第35話 勝利

「ダンジョン再起動ってさ、詠唱にルールとかあんの」

「お祝いすればいいとハルシナが言っていたです。ええと……ことほ、が? ことほ?」

「……ああ、ことほぐ、か」


 シュロのダンジョン管理人としての最初の仕事は「デミ・ヴィラーズ」の再起動だった。

 管理人にはマニュアルがあるわけではない。ただダンジョンに干渉できる権利が与えられるだけだ。

 だから、どうやって再起動するかは、個々の管理人の手腕にゆだねられる。


「お祝い系の詠唱なあ……。俺、極力短い詠唱で魔術使うようにしてたから、あんま思い浮かばないんだよな」

「ハルシナのまねっこでも問題ないです」

「ま、最初だし、先輩にならわせてもらうか」


 シュロは気軽に言って、半壊したダンジョンの一番高い所に立った。

 ロップと、それから巨躯を器用に操ってここまでついてきた、タルタロスも一緒だ。


「なんでこいつまで……ま、いっか。死体はちゃんとお前に食わせてやるから、ちょっと待ってな」

『グルル』


 シュロは両手を合わせた。祈る相手は持たないが、とにかくハルシナの真似をした。


「『さあさ現われよ魔力の流れ、たゆたう太古の命の温度、たなびく炎ゆらめく水面に草生い茂る大地の轟き』」


 詠唱に応じて、ダンジョンの深いところからせりあがってくるものがある。

 手ごたえを感じてシュロは続けた。


「『シュロ・アーメアが世界の端より伏して乞う。生命いのちをつなぎ魔力を沸かし、ここに再び現われ出でて――どうか世界をよみしたもう!』」


 ぐ、ぐっと足元を押し上げてくる感触。魔力が奔流し、出口を求めて暴れまわっている。

 そうしてシュロの目の前で噴き出した。


 魔力に応じてダンジョンがせりあがり、時を逆巻くように破壊された部分が戻ってゆく。再生されてゆくダンジョンのてっぺんで、ロップはそれを見守っていた。


「すごい……! 初めてなのに、しっかりできてる」

「ほんとか? 良かった、一度見ただけだったから、けっこう自己流のとこ混ぜちゃったんだよな」

「じ、自己流でこれです? お前、ほんものの英雄」

「一応な。ほら、足元ぐらつくから、ちゃんと俺につかまってろよ」


 シュロの腰につかまりながら、ロップは感嘆の声を上げる。


「どんどん元通り。すごい!」


 ダンジョン管理人、そしてダンジョンのボスしか操ることのできない、ダンジョンの膨大な魔力。

 それはシュロの手によってたやすく飼いならされ、彼の意のままに動いている。


「うっし、これで魔力は元通り。トリニティがうまく翼を治せるといいんだが」


 ほどなくして、半壊したダンジョンは元の姿を取り戻した。

 その頂上で、シュロはロップをしっかりと抱きかかえながら、迫りくるデザストルを見据える。


「……あ、でも、これ、難しいです?」

「んー?」

「けものの背中に魔術陣はある。そこに攻撃をする必要があるってことは――あいつを、振り向かせなきゃです」


 考えてみれば当然だ。背中を攻撃するには、相手を振り向かせるか、こちらが後ろに回り込まなければならない。

 ダンジョンを砲台とするならば、後者は不可能だ。ということはデザストルを振り向かせる必要が――。


「いや、それは必要ない」

「? でも……」

「こっちにはヴィクトリアがいるからな」


 シュロは続けてダンジョンから魔力を吸い上げ始める。

 デザストルの魔術を打ち砕く一撃のために。


「”紅花べにばな””鬼百合おにゆり””紫陽花あじさい”――最終展開」


 シュロの眼前に魔術陣が現れる。何百にも折り重なった魔術陣は、シュロが剣先に展開するものよりも、文様が細かい。

 草花、けもの、天候にアルファベット。様々な意匠の刻み込まれた魔術陣は、一列に行儀よく並んでいたが、やがて静かに回転し始める。

 回転と同時に、左右上下に広がり始めた魔術陣は、やがてデザストルの巨体さえも覆いつくすほどの面積にまでなった。


「みっちり、重たい魔術陣……。さすがです、シュロ」


 まだ魔力が通っていないのに、この密度、この存在感だ。

 この魔術陣にダンジョンの魔力を通せば、それは確かにデザストルを打ち砕く一撃になるだろうと思われた。


 しかし、デザストルは依然としてこちらを向いている。背中を見せる様子はない。

 シュロはにやりと笑った。


「こっちの準備はできた! ヴィクトリア、トリニティ! ――頼んだぞ!」



「あ、ゴーサインきた。準備おっけ?」

「よくってよ」


