イリーガルフィッシュと忘却の空③
荷台に虫除けスプレーをぶん投げて「さて、行くか」とリアゲートを勢いよく閉めたときだった。
さっき猛スピードで追い越していった艶消し緑のラングラーが低いマフラー音を唸らせながらこちらに向かって走ってくる。ボンネットに白文字で書かれた硬派な書体を見るに、堅気の方々ではないことが伺える。余計なことに巻き込まれなければいいが……。
願いも虚しく、ラングラーは俺達の目の前まで来ると、用水路側の路肩で停車した。ウィッチさんは既にワクワクが止まらない様子だ。リフトアップされた大柄な車体のエンジンが止まるとすぐに、男がふたり降りてきた。
「こくぞくとうばつ? 欲しがりませ────」
「────おい、バカやめろ」
ラングラーの右側面に硬派な書体で書かれた「国賊討伐」の文字に少し怯み、ウィッチが声に出して読み始めたのを遮ると、運転席から降りてきた紫の短パンに、細かい柄が入った白い鯉口シャツを着た男がチラッとこちらを見たが、すぐに用水路に向かって歩いていく。
「国賊討伐っ! 欲しがりません勝つまでは!!」
結局、辺りに響き渡るような馬鹿でかい声で何かを宣言してしまったウィッチさんは、見事な敬礼をキメた。
「アーユーファッキンナメリケン?」
鯉口シャツの男が用水路にいたバサーのひとりに何か聞いている。
「え? なんすか?」
バサーはスピニングロッドを握りしめキョトンとしながら聞き返す。
「アーユーファッキンナメリケン!? ハァン!?」
バサーがかけているサングラスに鼻先が当たるんじゃないかというくらい顔を近づけて、鯉口の男はもう一度同じ質問をした。
「え? 何この人?」
バサーは近くにいた仲間にヘラヘラしながら茶化すような口をきいた。バカか?相手をよく見ろと思ったが、もう手遅れだ。
「「貴様はクソッタレなアメリカ人か? この野郎!!」と聞いているんだ!! 馬鹿野郎!!」
鯉口の男の後ろに立っていた、緑色の硬派なワークウェアを着た男が、怒鳴り散らしながら前に出てくると、有無を言わさずバサーの側頭部を平手で打つ。身構える間もなく強烈な一撃を喰らったバサーは地面に勢いよく転がった。
「英語がわからないのか? なら貴様はフランス人か!?」
緑の男は更に追い討ちをかける。仰向けに倒れたバサーの顔面を、雪駄を履いた足で思い切り踏みつけ、動かなくなったバサーの髪の毛を掴み上げると左右の頬に二、三発、往復で平手をかました。
「アーユーファッキンナメリケン?」
鯉口の男が隣にいたバサーの仲間に同じ質問をする。
「え、い……や、あの……」
バサーの仲間は完全に怯えていて、質問に答えられそうにない。
「アー、ユー、ファッキン、ナメリ、ケン?」
バサーの仲間にゆっくりと同じ質問を繰り返す鯉口の男の肩を、ウィッチがポンポンと叩いた。
────!?
