第7章
イリーガルフィッシュと忘却の空
「っん……ぁ……ッ……やだもぉ……ッ……こんなとこ……まで……」
「…………」
ウィッチさんがポテトをばら撒いたせいでベタベタになった脚をゴシゴシ拭いているのを尻目に、畑のど真ん中を突っ切るように進んでくると、目の前に水抜き池の藪が広がり小さな橋が見えてきた。
妙に新しく見える真っ赤な欄干の小さな橋を渡るとすぐに右折して、藪と用水路に挟まれた少し広めの道に入る。延々と続く用水路には、見えるだけでも12、3人のバサーが居る。これだけ人気のあるスポットなのに左手に広がる藪の中にブラックバスがたくさん釣れる池があることを誰も知らないのだろうか?
と、最初は思ったのだが、さっきこの道を何往復もしていたときに気がついた。知っていようがいまいが、まずこの藪に入ろうとするバサーがいないのだ。『森』と言ったほうがしっくりきそうな『藪』が用水路に沿って続いているのだが、一見すると見逃してしまいそうな獣道がいくつかあるだけで道と呼べるようなものは見当たらない。路肩にはバサーの車が何台も止まっているが、用水路で釣りができるならわざわざ藪に入る必要なんてないのだろう。
つまり、この藪に入ってブラックバスがたくさん釣れる池に行くのは、ブラックバスを釣って生計を立てている連中ぐらいってわけだ。
そもそも、そんな池の水が抜かれたからといって、役所に抗議が殺到するほど『困る人』がどれだけいるのだろうか?
まぁ、その辺の事情なんて俺には関係ない話だ。
俺はとにかく池の水が抜かれるのを阻止すればいい。あとはターミナルからの依頼、ウィッチの護衛というか日本沈没の阻止という壮大なミッションをこなせば任務完了である。
「で、これどこから入るの?」
ウィッチが呆れたように聞いてくる。
「わからん、だいたいリビエラも知らないってどういうことだ? 何しに来たんだよお前らは……」
「あたしは別に、バミューダのガキを監視してちょうだいって、頼まれただけだし、池のことなんて知らないよ」
ガキって……
「監視つったってガキの居場所が分からなきゃどうしようもないだろうが」
「だから、池に居るんでしょ? はやく連れてってよぅ」
「いや、だから────」
突然、後ろを走っていたラングラーに猛スピードで追い越された。ちんたら走っていたのが気に入らなかったのかな?
「なに? 今の」
「さぁ? 畑んとこの信号あたりから煽られてはいたんだが、無視してたんだ」
「そう? 気づかなかった」
てめぇはベタベタになった脚をゴシゴシ拭いてたからな、とは言わないでおいた。
それにしてもあのラングラー、艶消し緑のオールペン、ボンネットにはでかでかと政治結社がどうのこうのと書いてあったが……水抜き池に噛んでるのだろうか? 面倒なことにならなきゃいいが……。
「バミューダって黒いハイエースに乗ってたんでしょ?」
「たぶんな」
ウィッチは「じゃあハイエース探せばいいじゃん」と簡単に言う。
「まぁ、そうなんだが。ハイエースなんかどこにもねぇんだよ……」
それに水を抜くためにはおそらく、その手の業者が絡んでるはずなのでトラックでもあればと思ったのだが、用水路にはいくつか橋が架かっていてその付近にはなぜか必ず2トントラックが数台止まっていてなんだかよく分からないことになっている。
潮来あるあるなのだろうか?
