいとは言え、混合神用に調整されたサガレンだ。

 もがくトリニティの体に、みしみしと蔦が食い込んでいる。


「ほらシュロ。どうするんだ? 早く決断しなければ死体が二つ並ぶことになるぞ」

「……お前、堕ちたな」

「何とでも言え。お前を取り戻すためならば俺は、悪鬼にもなろう」

 

 ユヴァルは剣を抜くと、その刃をロップの首に押し当てた。

 獣人の力は、ロップの細い首など一瞬で切り落としてしまうだろう。


 万事休す。

 選択肢などもとよりない。シュロはそっと剣を納め、屈辱と共に口を開いた。


「分かった、試験は――」

「見つけましたわよ、シュロ・アーメアっっ!」


 その瞬間、ぐゎんっ! と木々を切り倒しながら、一人の少女が現れる。

 黄金の髪に清冽せいれつな美貌、エルフ特有の長い耳。

 流麗な姿には見覚えがあった。


 彼女はダンジョンに入る前に現れた魔獣に向けて、敵味方問わず盛大に矢を放ったあのエルフだった。


 その琥珀色こはくいろの瞳に怒りをたぎらせ、少女は両手に魔術陣を呼ぶ。


「我が名はヴィクトリア・デ・カスティージャ! よくも我らが月見ず月の女神を侮辱しましたわね! その罪、冥界であがないなさい!」


 ヴィクトリアは聞き覚えのある呪文を詠唱した。


「『我が守護女神、月見ず月のエレナの名において、我が矢を驟雨しゅううの如く降り散らせん!』」

 

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