「クソ、アイツいつの間に……」
呆然としていて気付かなかった。慌ててウィッチの元へ向かったが、駆けつけるより先にウィッチが何か言い始める。
「Why can't you see? He is japanese」
ヤバい……
「見りゃわかんじゃん。アメリカ人がネコリグ投げてヘコヘコやってるわけなくない?」
ダメだ……『ネコリグ』が伝わるような連中じゃない……。確かにそのバサー達はネコリグを投げて足元でヘコヘコやっていた。でも、ダメだ。
「なんだ? このアマぁ!?」
怒鳴り声を上げながら緑の男がウィッチに2、3歩近づく。当然、ウィッチさんは男を見据えたまま一歩も引かない。
クソ……マズい…………。日本が……日本がどうにかなってしまう……と思われたが。大惨事の予感に反し、鯉口シャツの男がウィッチに凄んでいく緑の男を制すように肩口を軽く小突くと、右手を腰にを当て太々しい態度をみせている太もも剥き出しの女に向かって口を開く。
「そうだなぁ……ネェちゃん。アメリカ人はスピニングなんか使わねぇわなぁ?」
鯉口の男がそう言うと、緑の男が横で怯えているバサーの持っていたスピニングロッドをふんだくり「バキッ」と膝でへし折って用水路へ投げ捨てた。
その様子を尻目にウィッチさんはTシャツの襟元を掴んでパタパタと仰いでいる。おそらくまだ、中がベタついてしまってシックリきていないと見受けられる。
「オレはなぁ……ネェちゃん。ストロングな釣りが好きなんだ……でもここは日本だ……世の中うまくいかねぇもんだよなぁ?」
鯉口の男は駆けつけた俺をチラッと見ると、胸ポケットからタバコを取り出して火を付け、視線を落とし、もう一度、俺の方へ顔を向けるとタバコを持った手で頭をポリポリと掻いてふっと鼻で笑う。
「黄色に紫なんてシャレてんじゃねぇか。日本じゃ見かけねぇぞ? そんなヤツぁ」
鯉口の男がそう言ってタバコを一口吸うと、緑の男も吹き出す様に小さく笑った。ウィッチさんも「ひゅ〜う」と小さく口笛を吹いた。
気を失って倒れていたバサーが「うぅっ……」と呻き声を上げた。ウィッチが駆け寄り「大丈夫?」と声をかける。その様子を黙って見ていた鯉口の男が何か思い出したように振り返り、タバコをくわえながら目を細めると「あれは兄ちゃんの車か?」と藪側の路肩に止めてある俺の車を顎で指す。
「ん? まぁ」
「アメ車はいいよなぁ? でもよぉ……愚図ると手がつけらんねぇんだわ…………」
鯉口の男がタバコを足元に落とす。転がった吸い殻をクリーム色のスリッポンで踏みつける。それを合図にしたのか、緑の男が横で固まっているバサーの胸をポンッと軽く押す。地面に尻餅を付いたバサーに一瞥をくれ、こちらに向かって歩るき出す。俺が少し身構えると、緑の男はすれ違いざまに「ブラッ!」と拳を突き出し、そのまま素通りしてラングラーの助手席に乗り込んでいった。
「ネェちゃん……面倒かけたな……」
倒れたバサーを抱き起こしていたウィッチが「It was blah blah blah......」と頭を左右に振って見せると、鯉口の男は下を向いてふっと鼻で笑い、頭をポリポリと掻いて歩き出す。
細かい柄の入った白い鯉口シャツに紫の短パンを履いた男は、すれ違いざまに俺の肩をポンポンと叩き「アメ車は……愚図ってなんぼだけどなぁ」と呟いた。ラングラーに乗り込んでいく男の後姿が……なんだか懐かしく感じた。
「なんだったのあれ?」
「俺に聞くな……」
しゃがみ込んだウィッチの膝に寄りかかってうな垂れていたバサーに肩を貸して立たせてやる。腫れ上がった顔面は暫く見れたもんじゃないだろう……。
ぼーっと突っ立っていた仲間のバサーに「まだ釣りしてくのか?」と聞くと、慌てたように首を振る。
路肩に止まっていたラングラーが走り出すと、ルーフの上に幾つも設置された拡声器から、何万回も聴いた馴染みのあるシンセサイザーのメロディが大音量で鳴り響いた。
『約何年経ったろう……』
出だしのフレーズが聞こえるとすぐに……おそらく緑の男がマイクで喋り始める。
「我々は日本の国益を損なう恐れのある侵略的外来種に対し──────」
橋を越えたラングラーが畑の真ん中の道を突っ切っていく。時折、甲高いシンセサイザーの音が聴こえる。バサーの背中についた泥を払いながら、ウィッチが遠くで聞こえるシンセサイザーのメロディに合わせて口笛を吹いている。
雲の裏に入った太陽を眺めていたら、焼けた目がしょぼついてくる。軽くこすって目を開けると、なんだか景色が少し────灰色掛かって見えた。
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