第15話 シュロという少年
その中でも、特にシュロを緊張させたのは、ロップだった。
その目がたたえているのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、シュロの言葉を待とうとする誠実さがあった。
――この目にはどうしたってかなわない。
シュロは腹をくくった。
全てを告げると、決めた。
「ま、そこまでシリアスな話じゃないんだけどな? 多分、俺の昔の名を聞いたら、全部分かると思う。
俺は、かつて――死を運ぶもの(ルクトゥン)と呼ばれていた」
その名にヴィクトリアが驚きの色を浮かべる。
「ルクトゥン、ですって? 国王陛下付きの戦士で、平民出身で
「そ。死神、
「もっとシンプル。みんな、英雄と呼んでいたです」
ロップがさりげなく言うと、トリニティがこくこくと頷いた。
「そーだよ! ルクトゥンって言ったら一番大きな功績は、北方防衛! 北の国から押し寄せてきた巨人族を、七日七晩の激戦の結果、見事追い返したって!」
「そういうときもあったな。めちゃくちゃブラックなデスマーチだったから、思い出したくもないけど」
「なるほど。お前がヘファイストスの
「ああ、それは北方防衛のご褒美にもらったんだ。黄金だの宝石だのより、それが一番ありがたかったな」
戦場の
浮かない顔の少年を見、ヴィクトリアが首をかしげる。
「お前の功績は、誇りこそすれ、思い出したくないような嫌な思い出にはならないはずですわ。なぜ、そんな沈んだ顔をなさるの」
「えー……なんていうの? 職場の雰囲気、めちゃくちゃ悪かったっていうか? 超ブラックだったっていうか……」
「激務でしたの?」
「その上、俺に決定権が全くなかった。それが退職の決め手かな」
元々シュロは、王国の辺境に住む農家の平凡な息子だった。
けれど五歳の頃に、そのたぐいまれな魔術の才能を見出され、王都の魔術師のもとに引き取られる。
その魔術師の妻がたわむれに教えた剣術にも、シュロは秀でており、英才教育を施されて戦場へ送り出されたシュロは、どんどん武勲を上げていった。
十歳の頃から戦場に立っていた少年は、技量が上がり強くなるうちに、考えることを許されなくなる。
敵が来たら、倒す。
シンプルかつ絶対の命題だ。
シュロがそれに背くことは許されず、ただダマスカリア王国の国土を狙う者をなぎ払うことが良しとされていた。
シュロはルクトゥンとして、一個師団の兵を動かせるほどの権限を担わされていながら、その実何の選択肢も与えられていなかったのだ。
「ルクトゥンの服装、見たことあるか?」
「うん! 黒ずくめで、背中に大きな剣を背負って。覆面だったから、顔はちゃんと見たことなかったけど」
「そう、覆面なんだ。俺は喋ることを想定されていなかった。ただ、目標の敵を倒すことだけが仕事だった」
英雄と、勇者と呼ばれていたころもあった。
けれど突き詰めて言えば、シュロはただの兵器だった。何も考えずに目の前の標的を圧倒し、殺し、
割り切ってしまえば大したことはない。
それに、兵器として敵を倒し、国を守ることにはそれなりの爽快感があった。
『国を守る』という言葉は、麻薬のようにシュロに染み込んで、いろんな感覚を麻痺させていった。
「ま、要するに、クオリティオブライフ? が下がったって言うか?」
「……大変だったんだね、シュロ」
「そ。激務が過ぎるとさあ、食べ物の味も感じなくなるし、寝ててもやな夢見るし、マジで良いことないぜ」
おどけて言うシュロの言葉に、ロップは耳をひくつかせる。
声音の奥に、かすかな怯えがある。
まるでもう済んだことのように話すが――きっと彼の中で、まだくすぶっている苦しみなのだろう。
英雄であったこと。ルクトゥンであったこと。
たくさん殺したこと。
