第16話 陣痛
マスコットキャラクターの選考は盛り上がりを見せ、実に社員の半数からの応募があった。
「篠塚くん。これは……何だ?」
彼のケント紙には、深緑色の長い髪の美女が描かれている。
「『
瞳は紅く、ポトスに似た蔦植物が頭に生えており、さながらメデューサのように宙に舞っている。
「こ、個性的だな」
今にもうごめきそうな画力に、ちびっこは泣き出すかもしれない。
「皐さんの絵は可愛らしいですね」
黒い子熊が色鉛筆で画用紙に描かれている。
「ああ」
熊は爪が長く、胸の辺りに白い横線模様があり、円らな瞳をしている。皐は子熊を忘れない為に書いたと言った。
「……皐さんを襲った親熊が心配ですね」
「冬眠前に餌が無くて苛立っているのかもしれないな」
この森の事ではないが、新聞でそのような記事を読んだ。異常気象で餌となる虫や木の実が少ないのだという。
「対策を講じますか?」
「兎さんに聞いてみるよ」
「承知しました」
篠塚は二枚の絵を、一次選考通過の封筒に入れた。
道具屋の手伝いに寄ると、優子はどっこいしょとお腹を抱えてカウンターの椅子に腰かけた。
「丘さんも仕事がおありでしょう?」
彼女はカウンターの上に小箱を置くと、座金をビニル袋に小分けしていく。
「いえ。皐に叱られますから、手伝わせてください」
「ふふ。ありがとうございます」
優子が微笑む。ボブへアの黒髪を耳にかける仕草にどきりとする。
「ところで、皐を襲ったのは熊でした」
俺の言葉に、優子は手を止めて顔を上げた。
「本当に?」
「ええ」
彼女はふうっと息を吐くと、安堵の表情を浮かべた。
「ああ……良かったわ」
「良かった?」
「いえ。失言です、ごめんなさい」
優子は目をそらして、小分けした袋に値札を貼り付けていく。
「熊を殺処分すべきでしょうか?」
単刀直入に尋ねると、彼女は反対した。立ち上がった拍子に袋詰めした座金が落ちる。
「駄目よ! あなたの命が危険だわ」
「無論、専門家に任せますよ」
「駄目! 生命を奪っては神の怒りをかうわ」
優子は何度もかぶりを振った。
「まさか、本当に魔物なんてものを信じておいでですか? 皐の両親もそいつに殺られたと……」
問い質すと彼女は、震える手で座金を拾いながら答えた。
「私は……父がそう言ったのなら、可能性が高いと思います。あっ」
優子は眉間に皺をよせて、悶絶し始めた。
「優子さん!?」
「いたた……う、産まれるのかも」
顔色は蒼白で、立つことも儘ならない様子である。
「ご主人は?」
「配達中ですの。ああっ、佐久間先生のところにいかないと……」
優子はかかりつけだという町医者の名前を呼んだ。
「産婦人科ではないのですか?」
「だめ。決して救急車も呼ばないで。佐久間先生のところでないと……」
慌てて拓郎に連絡すると、『戻って来るのに時間がかかので佐久間に来てもらってくれ』と言う。
俺は分厚い電話帳を開くと、とにかく佐久間医院に連絡した。事情を話すとすぐに来られると言うのでそのまま道具屋で待つと、ふさふさと眉毛の長い年配の医者がやってきた。
「まだ破水していない。医院へ行こう」
付き添って医院に赴くと、玄関には毛筆で『休診日』と書かれた板が吊り下がっている。軋む扉を押し開けて中に入ると、これまた年配の女性が駆け寄ってきた。
「おば様、うっ、産まれそうです……」
女性は微笑んで優子を横向きに寝かせると、腰の辺りをさすった。
「ゆっくり呼吸しましょう。いきんではだめよ」
竹下と拓郎が駆けつけるとほぼ同時に、ふぎゃあという元気な赤ん坊の泣き声が響いた。
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