第17話 白い獣と黒い獣
災厄は、いつも白い獣を伴って訪れる。
最初にそう言ったのは誰か。けれどその獣を目撃したものは、その言葉の正しいことを知る。
熊にも似たその風体は、
誰よりも鋭い牙と爪を持ち、その
東の
西の水龍、ティターニアを真っ二つに引き裂いたともいわれるその巨獣の名は――北の災厄、デザストル。
針のごとき白い毛はどのような攻撃も弾き飛ばし、丸太のような腕は鍛え抜かれた戦士を一撃で
その巨躯に似つかわしくないほどの小さな頭部は、急所を一撃で射抜こうとする戦士のたくらみを嘲笑うようだ。
どのような魔術も、どのような小細工も、デザストルの前では全てが無意味。
そのデザストルが今、南を目指して進んでいる。
目標は資源豊かな、不凍港を持つ国、ダマスカリア。
といっても都市の制圧が目的ではない。
ダマスカリアは、数多く存在するダンジョンでもって、国じゅうに結界を張り巡らせている。
いかなデザストルと言えど、単騎で国一つを滅ぼせるほどの力はない。
――なれど。
侵攻せよ。侵攻せよ。殺せ、殺せ、殺せ。
本能に従い、デザストルは淡々と脚を進める。
雪をこぎ、凍てつく風に逆らいながら――着々とダマスカリアに近づいている。
*
タルタロスの嫁として囚われた、ヴィクトリアの通訳者。
ヴィクトリアは、そのタルタロスの巣に、シュロの探す
話が長くなりそうだと見たのか、ロップは荷物からブラシを取り出し、丁寧に毛づくろいを始めた。
シュロはため息をつきながら、
「……タルタロス、いずれ倒さなきゃならない敵ではあるんだよな」
「イエス。タルタロスはダンジョンを縦にも横にも動きます。通訳は不可。出会い頭に切りつけるしか、生き延びる道はない」
タルタロスは魔力の高い魔獣を追って、活発にダンジョンを動き回り、口に触れたものは何でも食べると言われている。
とにかく意地汚いこの魔獣は、驚くべきことに、魔術や毒がほとんど効かない。
毒でしびれさせて、そのすきに逃げるとか、魔術で眠らせるとか、そういうことができないのだ。
だから、ダンジョン内で遭遇すれば、倒すしかない。もちろん意思疎通も不可能なので、通訳も不要である。
「いずれ会うか、今会うかの問題ではある」
「それにタルタロスは、二人一組で倒すのが攻略方法と聞いた」
「そーなんだよな。一人が囮になって、そのすきに一人が肛門から切り裂くってのがセオリー。肛門が一番切りやすいから」
想像したのだろう、ロップはブラシをしまいながら、うげえと顔をしかめた。
「……どっちもいやです」
「気持ちはめちゃくちゃ分かる……。でも、早めに動かないと、ヴィクトリアの通訳者を助けられないかもしれない」
「助ける必要があるです? ライバルは減った方が吉でしょう」
存外辛辣なロップの言葉に、シュロは苦笑した。
「相変わらず厳しいな」
「? お前と私は出会って三時間。これは相変わらずと言う?」
「あ、いや、そうだった。忘れてくれ」
「なれなれしいのは英雄の習性?」
シュロは、苦笑しながらロップを見た。
「俺は英雄なんかじゃないよ。ただの人殺しだ」
「私はそう思わない。お前が人殺しと言う行為で、助かった人は大勢でしょう」
「でも死んだやつも大勢いる」
聞き逃してしまいそうなほどのささやき。
けれどロップの、毛づくろいしたばかりの耳は、そこに押し殺した苦痛を聞きつける。
ロップは内緒話をするときのように、ちょいちょいと手招きした。
「なんだ?」
と、顔を近づけたシュロの黒髪を、ロップはぎこちない手つきで撫ぜた。
「これはもらいものの言葉ですが。『罪を恥じないやつは馬鹿だ。けれど、その罪に押しつぶされてしまうものもまた、馬鹿だ』」
「手厳しいな。それは、お前の先生の言葉か?」
