第8話 魔獣襲来
――月見ず月の
その言葉を繰り返したロップは、眉間にしわを寄せてますます首を傾げた。
「――だからなんだというです?」
「あらぁロップ、まだまだ青いわね。相手がプライド高いってことが分かれば、色んな作戦が立てられるじゃない」
「私は青くはないです、どちらかと言えば茶色です。それより――作戦って、どんなです?」
「それはシュロが今から考えまーっす!」
トリニティはにっこり笑って、シュロの腕をぎゅっと抱きかかえた。
「ね、ね、教えてよ。どうするの?」
すると負けじとにっこり笑ったシュロは、トリニティの肩をぽんっと叩いた。
「ん?」
「トリニティは混合神だよな?」
「そうだけど、んん? なんかやなよかーん!」
「混合神ってことは――使い魔なんかにも変身できるよな? 例えばそうだな、
「なれるけどぉ! もしかしてシュロってば、私を当て馬にするつもり!? 文字どーりの!」
シュロは今までで一番白々しい笑顔を浮かべた。
「きっと最高の使い魔になるって信じてるぞ!」
「もーっ! この私を当て馬に使うなんて、シュロじゃなかったら許してないからね!」
と言いながらも、トリニティは既に術式の展開に取り掛かっている。
彼女の体をほの赤い円環の光が包み込んでゆく。唱える呪文が魔力のしずくとなってしたたり、光を溢れさせていった。
あまりのまばゆさに、ロップとシュロの目がくらんだ次の瞬間――。
目の前には、純白の肢体を持つ
「わ……!」
ロップは目を見開く。まがいものとは言え、全身から放たれる神威のすさまじさは、本物顔負けだ。
天馬とは要するに翼の生えた馬の魔獣なのだが、トリニティの変身は次元が違った。
どこまでも純白の肌に、三対の大きな翼。たてがみがかすかに桃色がかっているところが、赤髪のトリニティらしい。
「天馬って、初めて見るです。きれい……!」
『ったりまえでしょー!』
えっへんと胸を張るトリニティの首を、シュロが勢いよく撫でる。
よしゃしゃしゃしゃ、とすさまじい勢いでたてがみをかき混ぜられ、トリニティがやーんと首を振るがお構いなしだ。
「よしよし。お前は最高の魔獣だなー! 強くて綺麗で魔術も使えて”どんな魔獣よりも”頼りになるなー!」
ロップが思わず飛び上がるほどの大声は、このフロアにうわんと響き渡っている。
けれど、ダンジョンじゅうに聞こえるかと言われると、首をかしげざるを得ない。
「『お前に勝てる魔獣なんていない』よ! 『どんな女神の加護を受けた魔獣だって、お前の足元にも及ばない』さ!」
『そ……そうかな?』
「そうだよ! 『例え月見ず月の女神の加護を受けた魔獣が来ても』『お前が圧勝するに決まってる』!」
露骨な誉め言葉に、ロップが鼻の上に皺を寄せた。
いくら誇り高い魔獣でも、こんな分かりやすい挑発には乗らないだろう。
そもそもこの言葉が聞こえているかどうかも怪しいし。
――だが、彼女の鋭敏な耳は、遠くのかすかな異音を察知する。
「ほ、ほんとにこんなので来ちゃうです!?」
遠くから、凄まじい勢いで接近してくる魔獣が一体。
かなりの魔力量だ。思わず身構えるロップを、シュロが背後にかばった。
「さあ、お出ましだ」
月見ず月の女神の加護を持つ魔獣――。それは、一頭の巨大な銀狼であった。
その立派な四肢、輝く黄金のひとみから毛の一本に至るまで、ロップなど比べ物にならないほどの魔力が充填されている。
ただの魔獣ではない、その証拠に、銀狼は様々な装飾品を身に着けていた。
その中でも最も存在感を放っているものは――。
「あの胸元のキラキラ……あれが
月見ず月の女神の特性は、知性、強さ、用心深さ。
その象徴であり、膨大な魔力の源であるのが、女神の目を模した球形の魔術具、聖眼であった。
『グルルルッ』
銀狼はシュロを見据えて唸った。その声を聞いたロップは、懐から通訳者必携の黒い布を取り出す。
ロップがその表面を撫ぜると、青白い魔術陣がぼうっと浮かび上がった。
魔術陣に手を乗せたロップが小さく詠唱する。
「『主よ。いと気高き孤高のひとよ、汝が築きしバベルの塔を、今この瞬間夢幻と化せ』」
詠唱を受けた魔術陣は、そのまま空中へ浮かび上がると、静かに霧散した。
「これでこの魔獣の言いたいことが分かるです。お前の言いたいことも筒抜け」
「了解。通訳ありがとな!」
「いえ、このていどは朝飯前だコンチクショー」
銀狼はその声に怒りを滲ませながら、唸るように言った。
『我は月見ず月の女神の加護を受けしもの。数多の無礼な発言――撤回せよ、人間』
翻訳魔術を通じて聞く銀狼の声は、少しハスキーな女の声だった。
シュロは涼しい顔で返答する。
「いいや、撤回はしない。事実だからな」
『ッよくもぬけぬけと! こんな白くて羽の生えた魔獣より、私の方が強いに決まっている!』
「それはないな。俺の使い魔は最強だ。もちろん”お前なんかよりずっと強い”」
ぐるる、と唸り声を上げた銀狼は、
『無知は罪だな、人間よ! 魔獣の中で最も強いのは、我ら女神の加護受けしものであるぞ!』
「それについては、議論の余地があるだろうな。だって一番強いのは俺たちだ」
『無礼ものめが……! いいだろう、その身に教え込んでやる。
――我が名はジル。そっ首掻き切って、我らが女神へ捧げん!』
「俺はシュロ・アーメア。そんじゃ俺は自分の首を賭けよう。お前が負けたら、その胸の
『良いだろう!』
すっかりやる気のジルとシュロを、ロップは唖然とした様子で見ている。
「と、トリニティがあれと戦うです?」
『いやー、見た感じ、シュロがやる気じゃない?』
トリニティの言葉通り、シュロは剣を抜いて前に出る。
ジルが不愉快そうに片眉を上げた。
『貴様の使い魔を出せ』
「いやいや。俺の使い魔はこのていどじゃ戦わせられんのよ」
『……よかろう』
ジルは額に青筋を浮かべながら、それでも鷹揚に頷いて見せた。
『恥辱は血で贖ってもらおう。さあ、むごたらしく死んでみせよ!』
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