第8章
不可視の森と申し立て回避の冴えたやり方
目の前に見たことないくらいデカい蜘蛛が巣を張っている。
「引き返そう」
「は? まだ3メートルくらいしか進んでないけど?」
藪に入ったはいいが、ものの2、3秒で心が折れてしまった。鬱蒼と生い茂った草木の間を縫う様に、かろうじて「道」と呼べそうなものがあるが、これは足元を見ながら進むと言うよりも「道」を感じながら進まなければならない。しかも、やたらと蒸し暑くじめじめとしている。都会育ちの僕にこの獣道を進めというのは酷な話だ。
目の前で蜘蛛が揺れている。なんなんだこの蜘蛛は……、アメリカにしか居ないやつじゃないのかコレ?フルサイズじゃないか。タランチュラだ。これタランチュラだ!!保健所に連絡しろ。
目を離したら殺られる……。うかつに動くわけにはいかない。猛獣と対峙した時の鉄則。タランチュラから目を離さないよう身をかがめ、ゆっくりと後ずさる。一歩、二歩と退がったところで、後に居たウィッチが背中を押してくる。
「おい、ちょっと待て!? タランチュラがいるんだって! すごいんだからコレ! ちょっと待てって!?」
なんとか踏ん張ってタランチュラの巣への接触を回避したが、ヤツは俺の存在に気づいたのか、薄気味悪い動きみせ巣の端へと移動すると、こちらの様子を伺っているように見える。
「はい──」
ウィッチさんが足元に落ちていた細い木の枝を拾い、無表情で手渡してくれた。
「…………」
20センチにも満たない小枝を受け取り「冗談だろ? タランチュラだぞ? 引き返そう」とウィッチの横を素通りするも、背後から飛びつくようにチョークスリーパーをキメられ、クルンと反転すると強引にタランチュラと対峙させられた。でも、ウィッチさんのノーブラのおっぱいがTシャツ越しに、これでもか、これでもか、と擦りつけられていて凄いことになっているからWin-Winの関係だ。
しかたなく、小枝を手にタランチュラになるべく刺激を与えないよう巣の端から攻めていると、真ん中にいるクソデカいタランチュラがなんだか気持ち悪い動きをして小枝の方に向かってきた。俺はビクッとして小枝を投げ捨て後ずさると、後ろにいたウィッチにドンッとぶつかった。いや、ドンッといっても、ぶつかった場所はたぶんおっぱいなので──
「ちょっと。いいかげんにしてよ」
「いや、蜘蛛が……だいたい蜘蛛の巣が張ってるってことは人が通ってないってことじゃねぇか。この道はハズレだ、戻ろう」
ウィッチは腕を組み眉間にシワを寄せ、細い道を塞いだまま動こうとしない。なんなんだコレは? 拷問じゃないか……。もはや逃げ場がないことを悟り、この仕事が終わったら例のバスプロに代金をふっかけてやろうと心に決め、いざ振り返る。
────!?
タランチュラがいない。蜘蛛の巣が半分くらい千切れてフワフワと揺れている。野郎どこに行きやがった……。コレは危険な状況だ。体中を手で払いながら、辺りを見渡す…………いない……。
「ちょっと。なに踊ってんの? はやく進んでよ」
クソ……
マジで『亜式フレア』でも持ち出してやろうかと考えながら、人ひとりがやっと通れるような獣道をガサガサと進んでいく。もう、ここは藪というより、里山と言ったほうがいいような気がしてきた。だいたい、誰が藪なんて言い出したんだ?そもそも、藪ってなんだ?
