エリア048・スラムドッグス・ラプソディと魔女おばさん②
民度の低い土地にも関わらず、日曜の午前中に窓口を開けてしまった越谷市役所の裏口から建物内へ入り、鉄火場になっているであろう窓口の方に目をやると、怒号が飛び交い、チャカのひとつやふたつ転がっててもおかしくない程の『地獄絵図』が広がっていた。
そんな愚民どもを尻目に、俺は『関係者以外立ち入り禁止』の札が掛かった地下への階段を降りる。
薄っ暗い廊下を歩いて一番奥の部屋に入ると『政府機関、第1ターミナル、特殊能力保持者等監視部、関東総合支所』の名に相応しくない、バランスボールでも転がってそうなLED照明で煌々と照らされた意識高い系のオフィスが広がっている。因みに上の階には13ターミナルのなんとか支所が入っている。当初、どちらが上か下かで大揉めに揉めたらしい……。
なんだか忙しそうなオフィス内を、そそくさと歩いて奥のリビエラが居るであろう仕切りの方へ向かっていると、刈り上げマッシュルームの舎弟に見つかった。
「B・Bさん。今はダメっす。ボス、髪染めてんすよ」
──!?
嘘だろ? か、髪を染めてるの? 仕事中じゃないのか? いや、仕事中とかそういう問題じゃない……朝から、ここで髪染めんの? 嘘だろ?
「……嘘だろ?」
「いつものことっすよ。会議室の方で待ってて下さい」
舎弟に案内されて、こじんまりした会議室に入ると、そこは地獄だった。
「んじゃあ、ボスには伝えときますんで、暫くふたりで待っててください」
…………嘘だろ?
黄色いバンダナリボン。アメリカのギャングみたいな巻き方。ゴールドの鎖みたいなピアス……。
妙にダボついた黒いTシャツ。胸元に迷彩柄の
抜き文字で『KASHIWACHOGYO』とプリントされている……。
えらく静まり返った、窓のない会議室……。
くそアマ尻ガール……。
テーブルの向こうに座って、無言で俺のことを見つめている。その目はまるで『大地主のとこの次女』みたい────
クソ……何て声掛けりゃいいんだ?「やあ」か? いや、ダメだ……ガキの話には触れてはならない。
とりあえず、くそアマの正面に無言で座ってみた。
「…………」
いや、ダメだ……気まず過ぎる。かといって隣に座ったらキチガイでしかない。斜向かいだ……斜向かいしかない。
無言で立ち上がり、斜向かいに座ってみた。
「…………」
ダメだ……とりあえず、タバコでも吸ってみるか?
タバコを取り出して吸ってみた。
──────!?
火災報知器がけたたましい音を立てて「火事です。火事です」と騒ぎ始めた。
「ちょっと、嘘でしょ? 馬鹿じゃないの? どうすんのよ?」
口をきいてくれたが、それどころじゃない。慌ててテーブルの上に乗り、天井に取り付けられた火災報知器をもぎ取る。
「火事です。火事で────」電池を抜いて黙らせてやった。
「それ、どうすんの?」
くそアマの目線を追うと、転がったタバコが真っ白いテーブルを焦がしていた。慌ててタバコを手で払い、床に踏み付け、火災報知器をテーブルの上に置いて焦げ跡を隠してやった。「ふぅ」とひと息ついて、くそアマの正面に無言で座ってみる……。
「…………」
ダメだ……。
俺は無言で立ち上がり、出入り口のドアに手を掛けた。背後から聞こえる小さな咳払い。直後、こじんまりした会議室に響く、妙に懐かしい声色。およそ二ヶ月振──。
「ねぇ、喉渇いたんだけど」
「ああ、そう」
…………。
「……コーラでいいのか?」
「……うん。でも、やっぱいい」
思ったよりも近くから返事が聞こえて焦った。振り返って確認しようとした瞬間だった────
背後からくそアマに抱きつかれると、キャラメルと線香の匂いがした──────
どういうことだ? まさか、そのノーブラのおっぱいを急に擦り付けたくなった訳じゃないよな? だとしたらキチガイ過ぎる。なんだこれは?
…………まあ、そういうことなんだろうな。
ドアノブに手を掛けたまま、暫く身動きが取れないでいた。この土壇場ですら、どう声を掛けていいのか分からない己の不甲斐なさを恥じた。
「お前……タイムリープしてね?」
「……うん」
よかった……。「ちょっと、いい加減にしてよ」を頂くのを覚悟していたが、この『スピリチュアルフレーズ』は正解だったようだ。
「……何回も……何回もした」
背中越しに聞こえるくそアマの声は、なんだか少し笑っているような気がした。
「ああ、そう」
何回もしたの? 何回も?
