第11話 急患

「もう遅いし、今夜はうちに泊まるといいわ」

 という竹下の言葉に甘えることにして、その日は彼のベッドを占領して眠った。

 翌朝早くスマホが鳴ると、着信は兎道具屋からだった。

「丘さん! 今どこですか」

 受話器の向こうの優子のただならぬ雰囲気に俺は飛び起きた。

「産まれるんですか?」

「違うの! 皐ちゃんが怪我をして」

「え!?」

「血がたくさん出ているのに、佐久間先生は旅行中なの。ああ、どうしましょう」

「落ち着いてください。皐は?」

「今、主人が応急処置を。どうしましょう」

「拓郎さんに代わって貰えますか」

 暫くして、電話口に主人の拓郎が出た。


「皐は大丈夫なんですか?」

「命に別状はないと思うが、肩を怪我している。噛み傷のようだ」

「まさか……狼ですか」

「いや、違う」

「何にやられたんです?」

「それより医者だ。皐ちゃんは保険診療が出来ないだろう? こんな時頼りのうちのかかりつけ医は、旅行に行ってる」

 拓郎の声が上擦って聞こえる。

「落ち着いてください。すぐに医者を連れて向かいますから、そのまま待機を!」


 俺は深呼吸してから、ナツミに電話した。頭が少しくらくらする。

「頼む、出てくれ……」

 数回コールがなって、眠そうな女の声がする。

「……はい」

「旦那を出してくれ。皐が怪我をした」

「平次?」

「皐が獣に襲われたと伝えてくれ」

「さつき?」

「早く!」

「わ、わかったわ」

 隣に眠っていたのか、ムトウの声がすぐに聞こえる。

「皐に何があった?」

「肩を噛まれたらしい。兎道具屋に来てくれないか?」

「……二十分で行く」


 通話を終えると今度は竹下に事情を話し、彼の運転で道具屋へ急いだ。早朝の車通りは疎らで、黄緑色のアルファロメオのタイヤの軋む音が響き渡った。


 道具屋に着くと、皐の肩の包帯には血がべっとりと滲んでいた。

「平次ィ……」

 皐は俺の顔を見ると安堵したのか大粒の涙を流した。

「何があった?」

「薪を集めていたら、黒いやつに噛みつかれた」

「黒い?」

 ふいにゴトン、と物音がして振り向くと、優子が救急箱を落下させて、中身が散らばっている。

「優子さん、大丈夫ですか?」

「ええ……」

 お腹の大きな優子に代わり、絆創膏をかき集める。ありがとう、と言う彼女の手は震えているように見える。

 

「邪魔するぜ」

 裏口のドアの開く音がして、血相を変えた革ジャン姿のムトウが飛び込んできた。

「ダディ……来てくれたのか?」

 皐はぱあっと明るい顔つきになる。

「ああ。もう大丈夫だ、診せてみろ」

 ムトウは包帯をゆっくりと外し始めた。

「黒い……獣が?」

 呆然として呟く優子を一瞥すると、ムトウは舌打ちして言った。

「おい、妊婦には刺激が強い。向こうへ連れていけ」


「血が止まらない。ここで縫い合わせる」

 拓郎が優子に付き添い二階へあがると、ムトウは車から医療器具の入った青いリュックを持ってきた。

「ここで?」

「ああ。皐、すぐに終わるから我慢しろ。竹下先生、明かりをお願いします」

「投光器でもいいかしら?」

「ええ」

 竹下が売り場にあった投光器を延長コードで繋ぐと、ムトウはニトリル製の手袋を新しいものに交換して縫合を始めた。局部麻酔の効き目が弱かったのか、傷口の洗浄時に皐は二度叫び声を上げた。


 ガーゼを重ねて包帯を巻き付けると、ムトウはほうっと安堵のため息を漏らした。

「皐は大丈夫か?」

 彼女はぐったりとしている。

「疲れて眠っているだけだ。俺の診療所へ連れていく」

「何だと?」

「経過を見るためだ。ついでにお前のポンコツな頭も診てやろうか?」

 ムトウは皐を抱き上げるとにやりと笑った。


 

























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