 場所は上空。デザストルから少し離れたその場所に、二人はいる。

 シュロが復活させたダンジョンの魔力によって、既にトリニティの翼は元に戻っている。傷だらけの体も、乙女のようになめらかだ。


「さすがに神ともなると、治癒魔術なんて一瞬ですのね」

「一応、女神ですので」


 元通りの三対の翼をもつトリニティに横抱きにされているのはヴィクトリアだ。その両腕に月見ず月の女神の小手を装備している。


 だが、いつもと様子が異なるのは、その小手の装飾が増えているためだろう。輝きも以前と全く異なる。

 トリニティは魔術で、ヴィクトリアが空中に立てるように足場を作ってやった。


「私の分まで、ぶち込んできてやって!」

「お任せなさいな!」


 足の裏に展開された見えない魔術によって、空中に降り立ったヴィクトリアは、不敵に笑って小手を打ち鳴らす。


 ガキィイインッ! というすさまじい音が鳴り響き、衝撃波がデザストルを挑発する。

 うろんな目がじとりとヴィクトリアを睨み上げる。

 ヴィクトリアは臆せずその目を睨み返した。闘志に満ちたその琥珀色の瞳は、己の勝利を信じて疑わない。

 ――その小手は、月見ず月の女神の祝福を最大限に受けた、ヴィクトリアの必殺の武器。その武器を帯びて、どうしてヴィクトリアが敗北することがあるだろうか。


「はっ! 巨獣だろうとなんだろうと、私の双腕でことごとく灰燼かいじんに帰して差し上げますわ!」


 二度、三度と小手を打ち鳴らす。そのたびにデザストルは不服そうなうなり声を上げた。

 ヴィクトリアはそのさまに、いっそう笑みを深くする。


「『月見ず月の女神の加護受けし、我が聖なる右腕よ! 妙なる女神の御名において、ものみな全て打ち砕き、ともがらの道を切り開かん!』」


 ヴィクトリアが空中を蹴る。エルフらしい素早い動きに、デザストルはまたぐるるっと唸り、右腕を振り上げた。

 小バエを追い払うかのような動きを、華麗なフットワークで避けたヴィクトリアの右腕が、魔力を帯びて輝き始める。


 それは彼女の持つ全ての魔力。密度の濃いエルフの魔力が、右腕に充填されている。

 普通の攻撃でも地面を耕すほどの力を持つヴィクトリアの右ストレートに、全身全霊の力が込められてゆく……!


「よくもトリニティの翼を焼いてくれましたわね? そのツケ、きっちり耳をそろえて返して頂きますわよ」


 突き出されたデザストルの腕を避け、左足で足場をしっかりと踏みこむ。

 腰を回転させながら、彼女の右ストレートが狙うのは――デザストルの小さな頭部。

 うなりを上げながら迫りくる拳を避けるすべを、巨獣は持たなかった。


「頭が高くてよっ! ――ひざまずけッッッ!」


 ヴィクトリアの右の拳が、ものすごい速度と密度でもって、デザストルの頭部をぶち抜いた。

 この拳を受けてなお、砕けぬ頭蓋を持つデザストルはさすがに、凶兆のけだものだけのことはあった。

 しかし、さしもの巨獣も頭頂部にものすごい打撃を食らって、無事に立っていられるはずもなく。


 バランスを保っていられなくなった巨体が、宙に浮く。

 後ろ足が浮き、一撃を食らった頭が地面にめりこむ、と同時に――。


 魔術陣の刻まれた背中が、シュロの射線上に晒される。


 ほんの一瞬、かすかなチャンス、けれどヴィクトリアが作り上げたその隙を、シュロは確実に掴んでゆく。


 ダンジョンの頂に凄まじい魔力反応。

 シュロが展開した恐るべき密度の魔術陣に、その魔力が充填されてゆく。

 最終展開とはすなわちシュロが放つ最大威力の魔術だ。魔力を帯びて赤く輝く魔術陣は、その輝きで青空をも赤く染めてゆく。

 

「――ぶち抜け」

 

 シュロの呟きと共に、赤い光線が、晒されたデザストルの背中目がけて放たれる。

 またたきさえ許さぬ神速の一撃は、確実に、デザストルの背を抉り焼いた。


『ギャアアァァァァアアアッ!』


 それでも、体を貫通しなかったのは、ひとえにデザストルの頑強さゆえだろう。

 背中の魔術陣を跡形もなく焼かれ、デザストルは地面に倒れこんだ。


 巨体が地面に倒れる音が、辺り一帯に響く。


 ロップが耳をそばだてた。デザストルを食べられると思って、よだれを垂らしているタルタロスを、片手で制す。


「……まだ生きてる!」

「だろうなあ」


 そこへ通信が割り込んでくる。


『のんきに言ってる場合か、シュロめ』

「マツリカ。デザストルの防御魔術の解除はどうだ?」

『ふふん。聞いて驚け! たった今この僕が! 全部! 解除したッ!』

  