けれどシュロは、それを表に出す気はないようだった。
「……ミスタ・ユヴァルは、お前の元同僚?」
「あの黒豹の獣人ですわね」
シュロはこくんと頷いた。
「ユヴァルは俺の戦友だ。いろんな戦場を駆け抜けた。巨人族との戦いの場にもいたぞ」
「彼は、シュロを――取り戻そうとしてるです」
「そうだな。戦争って言ってたから、また何か、俺の力が必要なことがあるのかもしれない」
「なら、お前はなぜ、ミスタ・ユヴァルの言葉に応えない?」
静かなロップの問い。
シュロは一瞬息を止めて、それから短く吐き出した。
「俺はダンジョン管理人になるって決めたから、だ」
「……戦士ではなく。管理人に、です?」
「そう。ダンジョン管理人になって、ダンジョンの治安を維持する。これだって国を守る立派な仕事だし、俺の経験が活かせる」
シュロは続ける。
「ルクトゥンは辞めようと思って辞められる役目じゃない。だけど今までの功績を評価して、国王は俺に条件を与えた。半年以内にダンジョン管理人にならなければ、戦場に戻ってもらう――と」
「そっか。だからユヴァルさんは、魔獣を放ったり、私を捕まえようとしたりしたんだ。試験を中止させたかったんだね」
と同時に、シュロがなぜ試験を中止にさせたがらなかったのかも分かった。
ダンジョン管理人の試験は半年に一回。この機会を逃せば、シュロに「次」はない。
「……シュロ」
ロップが顔を上げる。その声はか細いけれど、不思議とよく耳に入ってくる。
「お前は、戦場に戻りたくないから、ダンジョン管理人を受けるです?」
「逆だ。ダンジョン管理人になりたいから、戦場には戻りたくないんだ」
「なぜそこまでダンジョン管理人にこだわる? 安定な仕事だが、正直、地味。裏方。派手ではない」
「言っただろ。あこがれた人の仕事なんだ。ひたむきに、ダンジョンの安全を守る姿に、……あこがれたんだ。どうしようもなく」
シュロの声はどこかあどけない。
それは、十歳の頃から剣を持たされていた少年が、初めて抱くあこがれだったからなのかもしれない。
ロップは小さく、そうですか、と呟いた。
「あこがれるのは――分かる。私もそうだった」
「分かるか」
「ん。誰もお前のあこがれを叶えない。お前のあこがれを叶えるのは、お前だけ。頑張るです」
「おうよ!」
いい感じに終わりそうだったところへ、えへん、とヴィクトリアが咳ばらいで割り込む。
「まだ私の話は終わっていなくてよ。月見ず月の女神を
両腕に魔術陣を呼ぶヴィクトリアの顔は、どこまでも好戦的だ。
彼女も馬鹿ではない。シュロがルクトゥンと分かった今、喧嘩を売っても勝てる見込みはない。
それでもヴィクトリアは、顔を上げて堂々と決闘を挑む。
「私がダンジョン管理人の試験を受けるのは、ひとえに! 月見ず月の女神エレナの威光をこの国土に広め、その加護を受けしものを守るためです!」
「なるほどー? あんたも一応考えてんのね」
「当然ですわ。私は女神に命を救って頂きました。そのご恩返しをするために、お前を倒し、この試験も通過しなければなりませんわ!」
ヴィクトリアを支えているもの、それは、女神の加護を受けた者としてのプライド。
ここで引いては女神に顔向けできない。何としてでもシュロを打ち倒し、女神の名を知らしめる必要がある。
と同時に、これは好機でもあった。
ルクトゥン相手にどこまで立ち回れるか――まさに自分の力が試されるとき。
「剣を取りなさい、シュロ・アーメア。女神の加護受けし魔獣から
きらきら輝く琥珀色の目に射抜かれて、シュロはふっと口元を緩める。
「ここで受けなきゃ、男じゃないよな」
そうしてかつてのルクトゥンは、静かにその剣を抜いた。
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