第7話 ムトウ

 仕事の後は篠塚に送ってもらい、道具屋に顔を出すのが俺の日常になった。

 森の生活は新鮮で、何より空気がうまく、ただ呼吸をしているだけでも療養出来ている感じがした。


 いつものように帰宅すると、板戸が僅かに開いている。

「皐、下がれ」

 出るとき確かに鍵を掛けた。俺は彼女に間隔を取らせて、板戸をそっと開けた。

 坊主頭に革ジャンの男が鞄を物色している。小屋の中に入ると、男は俺の顔を舐めるように見た。

「誰だてめぇ。皐の新しい父親か?」


「恋人だ。お前はムトウか?」

 俺は虚勢を張って大声を出した。

「皐がてめぇみたいなの相手にするわけないだろ。援交か?」

「ダディ! 帰ってきたのか?」

 皐は板戸から顔を覗かせると、表情を明るくして彼に駆け寄った。

「ちょいと金が必要になったもんで、売れる物を探しに寄った。お前、金蔓が出来たなら貸してくれよ」

「……金は今これだけしか無いんだ」

 皐は立て掛けてあったギターケースから現金を取り出した。


「おお、けっこうあんじゃん。サンキュー」

 ムトウは指に唾をつけて紙幣を数えると、ズボンのポケットに捩じ込んだ。頭の中の何かが切れる音がして、俺はムトウに殴りかかった。

「返せ!」

 ムトウは俺の右ストレートを鮮やかに避けて、脇腹に拳を返した。腹が抉れた痛みで俺はその場にうずくまった。

「う……」

「てめぇは黙ってろ。俺は娘に金を借りただけだ」

 立ち上がったところにもう一発ボディーブローを貰って悶絶する。

「ダディ、やめてくれ」

 皐が止めたが最後にもう一発蹴りをくらって、俺は地面に転がった。唇が切れて、鉄臭い血の味がした。



 皐の仲裁で借用書代わりにムトウに念書をかかせて、その場は収まった。

「ダディはまだあの女と暮らしているのか?」

「まあな。あのときは切迫していたから、お前を連れていけなくてすまなかったな。でも、新しいダディがいて安心したよ」

「平次はダディじゃない。ダディはムトウだけだよ」

「俺の娘もお前だけだよ。また来るから、それまで達者でな」

「もう行くのか? 連絡先を教えろよ」

 ムトウはそれには答えず皐の髪を撫でると、小屋を去った。



 俺は皐を抱き締めた。皐は俺の首に両手を回すと唇の血を舐めて言った。

「平次、援交って何だ?」

「援助交際の事だよ。つまりお前が金目的で、俺は体目的で交際することかな」

「それで家賃をたくさんくれたのか? あたいは構わないよ」

 皐の灰色がかった純粋な瞳が俺をのぞき込む。

「違うんだ。俺はお前を買った訳じゃない」

「じゃあ恋人なのか?」

「さっきのはお前を守りたくて成り行きで言った」

「じゃあ兄貴か?」

「……いや、恋人だな」

 告白に皐は「そっか」と無邪気に笑った。

 俺は苦笑いしながら、別の事を考えていた。倒れた衝撃で失っていた記憶の一部が戻っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る