「『ねぇ、叔母さんは……セクシー女優……』」
「何それ?────」
「────なんでもない」
知らないんだ……あのくだりは知らないんだ。何回もしたのに……? ん? いや、あれは俺の方のやつか。俺の方ではこいつは死んだから、ん? 今のこいつは、いつのこいつだ? 売春婦になる前か? いや、目玉のくだり……。
「そういえば……おばさんって、誰のこと言ってたの?」
それは知ってるんだ…………そりゃそうか。
「お母さんの……妹のことだ……『魔女叔母さん』て呼ばれてる」
「ふーん」
両腕をもの凄い力で締め上げられている。でも、おっぱいも凄いことになってるから、win─winの関係だ。なんなら、俺はただじっとしてるだけだ。ノーリスクハイリターンじゃないか。
ん? 待てよ?「ふーん」だと? まさか、俺とババアの『ふーんな関係』も……。
「そういや、ババア飛んだぞ?」
「……うん。そんな気がしてた」
このアマ、いつまでおっぱいをくっ付けてるつもりだ? キャラメルと線香で鼻が馬鹿になりそうだ。越谷市役所の地下で俺を殺すことになるぞ?
「ガキ──、リコちゃんの44……無くなってたから……」
やっぱり、アレのせいなのか? ババアめ……。そんなことより、ガキって言った。こいつこの期に及んでガキって言った……。
「B・Bがスカートめくったとき……また死んじゃうんだって思った……でも、死ななかった……誰も死ななかったんだよ……」
「そうだな……誰も死ななかった」
でも、アレはスカートじゃない。ワンピースなんだよ……死んでるんだ。俺は死んでるんだよ。社会的に。
「でも、何であたしがタイムリープしてるって分かったの?」
ん? 昨日寝ないで考えたからだよ……俺が何で死なずに済んで、ババアが何で飛んで、くそガキのリボルバーが何で俺の車に転がってて、てめぇが何でお巡り呼ぼうとして、てめぇが何で泣いてたのか……。
「なんとなく」
「……そう? でも、なんでゴルばあちゃんのこと……? ゴルばあちゃん大丈夫なの?」
間違いない……このくそアマ、てめぇとガキが死んで、俺とババアがふーんな事には気付いてない。ババアめ……ややこし過ぎんだよ。あと、タイムリープって言うの、なんかガチっぽくて恥ずかしいからやめてくれ。
「ババアのことだ。その内またひょっこり顔出すだろ」
「そう……だね」
「ところで、そのおっぱい──────」
──────そのおっぱいって、触ってもいいヤツ? と言いかけたとき、手を掛けていたドアノブが勝手に回った。
マズい……
「おい、誰か来たぞ」と言うより早く、扉が開いた。手遅れだった。俺は背中に、背中にノーブラのおっぱいを押し付けられたまま、コーラのペットボトルを両手に持って会議室に一歩踏み込んだ舎弟と目が合った。
「マジすか? 人の職場で何してんすか? え? マジすか?」
こいつ……バラしちまうか? 舎弟の胸ぐらに手を伸ばしかけたとき────
「────おい、バラすなよ?」 極東の魔女が俺の背後から言い放った。極東の表情は見えないが、目を見開いて黙って何度も何度も頷く舎弟の様子を見れば、容易に想像が付く。
「おい、コーラ置いてすぐ失せろ……」
舎弟は、俺にコーラを手渡すと一目散に逃げていった。
やっと背中からおっぱいを離してくれた極東は席にお戻りになられ、俺は舎弟から受け取ったコーラを一本、極東に差し出した。
「ねぇ、B・B?『そのおっぱい』って何?」
「さぁ?」
よく冷えたコーラをひと口飲むと、なんだかタバコが吸いたくなってくる。火災報知器はもう無いから、ここで吸っても大丈夫だろ?つーことで、火をつける。なんなら、火災報知器の電池のところを灰皿替わりにしようと思い付き、ひっくり返して灰を落とす。「ちょっと、ありえなくない? 頭おかしいんじゃないの?」と言いつつも極東は、なんだか可笑しそうに笑っている。
久々にこいつが笑ってるところを見た気がする。
何回もした……か。こいつ……何回、見たんだろう? 何回、くそガキを……バラしてはないんだろうな……あの時の様子じゃ……。俺とは別のやり方だったんじゃないかな? さすがに、スマート儀式に手は出してないだろ?
ん? あの時? そういや、こいつ……笑ってたな……。
「リコちゃん、バラしてやろうか?」
「なんで? 別に……いいよ。嫌いじゃないから」
「ふーん」
俺も別に嫌いじゃない。でも…………まぁ、いいか。
「じゃあ、バスプロは?」
「だから、いいってば」
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