藪ってレベルじゃないくらい背の高い木が生い茂っていて、空なんてほとんど見えないくらい鬱蒼としている。
藪を短パンで進みながら、心を殺し、顔に纏わり付く蜘蛛の巣、時折すねのあたりに感じる生命感、全てを無きものと定め「ウィッチさん? 藪って何?」と後ろから着いてくるウィッチさんに尋ねてみたが返事がない。振り返えってみるとウィッチはかなり離れた所で立ち止まり、何かを探しているかの様に辺りをキョロキョロと見回していた。
「おい、なにしてんだ? 置いてくぞ?」
ウィッチは「え? あ、うん」と心ここに有らずといった返答を返し、そーっと足を上げ歩き始める。
なんだかよく分からないが、こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。いつタランチュラが現れるか分かったもんじゃない。だいたい、この藪の中にマジで池があるんだろうな?何もなかったらいったい誰のせいなんだ? 俺のせいか?と、だんだん不安になってくる。
「とっとと終わらせて、こんな所はやく出るぞ」とウィッチに声をかけるが返事はない。振り返ると、また立ち止まってキョロキョロしている。
「おい、なにしてんだ? はやく終わらせて帰るぞ?」
ウィッチは「ん? うん、そうだね……」とまたオシャレなサンダルを履いた足を、そろーっと上げて歩き始めた。
クソが……いいかげんにしろ。タランチュラが出て来たらどうするんだ……。
なんだか様子がおかしいのでチンタラ歩いてるウィッチの方へ戻ってみる。
「なに?お前、どっか怪我したのか?」
「え? 別に?……大丈夫だから、とっとと道を切り開いてちょうだい」
クソ……
「まったく」と呟き、もうお前なんか知らんタランチュラに喰われればいいとウィッチを見捨て、振り返って獣道を進んでいくと、不意にポケットのスマホが鳴り出した。ワンハンドレッドからだ。まったく、アイツもこんな時に……。
『B・Bかい?』
「……そうだよ。なんだ? 忙しいんだよコッチは」
『いや、さっきターミナルから、今日と明日の2日間、君にウィッチさんを護衛してほしいって依頼のメールが来たんだ。何かあったのかい?』
「ああ、それならもうすでに引き受けたぞ?」
『え? そうなのかい? じゃあ、なんだかよくわからないけど、任せても大丈夫かな? 料金は言い値で構わないって書いてあるから中々おいしい仕事だよ』
「大丈夫だ。というか、もう後に引けないとこまで来てる」
『なんだか大変そうだね……』
豚め……そんなことはどうでもいいんだよ。ここを何処だと思ってるんだ。魔境だぞ。
「それより、2日間てどういうことだ? 聞いてないぞ? そんな話……」
『ん? ああ、状況に応じて対応を願うとかなんとか書いてあるけど、まぁ問題ないだろう?』
「いや、なに言ってんだ? 状況ってなんだよ?」
『まぁ、うまくやってくれよ。なにしろ言い値で構わないって言ってるんだから。ところで、池の方はどうなってるんだい?』
「いや、おい。え? 池? 池は大丈夫に決まってるだろ? なに言ってんだ? 池は大丈夫だよ」
『……一応あのバスプロに前金を返せるように準備しておくよ』
「なに言ってんだ? 大丈夫だから。必要ないぞ」
『わかった、わかった。仕事が片付いたら店に来てくれよ。その時に話を聞くからさ』
「まったく。すぐに終わらせて帰るよ。じゃあな、俺は忙しいんだ」
電話を切るとすぐに、ウィッチが先に進んでいることに気がついた。
「おい、ちょっと待ってろよ。俺が先に行くから」
「え? なに? 電話、ワンちゃんから?」
と言いながらも、ウィッチはガサガサとものすごい勢いで進んでいく。なんなんだ? 早足でウィッチを追いかけるも、かなり速い。まるでゴリラかオランウータン……いや、チンパンジー並の速さだ。
「んっ……ちょっ……と……なに?」
なんとか追いつき肩を掴んだものの、振り返ったウィッチさんは、なんだか妙な声を御出しになられた。
「い、いや、先に行くよ」
「大丈夫だから、こっちはそれどころじゃないの……」
「ん? なにが?」
「え? なんでもいいでしょ……とにかく急いでるから……」
ウィッチはそう言うとまた、ガサガサと勢いよく進んでいく。とりあえず置いてかれないように後をついて行くと、なんだか甘ったるいココナッツの匂いが鼻を掠めた。さっきから気になっていたが、これはあいつの日焼け止めの匂いだろうか? むしろ、日焼けオイル的な匂いのような気がするが、似たようなもんか? それにしても、あの格好やはりどうかしてるぞ? 太ももが剥き出しじゃないか、なぜあんなにガンガン進んで行けるんだ? この藪に住むチンパンジーか何かなのか?
まるで常夏の島みたいな甘ったるい匂いに気を取られ、ぼーっとしていたら置いていかれそうになり急いで進む。
「おい、ウィッチ。何そんなに急いでんだ?」
「ちょっと。なんで着いてくんの?」
「え?」
「え?」
何言ってんだこいつは?……
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