第6話 真っ白な狼

 目の前には、月明かりでもはっきりとわかるほどに真っ白な狼が出現していた。雨に打たれたのか、身体が濡れている。俺は金縛りにあったかのように体がこわばって、身動きが取れなくなった。

『ここであの娘と暮らしているのか?』

 急に低い声が脳に響いた。目を凝らすが目前の狼以外に声の主は考えられない。

『怖がらなくとも良い。私が話しているのだ』

 狼は尻尾を上げて、琥珀色の眼で俺を見つめた。その姿は美しく、俺は魅了されて動けないのかも知れなかった。


「俺は……ここの居候で」

 やっとのことで、声を絞り出す。

『そうか。あの子は森に捨てられた哀れな娘だ。お前が守ってやれ』

 狼はそう言ってから、ガルルと小さくうなり声を上げる。

「あんたは……何だ?」

『この森を守る者だ。居候、お前を見込んで忠告する。前にここに住んでいた男には警戒した方が良い』

「ムトウか?」

『いかにも。あの者からは血の匂いがした』

「血?」

『複数の人間の血の匂いだ』

「それは、つまり……」

 警察に追われている原因だろうか? 狼は牙を剥き出しにしてぶるぶると身体を震った。霧状に雨水が飛び散って、頬にかかる。

『さあ、それ以上はわからない』

 狼は顎を上げてアオーンと遠吠えすると、繁みの奥へと消えた。



「平次……ヤツが来ていたのか?」

 キイッと板戸が音を立てる。皐が目を擦りながら起きてきた。

「真っ白い狼だった。あいつが友達?」

「そうだよ。今夜は冷える、中で話そうぜ」

「ああ」

 俺は振り向くと、もう一度狼の消えた闇を見た。あれは一体何者なのだろうか。まるで夢を見ているようだった。


「狼は群れる動物だろう? 縄張りはあるのかい?」

 そこへ行けば、またあの狼に会えるかも知れない。

「ヤツは一人だ。それに満月にしか現れない」

「どうして? その理由を狼から聞いたことは?」

 ハンモックに寝転んで、毛布にくるまる。冷えた指先が悴んで、感覚が鈍い。

「聞く?」

「ああ。言葉を話すだろう?」

「平次はあいつの言葉が分かるのか?」

 皐は驚いて顔を起こした。

「人間の言葉、を話すだろう?」

「あたいには吠声しか聞こえない。動物は皆そうだぜ」 

 皐は「ちぇっ、いいなぁ」と言って毛布を頭から被ると、やがて安らかな寝息が聞こえてくる。


 奴は何故俺にだけ話しかけてきたのだろうか……。

 微睡みの中でしばらく考えたが、良い考えは浮かばなかった。



 翌朝皐を道具屋に送り届けると、優子が藍色の手作りエプロンを用意してくれていた。首の部分はロープ紐で、腹の辺りにはポケットがたくさんついている。

「仕事の時はこれをつけてね」

「ありがと!」

 皐は小躍りして二階へ上がる階段の鏡の前でポーズを取る。


「優子さんは、森に現れる白い狼をご存知ですか?」

 皐を眺めて微笑む優子に尋ねた。聞けば優子はここで生まれ育ったらしい。彼女なら何か知っているかもしれない。

「……ごめんなさい、わからないわ」

 彼女はちらりと奥の主人を見たように見えた。

「そうですか、ありがとうございます」

 俺は礼を言って道具屋を後にした。









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