「ん。――お前の悩みは、弱っちいウサギの獣人では、きっと分かることもできないものですが。
それでも。一緒に悩むことはできる。一緒に頑張ることはできる」
「……」
「お前を一人きりにしないことだけは、できる」
くしゃりと髪を撫ぜて、ロップはぱっと手を放した。
そうしてきっぱりと言い放つ。
「お前はこの試験に受かるべき。胸を張って挑め」
「……おう! 絶対受かってやるぜ!」
にかっと少年らしい笑みを浮かべながら、ロップの背中をぽんっと叩く。
ぴゃう、という小さな声と共に、彼女の小さな茶色の尻尾が、ぴるるっと神経質に震えた。
「さぁーってと。タルタロスの居場所って分かったりするか?」
「限りなくノー。……あのノーコンエルフを助けるつもりか?」
「まあな。ヴィクトリアはライバルなんだけどさ、危ないとこ助けてくれたし、恩返ししたいんだ」
「……理屈は、分かるです」
「だろ?」
あの時ヴィクトリアが乱入してこなかったら――。
シュロはこの試験を諦めることになっていたかもしれない。
何より、この小さなロップの命さえ危うかったかもしれないのだ。
そのことを思えば、このどこか間の抜けたエルフを少しくらい助けても、ばちは当たらないだろう。
「はぁ……仕方ないですこのマヌケ。ただ、ダロウの
「そりゃそーだわな。おっけ、じゃああそこで取っ組み合いしてる二人に伝えてくるぜー」
そう言ってシュロは、きゃんきゃんやりあっているトリニティとヴィクトリアの元へ歩いて行った。
*
ユヴァル率いる、ダマスカリア王国兵士たちの損害状況はひどかった。
傷ついた部下の治療に当たりながら、ユヴァルたちは作戦を立て直していた。
「くそ、あの馬鹿エルフめ……! 思いっきりやってくれたな!」
「凄まじい腕力でした。防衛軍にスカウトしても良いかもしれませんね」
部下の軽口を、ユヴァルは視線一つで黙らせた。
「あと少しでシュロが手に入るところだったのに。運がない」
「しかし、弱りましたね。相変わらずこの試験の試験官は、試験中止に合意しないようですし」
「チッ、厄介だな。やはりシュロ本人に断念させるしかない、か」
ダンジョンのボスに混合神を用いているため、このダンジョンは神との契約で縛られている。
神との契約である以上、人間側――試験官たちから、契約を破棄することはできない。
神であるトリニティも、試験の続行を希望しているので、このダンジョンでのダンジョン管理人の試験は、続行せざるを得なかった。
例え国王であろうとも、神と人との契約に口を出すことはできない。
ユヴァルに残された手段は、シュロ本人にこの試験を諦めさせることだけだった。
「ですが隊長、試験官からシュロ・アーメア――ルクトゥンの試験課題を入手することができました」
「あいつのことだ、既にほとんど集めてるんじゃないか?」
「はい、ただ一つ残っているのは、
「分かった。俺たちができるのは、その入手を阻むか、もしくは――」
通訳者であるロップを「五体満足」で帰さないこと。
非道であることはユヴァルが一番分かっている。
それでも、ウサギの獣人の体一つでルクトゥンを取り戻せるなら、安いものだ。
「殺しはしない。だが五体満足でこのダンジョンを出ることは、諦めてもらうしかないな」
「了解しました」
「……北方侵略の圧が増している。戦争は秒読みだ。何としてでも、シュロに戻ってもらわねば」
――それに、早くシュロを取り戻さなければ、自分よりもっと非道な上司が、動き出しかねない。
彼女のことだ。「五体満足? めんどくさいなあ、死んでもらった方が簡単じゃん」などと言いかねない。
己の無力さに歯噛みしながらも、ユヴァルは次の指示を飛ばした。
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