「あみだくじだ」
もうこれしかない、路肩でタックルを準備していたバサー達に池へ繋がっている獣道はどれか?と聞いて回ったが、全員知らないと言う。なかには「おいおい、何だこの女は? 何を言っているんだこの尻軽は?」と嘲笑するバサーの集団も居た。
「……こ……す…………ろす……殺して……やるよ……」そう言ってウィッチがバンダナリボンを外したときは、もうダメだと思った。池に行く前にこんなところで日本が沈み掛けるとは思わなかった。
半端じゃない耳鳴り。バサー達は何が起きているのか分からずただ怯え、いちばん近くにいたヤツは腰を抜かし泡を拭いて口をパクパクさせていた。
「そいつを連れて早く行け」とバサー達を煽ると、黒いデリカに飛び乗りタイヤをスピンさせながら逃げて行った。
窓から身を乗り出そうとするウィッチを、視界が歪み気絶しそうになりながらなんとか抑えて引きずり下ろすと「え? なに? いま……おっぱい触んなかった? え? 嘘でしょ? おっぱい触んなかった?」と一悶着もあった。
とりあえず、ウィッチをなだめ赤いバンダナリボンを巻かせ「おっぱいは触ったかもしれないけど、そんなこと言っている場合じゃあないだろ?」と、ごまかした。が、ごまかしきれず「え? おっぱいは関係なくない? なんで? おっぱいと池は関係なくない?」と、なった。
「不可抗力じゃないか、おっぱいと池? 何を言ってんだ?」
「え? なんで? なんで落ち着いてるの? 人のおっぱい触っといてなんで落ち着いてられるの? ありえなくない?」
「てめぇ、いい加減にしろよ?」
「え? 泣くけど? え? いいの? 泣くけど?」
「わかったから落ち着け、おっぱい触られて泣かなくてもいいだろ……。ガキか?」
「馬鹿じゃないの? 何もわかってないじゃん、触ったんだったら言ってよ、どうだったのか言ってよ……」
「ど、どうって、あんた自分で何を言ってるか分かってんのか?」
「わかんないよ……もう、わかんないよ……」
雑音だらけのラジオに嫌気がさして、HDDに切り替えたカーステからはSADSの『忘却の空』が流れていた。まさか「お前なんでノーブラなんだ?」などと聞けるはずもなく、車内の沈黙に耐え藪の前を一往復ほどした。
沈黙の中、ひねり出した解決策それがあみだくじだ。いくつかある獣道を選んでただ進むだけの簡単なやり方。俺はいつだってシンプルなんだ
「あみだくじで行くぞ……」
俯いていたウィッチが顔を上げた。ノーブラのくせに。
「わかる、わかりますわ。B・Bさん、言いたいことはわかります。でもね、ハズレを引いてごらんなさい? あてくし赦さなくってよ?」
「チャンスは一回ということだな?」
「ええ、そういうことになりますわ」
「もしだ、もしハズレを引いたら……どうなるんだ俺は?」
「死にますわ」
「…………」
「そのシンプルなやり方、嫌いじゃないですわ。でもね、あてくしの服装をご覧なさい? 二度もチャンスがあると思って? もうすでに心が折れそうですわよ?」
グリングリンの巻き髪をハーフアップに纏め、小粋に巻かれた赤いバンダナはギャングスタイル。ダボダボ白Tシャツに太もも丸出し迷彩ショートパンツ、そしてビーサンよりは多少マシな、なんだかオシャレな……サンダル。このメリケンかぶれは何をしに潮来市へやって来たんだ? ロングビーチでハングアウトでもする気だったのか? ノーブラのくせに。
「それは、お前が悪いんじゃないのか? ブラックバスがたくさん釣れる池だぞ? だいたい分かるだろ、どんな場所かくらい」
「正論は結構、あたしに釣りガールみたいな格好をしろって言うの? 冗談でしょ?」
釣りガールをディスる気か?……ノーブ
「迷彩履いてんだから良くない? このクソださ迷彩」
どうかしてるぞコイツは、それはてめぇで買ったんじゃないのか? 確かにちょっとダサいが……その短さは嫌いじゃない。いや、そもそもアウトドアには迷彩って、チンパンジーかお前は。
「だいたい、B・Bだって短パンじゃん。黄色い短パンに紫のTシャツって、ここはカリフォルニアじゃないんだよ? ロングビーチにでも行くつもりだったの?」
「…………」
マリンシューズを履いてきてよかった、ビーサンなんて履いてたら大惨事だったぞ……。
「もう、どうしようもねぇだろ。とにかく行くぞ……」
「で、どこから入るの?」
「ど真ん中だ。俺はど真ん中を選ぶぞ!」
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