ビッチ・エクス・マキナ②
ファミマの駐車場の片隅に置かれた水色のベンチでタバコを吹かす。雲の裏に入った月が、ぼんやりと蒼白い光で夜空を照らしている。横に座ったババアは『クエルボ』をラッパ飲みでキメている。
もう、何も言うまい……。
「あんた、いつまで着いてくるんだ?」
「しつこいって……言いましたよね?」
「何もないなら帰ればいいじゃないか……」
先週、磨きをかけた俺の車を見ると、水銀灯で照らされてありえないくらい輝いている。ホイールまでピカピカだ。それにしても、このキチガイがバレないようにだだっ広い駐車場の端っこに止めたのに、わざわざ隣に止めているあの黒のエクストレイルはなんなんだ? 邪魔だからどけろ。
「お嬢……泣いてたみたいですね……なんで?」
「俺に聞いてるのか? たぶん、悪業を目の当たりにして、あまりにも酷い惨状に良心が痛んだんじゃないか?」
「ふーん。これ、飲みます?」
…………。
ババアが立ち上がりクエルボの空ボトルをゴミ箱に放り込む。心なしか足元がおぼつかないように見える。
「そろそろ……んっ……いきま……しょうか?」
こいつ……大丈夫か? ゲボ吐くならお手洗いで吐けよ?
「行くってどこに?」
「さあ?」
「あんた、マジで何しに来たんだ?」
「だから……言ったじゃないですか……お嬢じゃなきゃ……っん……」
くそババア……足ふらついてんじゃねぇか。てっきり、常識外れアピールとか、そういうアレかと思ったぞ。いや、フルサイズクエルボ一本は十分アレか……でも、邪眼だからって大してアレなんだな。
深夜というにはまだ早い。当然、客足は絶えない。キチガイがテキーラをラッパ飲みしてるって時点でもう、場は騒然としていた。近づいてくる奴、遠くから写メ撮ってる奴、全員に睨みをきかせてなんとか制圧したが、千鳥足のキチガイとなると厄介だ。ずらかった方がよさそうだな……。
ほぼ自分の足で立ってないキチガイに肩を貸してやると、相変わらずキャラメルと線香の匂いがする。
「もう、帰れば?」
「いいじゃないですか……もう少しだけ……」
なんなんだ?……
助手席のドアを半分開け、なんとかババアを押し込み、隣のエクストレイルに蹴りをくれてやろうかと思ったが『拳銃及び適合実包六発の加重所持』を思い出し踏み留まる。だいたい、運転手はどこ行ったんだ? 店の中にも居そうにない。ここは月極か何かか? だとしたら、俺が悪いな。
運転席に乗り込むと、助手席に押し込まれぐったりしていた筈のババアが、目隠しを巻き直していた。もう、何も言うまい……。
「やっぱり……気になります?」バイザーの鏡を見ながらババアが口を開いた。
「別に」
「ふーん」
目隠しがキマったみたいでバイザーを上げると、今度は太ももに食い込んだ黒いタイツの裾を、ゴソゴソやり始める。スカートのスリットの隙間から覗くパンツの紐は、もう蝶々結びが蝶々じゃなくなっている。
「あたし……酔ってるみたいですけど……どうします?」
くそババア……こいつ、どういうつもりだ?
