第10話 シュロの理由
獣人の男は、無表情でその報告を聞いている。
「第一波の攻撃はたやすく退けられました。奥の手の
「……」
荒々しい黒豹の獣人である男は、その身を傷だらけの甲冑に包み、歴戦のつわものを思わせるまなざしで部下を見る。
報告を持ち込んだ男の背中に、冷や汗が伝う。
少し見られただけでこれだ。
この獣人――ユヴァルと戦場で命を賭け合うものは、どれほどの胆力が必要になるだろう。
部屋はぴりぴりした空気に満ちている。
時折聞こえるのは、身に帯びた武器が触れ合う微かな金属音のみだ。
武人だらけの陣営の中に、どっかりと座ったユヴァルは、使い込まれた大剣を背負ったまま、小さなため息をついた。
「
「事前に接近を感づかれました。デコイの魔獣も、槍に施した魔術探知妨害文様も意味をなさなかったようです」
「ふむ……。あれがそれほど高度な検知能力、ないし装備品を持っているとは、データになかったように思うが」
「恐らくは通訳者の
ウサギの獣人。
ユヴァルはそう繰り返し、くつくつと喉の奥で笑った。
この部屋の緊張感にはそぐわないほど、柔らかで、間の抜けた言葉だったから。
「まあ、耳の良さで言えば、俺もウサギには負けるがな。……ダンジョンのボスのほうはどうだ。取り込めたか」
「それが」
男は萎縮しながら、ボスを取り込むことは失敗した、ということを告げた。
ユヴァルは顔色一つ変えず、ただひげを微かに震わせた。
「……あれが、妨害したのだな」
「ご理解通りです。彼はヘファイストスの
「サガレンの調整は、抜かりなかったのだろうな?」
「はい。加えて言えば、あと一歩のところまでボスを追い詰めたのですが、ウサギの
くはっ、とユヴァルは自嘲的に笑う。
「ウサギが目も良いとは知らなんだ」
「いえ、耳です。ウサギの獣人は、音でサガレンの魔力炉心の場所を探ったそうです」
その言葉を聞いた瞬間、ユヴァルの笑みが消えた。鋭い牙を剥き出しにし、低く唸る。
「音で――だと?」
「はい。ウサギの獣人は確かに耳が良いでしょう、けれど」
「魔力炉心の位置が分かるほど耳が良いヤツなどいるものか! そのウサギの情報はあるか」
ユヴァルの手元に、ロップの情報が差し出される。
そのデータを見たユヴァルは、面白くなさそうに鼻息を漏らした。
「見るべきところなど何一つない。ただ少し耳が良いだけの、ウサギの小娘――」
言葉が不自然に途切れる。ユヴァルは何か思いついたように、かすかに目を見開いていた。
その唇がゆっくりと弧を描いた。
「耳が良いならば、そこを利用させてもらおう」
*
上層に行くにつれ、植物が豊かに実り始める。足元も、岩石ではなくふかふかの芝生だ。
木々は生い茂り、地面に枯葉を落とし、その枯葉のすきまで、たくさんの虫やけものが息づいている。
しかも頭上からは太陽光に似た光が降り注いでいて、昼間のように明るい。
最初に飛ばされたメトセラの洞穴に比べて、生き物が豊かに生息している。
ここならば、探している素材の一つ、ダロウの
あいかわらずシュロと手をつないだままのトリニティは、あどけない表情で少年を見上げた。
「ねえねえシュロ~? シュロはさ、なんでこの試験を受けようと思ったの?」
「そりゃあもちろん、国家公務員は安定してるからなー! 保障がしっかりしてるって最高!」
「それだけぇ? だってシュロほど強かったら、正直お宝とかがっぽがっぽでしょ。保障なんかかすんじゃうほどの大金が手に入るのに」
ロップもこくこくと頷く。安定を求めるシュロの気持ちが、最初からよく分からなかった。
どうやら少女たちは自分の答えに納得していないらしいと知ると、シュロは照れくさそうに笑った。
「これ、言うまで解放されないやつか……。えーと、俺さ、あこがれてる人がいて」
「へー! どんな人?」
「その人はさ、別に腕力があるわけじゃないんだ。だけど、絶対にあきらめない、すごい人で」
ロップの耳がぴくりと動いた。
「でも何よりすごいのは、誰も見てなくても、誰にも褒められなくても、自分の仕事をまっとうし続けてるところなんだ。お金ももらえないし、社会的な地位が得られるわけでもないのに、ずっと仕事をし続けられるって――すごくないか?」
「……なんだか、私の先生に似ているです。その人がダンジョン管理人だから、お前も真似した?」
「そんな感じ」
ふーんと呟いたトリニティは、じゃあさ、と続けて問う。
「なんで今回受からなきゃだめなの?」
「え? なんでって、だって、早い方が良いだろ」
「そうかな? ダンジョンは逃げも隠れもしないし、半年後にはもう一回試験があるんだよ? この試験は合格率が低いし、何度も試験を受けることを前提にしてる受験生もいるよ」
「それは、別に、一回で受からなくていい理由にはならなくないか」
「――ねえ、そんなに急いで、何か理由でもあるの?」
「でぇ? え、ええっと……」
幼い姿とは言え、トリニティは混合神だ。
既に数百年を生きているであろう、魔性のいきものは、見透かすようにシュロの目を見つめる。
たまりかねたシュロは、助けを求めるようにロップを見る。
「……一回で受かるなら、私も助かるです」
シュロの通訳者は、ため息と共に助け舟を出してくれた。くしくし、と耳の先の毛並みを整えながら、
「合格した受験者の通訳者にもボーナスがある。一回で合格した受験者の通訳者は、褒められるしとてもえらい。だから、シュロが頑張れば、私にも見返り」
「ほらな? ロップのためにも一回で受かったほうがいいだろ」
「それはそーなんだけどもさ」
どことなく釈然としていなさそうなトリニティだったが、ロップが耳をそばだてるのを見て口をつぐんだ。
ロップの超高性能な耳が、何か異変を察知したらしい。
「……魔獣が接近中。速さはさながら鳥のごとし」
「数は分かるか。できれば大きさも」
「三体。お前の身の丈三倍ていどの大きさ。……腕が何本もあって、這って移動している様子」
ロップの言葉はすぐに現実となって現われた。
木々の影から顔を出したのは、全身に苔をはやしたタコのような魔獣だった。
苔むした八本の脚をうねうねと動かしながら巨木の上に這い上り、シュロたちを見下ろしている。
「あの魔獣は……あんまり見たことねえな。でっかいタコか?」
「アドラって名前の魔獣だよ。普通のダンジョンにはあんまり
アドラの体表に生えた緑色の苔が、オレンジに、そして紫色に変色する。
それに脚を振り上げて、
既に何本かの脚先には、小さいながらも魔術陣が展開されていた。機嫌を損ねれば、即攻撃してくるだろう。
体表の色を注意深く見ながら、ロップは問いかけた。
「シュロ。アドラを殺すか? それとも――通訳が必要です?」
彼女の手には、通訳者必携道具である、黒い布と砂の入った小袋が握られていた。
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