第12話 魔物の話
一旦皐の着替えを取りに戻りボストンバックに詰め込んで道具屋に戻ると、まだ竹下がいて三人が話しているのが聞こえた。
「魔物かしら?」
優子の声がする。
「いや。彼は眠りについている筈だ」
「でも黒いやつだと……」
「まさか。皐ちゃんはずっと森で暮らしているんだ。今さら神の怒りに触れたりはしない」
拓郎がかぶりを振る。
「魔物って何ですか?」
声をかけると、俺の存在に気付いた彼らは狼狽えた。
「それは……」
拓郎は言葉を詰まらせる。
「拓ちゃん、私が説明するわ」
竹下は拓郎の肩に手を載せると、奇妙な話をし始めた。
「この森には黒い魔物がいるのよ。大昔、戦で森に火をつけた武将が、神の怒りを買って魔物にされたの」
「武将の……魔物?」
「ええ。魔物は神の使い手となって、森を荒らす不届き者の命を奪う役割を与えられていた。人々は神の怒りを鎮める為にあの狼兎神社を建てたの。優子は代々巫女を務める兎家の直系よ」
話す竹下の表情は至って真面目である。
「そいつが皐を?」
「いえ。彼は充分に罪を償ったから、数年前に神と共に眠りについたはずよ」
俄には信じがたい話だが、先だっての白い狼の存在が脳裏をよぎる。
「では、そいつの可能性は低い?」
「ええ」
「どんな姿なんです?」
「外見は、大きな翼を持つ黒い狼よ。でも彼は意味もなく人を殺めたりしない」
竹下の言葉に兔夫婦が頷く。彼らは魔物と呼びながらも、その存在を認めているような素振りである。
「拓郎さん、白い狼を知っていますか?」
俺は拓郎に質問した。もしかしてあの狼になら、皐を襲ったやつがわかるかもしれない。
拓郎は少し間を置いて何か答えようと口を開いたが、竹下が割って入りボストンバックを肩に担いだ。
「送ってあげるから、皐ちゃんの所に急ぎましょう。狼や魔物の事なら私が道々教えてあげるわ」
「竹下さんが?」
「ええ。それに神社の事もね。神を祀る儀式、即ち祭神事で琴を奏でているのは私よ」
素直に竹下の車の助手席に乗り、ムトウの診療所へ向かった。診療所はあのスペイン料理店の裏手にあるらしかった。
竹下の話は突拍子もなかったが、とりあえずは話の腰を折らずに耳を傾けた。それで分かったことは、祭神事は年に一度、満月の夜に行われ、兎家の娘が巫女の神楽を舞う掟があること。巫女の血には神の声を聞く力があること。神と魔物は数年前に眠りについたらしいこと。例の白い狼は満月の夜毎、森の秩序の為に見回りしているということだった。
彼は親切に話してくれたが深掘りしようとすると押し黙り、それ以上は聞けなかった。
「優子の父親が亡くなる前に聞いた話があるの」
目的地に近づいた時、竹下がおもむろに口を開いた。
「過去にメジロを密猟する家族が、森に住みついたことがあったそうなの」
「密猟?」
「ええ。止めようとしたけれど、異人で言葉が通じなかったって」
「穏やかではない話ですね。それで、どうしたんです?」
「じきに彼らはいなくなって、親父さんもすっかり安心していたそうなの」
車は細い路地に入りゆっくりと進み、昼間は灯りの点っていないスペイン料理店の手前で右折する。
「早々に立ち退いてくれて良かったですね」
「ところがこの話には後日談があるの」
「まさか」
異人という響きがひっかかった。
「その年の瀬にムトウがそこに住み始めたの。その彼が異人の子供を育てていた」
「では……」
「ええ。その子供が皐よ」
竹下は『アンダルシア』の裏手あたりに到着すると、エンジンを止めた。
「親父さんは言ったわ。『夫婦は魔物に殺られたのかも知れない。もしそうなら自分にも責任があった』とね」
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