「邪眼でも酔うのか?」
「あたりまえじゃないですか……酔わないお酒なんて……意味ないですよ……」
「ふーん」
ババアに肩を小突かれた。目隠しのせいで表情は読み取れない。
「そういえば、これ──────」
────ババアが、後部座席に置いてあるTシャツでグルグルに包んだリボルバーに手を伸ばした。そして、おそらく今、肘掛けに置いた俺の腕にわざとおっぱいをこすった。随分とクラシカルな手を使うじゃないか。
ババアはリボルバーを取り出し、黒いTシャツにプリントされた、全身タトゥーでフライパンを持った女のイラストを見て首をかしげている。
「まだ、必要ですか? これ……」
「さぁ? 俺のじゃないしな。ガキに返してやれば?」
「そうですね……じゃあ、返しといてください」そう言いながらもう一度、リボルバーをTシャツに包み直している。
「俺が? ガキに会うかどうかもわかんねぇんだぞ? あんたの魔法でなんとかしろよ」
「まぁ、いいじゃないですか────」
────さっきより丁寧に包まれたリボルバーを後部座席に戻そうとするババアのおっぱいを、コンソールから腕をどけて
薄睨みをきかせる俺を見て、ババアはクスっと笑った。
「ところで、いつまでここに居るつもりですか? 早くエンジン掛ければ?」
「あんたが帰るのを待ってんだよ」
「ふーん」
シートに深く腰掛け、フロントガラス越しに夜空を眺めると、雲の裏から顔を出した月が、淡いグリーンの光をチラつかせている。もう、今日中には帰れそうにない。そういや明日、リビエラに呼び出されてんだっけ……。たぶん……ウィッチさんも顔出すよな? なんだか気まずい……。
「お嬢がなんで泣いてたのか……知りたいですか?」
……こいつ……噛んでるのか?
「別に? 今度、会ったら聞いてみるよ」
「会ってくれるといいですね……」
鼻で笑って返すと、ババアが目隠しの結び目に指先を這わせ、ほどき始めた。
……クソ
「なんで外すんだよ」
「ん? してた方がいいですか? どうします? 好きにしていいですよ?」
クソ……突破口を開いてしまった……。
「しとけば?」
外されたらマズい……目で殺される。
ババアが可笑しそうに笑った。
「そういう趣味なんですね? いいですよ。しときます……」
クソ……呑まれたら持ってかれる。
「どういうつもりか知らないけど、いいかげん帰ったらどうだ? 俺は、ガキにもババアにも興味はないよ?」
「もぅ……ひどいなぁ」
ババアが口を尖らせる。ちょっと言い過ぎたか?……
「でも……あたし、ばばあに見えます? ちょっと触ってみます?」
見えねぇから困ってんだよ! 本当なら、てめぇを引きずり下ろして帰りたいところだけど、困ってんだよ。なんかプレステのゲームのお姉さんにしか見えねぇから、困ってんだよ。
「あたし帰りませんよ? どうします? ちょっと触ってみたら?」
クッソ……
「……なんか怖いじゃん……あんたに手ぇ出したらなんか……」
ババアが目隠しをした顔を耳元まで近づけてきた。とんでもない近さだ。ビビって少しのけぞると後頭部がガラスを掠めた。髪型が崩れてしまったのではないかと気になって、右手を上げた瞬間、手首を思いっきり掴まれた。
マズい……
「大丈夫ですよ?……心配しないで?……ちょっと触ってみて?……」
……ちょ、ちょっとだけなら大丈夫かな?
「ほらぁ……見てくださぃよぉ……ハートでもぉ……ウルトラスリットでもぉ……ニーハイでもぉ……んっ……好きにしていぃんですよぉ?」
なんだ? なにが起きてるんだ? クソ────
「────ちょっと待て。あんた、目的はなんだ?」
「あたしに聞いてるんですか? 小悪魔ですよ? 嘘と虚構と……いやらしい体……だけで出来てるんですよ?」
────!?
詰んだ……いつの間にここまで持ってこられた?目隠し有りだぞ? プロか? こいつ……小悪魔のプロか?
「なんなら、見せましょうか? どのくらい…………いやらしぃか…………」
ババアが何処に付いてるのかよく分からないジッパーを開ける音が、えらく静かな車内に小さく響く。
嘘と虚構?────この小悪魔め────よく分かんねぇよ──────
「悪いね。ババア。恥かかす様だけど、あんたに手ぇ出す訳にはいかないかな?」
「キヒヒ」
「あたりまえだ。くそガキ。調子に乗るな」
「あぁ、それから、あたし
「ふーん」
隣のエクストレイルの運転手がいつのまにか、淡いオレンジの水銀燈で照らされながら、車内でスポーツ新聞を広げていた。
ババアは小さく笑い、俺の肩を小突いた。目隠しのせいで────表情は読み取れない。
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