第26話 鞄の中身

 何が起きたのか気づくのに数秒かかった。

 魔物はギャォンと鳴き声をあげると、尻の辺りを気にしてぐるぐると回った。

《またもや、そなたが……?》

 視線の先には麻酔銃を持った優子が立っていた。


「丘さん大丈夫ですか?」

「優子さん、来ては駄目です!」

 俺は腹部を押さえてありったけの声で叫んだが、優子は魔物を警戒しながら大木までやってきた。

「大丈夫、じきに麻酔が効くわ。わき腹をやられたの?」

「平気ですよ」

 彼女は銃をポケットにしまうと俺のシャツをめくり、懐中電灯の明かりで傷の具合を確認した。白い狼はフーッと息を荒げ、見張るように魔物の周りをうろついている。

「彼が放火犯?」

 優子は、口を開けたまま気絶する間抜け顔の男を見た。

「ええ。気を失っているようです」

 彼女は男の帽子のツバを上げると、その右頬を平手打ちした。

「目覚めなさい」


「う……ん」

 男の片目がわずかに開いた。

「ほら起きて!」

 優子は容赦なく、放火男の顔を往復ビンタした。

「あ……れ? 美しいお姉様……」

 男は目を擦り、優子の頬に手を伸ばす。

『彼女に触れるな!』

 白い狼の声が響いて、男は飛び起きた。立ち上がろうとして足に力が入らず、怯えた様子でしゃがみこんだ。

「ひぃぃ、もうしません」


《巫女よ、罪人を……かばい立てすれば神は……》

 魔物はふらりと優子のいる方へ歩み寄った。

《神は、そなたを……》

 白い狼が盾となって行く手を塞ぐと、魔物はパタリと地面に倒れた。

「ええ、構わないわ」

 月明かりに見える優子の横顔には、強い意志のようなものを感じた。彼女は白い狼に駆け寄ると、ぎゅっと胴体に抱きついて、魔物を頼むと言った。



「さて、放火犯君歩けるかしら?」

「はひぃぃ」

 優子は持っていた結束バンドで彼の手首を縛ると、被疑者を連行する刑事の様に彼に付き添った。俺は彼が逃げないよう、後ろを歩きながら尋ねた。

「お前、名前は?」

「……」

「ほら、名乗りなさい。貴方も眠らせてあげましょうか?」

 優子は麻酔銃を男のこめかみに当てた。

「り、りゅうと申しやす!」

「ふふ、私は優子よ。あなた、何故こんなバカなことをしたの?」

「ゆ、優子の姉御、これには訳が……」

 男は足を引きずりながら、自分が和泉一家の構成員で電話番担当なのだと明かした。


 優子は暗い兎神の森を躊躇することなく進んだ。俺はスマホのライトで足元を照らした。

「鞄は人目のつかないところで処分する指示だったんです。でも自分面倒で、この森なら人が入らないし、万一見つかっても他の物と一緒にゴミとして処分されると思って……」

「鞄?」

「はい。まさかあれが、お巡りの探している証拠品だとは知らなかったんです」

 男はアドレナリンが出たのか快調に歩いたが、行く跡には血が点々と落ちていた。俺は歩きながらムトウに連絡した。


「証拠品って何かしら?」

 優子は目を細めた。

「『木彫り像』です。七年前の殺人の証拠品で見つかればおじきが捕まるって……それで自分、証拠隠滅に来たんです」 

 龍と名乗る男は魔物から解放された安堵からか、もともと抜けているのか、麻酔銃の脅しでよく話した。

「そう……燃えて良かったわね」

 優子は龍の肩を叩くと、道具屋の前で待つムトウに引き渡した。


「居候、お前の腹の贅肉も縫ってやるよ」

 ムトウは龍をアイスブルーの車に押し込めると、俺を呼んだ。俺はガラクタの中から革の鞄を拾い、無言で頷く優子に託して診療所へ向かった。


 車が発進すると龍はムトウに気付き、借りてきた猫のようになった。

「おめぇは確か、電話番の……」

「ハィ、龍と申しやす」

「足は治してやるから、洗いざらい話せ」

 龍は放火に至る経緯を話した。


「ふぅん。見つかる前に燃やしたのか」

「ハイ。自分、どうなりますか?」

「指詰めにはならねぇだろ。ま、その時は俺んとこに来な」

 坊主頭の医者はミラー越しに笑った。

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