第3章

超高高度亜音速飛行とギャングスタパーティー


 台風がふたつ同時に発生したと、めざまし土曜日のお天気お姉さんが伝えている。大変珍しい事だと、薄ら笑いを浮かべながら。昨日まで非常事態宣言だと騒いでいたテレビも今では通常運行だ。おそらく2、3日後にはかつてない非常事態だと騒ぎ立てているはず。史上最強クラスの台風がふたつ、日本に接近していると。



 昨夜、宇宙マーケットでウィッチが『裏宇宙座標特定デバイス』をいじりながら、あーでもないこーでもないとやっている時だった。


「ん?」


 ウィッチさんが「美しい3Dモデルで再現された表宇宙を指先ひとつで飛び回ることが可能です」と、デバイスの取り扱い説明書をわざわざ音読してくれていらっしゃるのを聞いていると、ワンハンドレッドの旧型パソコンからお馴染みのピロンという音が鳴った。


「なんだ?」


「婆さんが、何かやったみたいだ」


「え? あたしのデバイスは何も反応が無いんだけど……」


 朗読を邪魔されて少し御立腹のウィッチが座標デバイスをブンブンと振り回す。ババアを気にしているのはなんとなくわかっていたが、もはやコイツ、隠す気はないようだ。


「あぁ、まだ設定が終わってないですからね、後でやりますよ」


 ワンハンドレッドは「この機械音痴め」といった風にパソコンをカタカタやりながら、デバイスを両手で天高くかざして裏側を覗き込んでいるウィッチさんを横目で見やり、鼻で笑った。


「で、ババアは何をしたんだ?」


「ん? あぁ、チャネル場に入ったよ」


 ウィッチさんはなにか思い当たる節があったのか、取り扱い説明書のトラブルシューティングのページを開くと「音が鳴らない」の項目にある「音量を調節して下さい」の欄に人差し指でチェックを入れた。その様子を二度見したワンハンドレッドが、何故か俺の顔を見て不安げな表情をみせる。


 俺は無言で頷いて返したが、そんなことより膝丸出しになっているウィッチさんのニーハイの方が気になっている。


「高次元か?」


「ん? うん。間違い無いね」


「コレ壊れてるんじゃないの?」


 デバイスの設定画面を開いて何度も「ポーン」と気の抜けた音を鳴らしていたウィッチさん。音量調節は上手くいった様だが、今度はカウンターの上にデバイスを置いて両手の人差し指で画面をスクロールしまくっている。


「あぁぁ、あとで設定しますから、あんまり変なことしないでくださいね」


 ウィッチの手元を三度見したワンハンドレッドは慌てた様子で釘を刺したが、ウィッチさんは聞く耳を持たずスクロールは止まらない。画面をチラッと見ると、3Dモデルで再現された美しい地球が高速で回転している様子が伺える。


「おい、ババアは何処かに現れたのか?」


「いや、出てきてない。向こうで何かしてるんだと思う」


「やっぱりな、思った通りだ」


「時間操作でしょ?」


 地球転がしに飽きてしまったウィッチがカウンターから勢いよく身を乗り出して旧型パソコンのモニターを覗き込むと「ゴチッ」と凄まじい音がしてワンハンドレッドの丸眼鏡が床に転がった。鼻を押さえて天を仰ぐ豚の頭からニューヨークヤンキースの紺色の帽子が、儚げにぽとりと床に落ちた。


 ウィッチさんは、それミニ丈とかそういう次元じゃなくて、ワンサイズ小さいんだけなんじゃねぇのか?と疑いたくなる様な、パツパツの水色ワンピースの裾を両手で摘まみ「あら? ごめんあそばせ?」と、まるで貴婦人の様な振る舞いをみせる。