 ぜえぜえと息を荒げている。数百万も展開された執拗な防御魔術は、同じく執拗な魔術師の手によって、全て解除された。


「てことは、今なら攻撃しても防がれないってことだな」


 絶好の好機だ。

 シュロは足元の地面に両手を押し当てる。


「シュロ?」

「俺は――ダンジョン管理人だ。ダンジョンの治安を維持し、ダンジョンを守る」


 だから、とシュロは再び詠唱を始めた。

 けれどそれはハルシナの唱えたものと少し違っていた。


「『シュロ・アーメアが世界の端よりこいねがう。英雄を堕とすまがぼしをば、その力で射抜かせたまえ』」


 ダンジョン内から吸い上げた魔力を、鋭く練り上げてゆく。


「とっておき、行くぞ――”向日葵ひまわり”最終展開」


 ごうっと地響きがとどろく。地面の下を大蛇のごとく這いまわるシュロの魔力は、そのままデザストルにまっすぐ向かっていって――。

 

 巨獣の腹を貫く槍となった。


 地面から生えたのは、シュロの魔力をまとったダンジョンの一部だ。岩と輝石が一体となったそれは、剣よりも鋭くけものの爪より長い。

 それは高く高く、太陽を目指すあの黄色い花のようにそびえたつ。


 深々と腹を射抜かれたデザストルは、聞くに堪えない断末魔を吐き散らかす。

 暴れる体から、魔力と血がほとばしり、森全体を汚してゆく。


 けれどそれもわずかのことで。

 ――やがてデザストルの巨躯は動かなくなった。


「……」


 耳をすませていたロップの体から、緊張がゆるむ。それだけでシュロには分かった。


「心臓の音、聞こえない。……デザストルは死んだです」

『ピギイッ!』


 歓喜の声を上げてタルタロスがダンジョンを駆け下りてゆく。ゴキブリのような素早さでダンジョンを降りて行ったかと思うと、地中を潜っていった。

 通信魔術ごしに、マツリカとユヴァルの安心するような声が聞こえてくる。


『……魔力反応もない。殺せたと見ていいだろう!』

『一時はどうなることかと思ったが……!』

『さーて、これだけのデカブツだ、採取できる素材もさぞや……ってうわあっ!? タルタロス!? く、食うなかじるな舐めまわすなっ! それは僕の獲物だーっ!』


 マツリカとタルタロスが、デザストルの死体を奪い合っているらしい。

 勝負はなんとなく見えていたので、そっちは放っておくことにする。

 

 ロップとシュロはダンジョンの下に降りた。

 と、頭に包帯をぐるぐると巻いた試験官が、使い魔の手を借りて歩み寄ってきた。


「なんともまあ、私が気を失っている間に全部済んでしまうとは」

「頭の怪我、大丈夫か?」

「この程度は問題ありません」


 それにしても、と試験官はきろりとシュロを観察する。


「なるほど。ダンジョン管理人の試験基準を満たし、ダンジョンを操る資格を得た――というわけですね」

「なあ、俺は管理人の試験に合格したってことでいいんだよな?」


 試験管は長い溜息をついた。


「立会人もなしですが、ダンジョンの魔力を使ってあの巨獣を倒したのですから、ダンジョン管理人としては既に十分な働きをしました」

「てことは」

「ええ。合格です。恐らくは今回の試験唯一の、ね」


 シュロはにっこり笑うと、そばに立っていたロップをぎゅうっと抱きしめた。


「こ、こら……っ」

「やった! やったやった合格だって! 合格だってさー!」

「ダンジョンの魔力を使えた時点で、とっくに合格だったです。いまさら」

「それでもこうやってお墨付きもらうとさー、ほんとに合格したんだ! って実感がわくだろ!」

「……もう。子どもかお前は」


 そう言いながら、ロップはふわりと微笑んだ。

 めったに見られないロップの笑顔に、シュロはますますはしゃぐ。抱きすくめたロップの尻尾の感触をこっそり楽しみながら、つぶやく。


「勝ったんだな、俺たち」

「違う。――お前が、夢をかなえた」

「だから、つまり、勝ったんだよ」

「……そう、ですね」


 だからロップは、こっそり尻尾のふさふさを堪能するシュロを、少しだけ見逃してやることにした。

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