第31話 最終話

「社長、お疲れ様です」

 いつものように背広を着替えると、篠塚の車に乗り込んだ。

「すまないが、洋菓子店に寄ってくれ」

「承知しました」

 車はゆっくりと発進して上等な店に向かう。皆まで言わなくても良いのが、篠塚という男である。

「そうだ、これを」

 鞄から茶封筒を取り出して彼に手渡す。

「何ですか?」

「デザイン賞だ。蔦ウーマンがヒットしたからな」

「恐縮です。賞金ですか?」

 ミラー越しに篠塚が眼鏡を光らせる。

「みどり園のミールクーポン一年分だよ」

「クーポ……」

 クールな秘書はあんぐりと口を開ける。

「プライベートで園を訪れた事は?」

「いえ」

「行くと良い。なかなかの景色だよ」



 道具屋に到着すると、皐は春を膝にのせスケッチブックを広げていた。表紙に『テディとミシカ』とマジックで書いてある。のぞき込むと、鼻に傷のある母熊と、胸に白い横縞模様のある子熊が遊んでいる。

「あたいが描いた絵本だぜ」

 最後の頁には冬眠する親子が土の中で春を待つ姿が描かれている。

「良い話だな。製本してみどり園の『こどものへや』に置いてもいいか?」

「本当か! なら、これもどうだ?」


 皐は嬉々として『おとぎ話』と書いてあるスケッチブックを差し出した。受け取って目を通すと、森を守る白い狼の話である。

「はは。この親父が樹洞で狼に変身する場面、カッコいいな……」

「だろ?」

「でもこれは、春ちゃんにだけ見せような」

 ノンフィクションでは世に出せない。

「ちぇっ、動物達に読み聞かせるからいいよ」

 皐はむくれて、スケッチブックを引き出しに戻す。


「拗ねるなよ。ほらケーキだ」

 化粧箱を開けると彼女が顔をほころばせる。

「苺だ!」

「おめでとう、今日は君の誕生日だ」

「どうやって調べた?」

「ムトウが、君の両親を良く知る人に聞いてくれたんだよ」

 山田が例の小包の送り状を保管していて、ダメ元で連絡してみたところ、両親と懇意にしていた人物の話が聞けたらしい。

「その人がこれを送ってくれたそうだ」

 一枚の写真には、銀髪に灰色がかった瞳の男性と、同じく長い銀髪の小柄な女性が写っている。

「あ……」

「先方はたいそう喜んで、娘が望めば組織に歓迎したいと言っているそうだが、故郷で仕事してみたいか?」


 皐は静かに涙を流した。

「ちゃ、いたた?」

 不安げに見上げる春の小さな手が、彼女の白い頬を撫でる。

「痛くないよ、嬉しいんだ」

 微笑んで瞬きすると、また瞳から滴がこぼれ落ちる。

「ゆっくり考えればいいさ。さあ、皆で食べよう」

 苺のホールケーキを台紙ごと引っ張り出すと、春が手足をばたつかせて喜ぶ。


「あたい行かない。そうダディに伝えて!」

 皐は春を椅子に座らせると、写真を胸ポケットにしまい込んで「ママを呼んでくるから待ってな」と立ち上がった。

「待て! これを」

 俺はデニムのパンツのポケットから……瓢箪型のナスカンを取り出した。

「ナスカン?」

「間違えた! こっちだ」

 慌てて反対側のポケットから、シルバーのリングを取り出す。

「丸カン?」

「違うよ……」

 片膝を地面について、彼女の左手に指輪をはめる。


「ニーナ、ずっと一緒に暮らそう」


「……森が気に入ったんだな? 自宅へは戻らないのか?」

 俺は苦笑して、彼女の手を取る。

「そうだな、正直ハンモックは寒い。冬の間だけ向こうで暮らさないか? 羽毛布団でくっついて眠りたいよ」

「あたいは森がいい」

 皐は頬を膨らませる。

「じゃあ週末だけ森で暮らそう。乾いた薪もまだあるしな」

 釜戸は許容範囲なのか、薪を燃やしても魔物は現れない。

「それなら森の様子も分かるかぁ」

 皐はたえず動物達を気にかけている。彼女の能力もまた、神の気まぐれなのかもしれない。


「うちはあの路地裏よりもずっと静かだ。ハウスキーパーが夕食も作ってくれるよ」

「……コンビニの酒も飲めるか?」

「もちろん、冷蔵庫いっぱいに買ってやるぞ」

「よし、手を打つ!」

 最終的に皐はコンビニの酒で買収された。結わえていたゴムを外すと艶やかな銀髪がふぁさりと広がり、見つめると彼女が無邪気に笑い返す。俺には皐が天女に見える。


「ところで平次」

 皐は手のひらのナスカンを見つめて言った。

「そのデニム、いつから洗ってないんだ?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おとぎ話 翔鵜 @honyawan

作家にギフトを贈る

カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?

ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