 肩をすくめ、舌をペロっと出し、同時にやや斜め上に目線を移す仕草は『貴婦人』をやり慣れている証拠だと思うし、俺はあの動きは嫌いじゃない。


 しいて言うなら、そんなにだらしなく膝を剥き出しにしてしまうくらいならニーハイは要らない。もう両膝剥き出しになってしまっている。そんなにだらしなく膝を剥き出しにしちゃって恥ずかしくないのだろうか? 見てるこっちが恥ずかしくなるくらいだ。


「大丈夫か?」


「……ボクの鼻はついてるかい?」


 『貴婦人』をキメているウィッチを尻目に、目を閉じて涙を流しながら、てめぇの鼻がついているか尋ねてくる豚に何と声を掛けてやればいいのか分からずしばらく黙っていたら、もしかして鼻なくなちゃったのかな?と不安になったのか、薄目を開けた豚と目が合ってしまった。


「……大丈夫だ。鼻はついてる」


「よかった……それなら問題ない」


 剥き出しの貴婦人は「めんごめんご」と中世ヨーロッパ風の謝罪の句も交え、少し乱れてしまったペイズリー柄の赤いバンダナで束ねた髪を、優雅な手つきで整えている。


「ところで、何の話だったかな?」


「ババアの話だな……たしか。ババアが高次元に入ったんじゃなかったか?」


「そうそう。高次元空間で時間操作しようとしてるんだよ。ゴルばあちゃん」


 ワンハンドレッドは「そうでしたね。それなら、磁界を張ってワラ人形を用意した方がいいね」そう言いながら床に手を伸ばすと丸眼鏡を拾ってかけ直し、ニューヨークヤンキースの帽子も被り直した。


「お前はどうする?」


 お馴染みの豚眼鏡スタイルに戻った豚は「コイツを使うよ」と、奥の棚から中世ヨーロッパ風のブリキ製の洋菓子の空き箱を取り出してカサカサと振ってみせた。





 店内が煙りで充満している。ババアが何かやらかすのは間違いない。恐らく今、世界中で能力者達がババア対策に追われているはず。大手はもちろんだが個人で────つーか、焚き過ぎじゃないかこれ?

豚め。いいかげんにしろ。


「こんなに焚く必要ある?」と、黒いダックテールを被り顔の下半分を赤いバンダナで覆ったウィッチが、カウンターから少し離れたところで呆れたように呟く。


「少し多すぎたのかな? 初めて焚く品だからなぁ」と、ワンハンドレッドは口元にタオルを巻いて目をシバシバさせながら『エターナル』のロゴが入った袋の能書きを読んでいる。


「麻薬成分が入ってないガンジャなんて効き目は有るのか?」と、僕はワンハンドレッドがお馴染みの『奥の棚』から取り出した謎の白いタオルを口に巻いているせいで喋りにくい。しかもなんだか臭い。


「ん? ヤバそうなのが出張ってきたらいつも焚いてるじゃないか」


「いつもはこんなに煙り出てないぞ?」


 豚眼鏡は「うーん……なにが原因だ?」と首を傾げながら、別の袋から乾燥大麻をひとつまみ取り出してカウンターの上に置かれたモクモクと煙りをあげている皿の上にかけた。


 ────!?


 コイツ……キマってるんじゃないのか? 


「で、ゴルばあちゃんはどうなってるの?」


 いつのまにかニーハイを限界まで引き上げていたウィッチさん……いや、おそらく豚に「バンダナ外すならこれ使って下さい」と謎の白いタオルを掴まされそうになり、眉間にシワを寄せて「は?」と丁重に断りを入れ、自分のヘルメットを取りに行った際にだらしなく剥き出しになった膝小僧の恥ずかしさに気がついてしまったのだろう。


 ウィッチさんは、周囲を見回し誰も見ていないことを確認すると、露わになった左右の膝へズリ落ちたニーハイをそっと被せ、ついでにダックテールを被って戻ってきたに違いない。


 そんなウィッチさんの問い掛けに対し、豚は頬杖をつき片手で旧型のパソコンをカタカタやりながら「あぁ、そうでしたね。えーと、婆さんですよね」と気怠そうに答えを返した。


 この豚……まさか……眠いのか?









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