第20話 着ぐるみ担当

 ようやく皐が退院して、新年の森の生活がスタートした。彼女の肩の傷はもうずっと良くなっていて、すぐに兎道具屋に復帰した。


 皐は色鉛筆を気に入って、休みの日には森の風景を写生するようになった。

 マスコットキャラクターの最終候補には3点の作品が選ばれたが、どういうわけか篠塚の蔦ウーマンと皐の子熊が残っていた。一抹の不安を覚えた俺は、最終審査前に現場の声を聞くことにした。


 市役所に確認すると、お柿ちゃんの着ぐるみを担当してきた女性は育休に入っていて、新人を研修中だという。それでは仕方がないと諦めると翌日連絡があり、すぐなら前任者が会ってくれると言う。

 待ち合わせ場所に指定された『川蝉』という喫茶店は兎神の森から程近い距離で、俺は駆け足でそこへ向かった。


「……優子さん」

 店内の客は優子一人だけであった。寝かしつけてきたのか、春は連れていない。

「初めまして。お柿ちゃん担当の兎優子です」

「ええ?!」

「ふふ、私も驚きました。まさか、私に会いたい丘開発の方が社長さん本人だなんて」

 聞けば彼女は10年以上も着ぐるみの中に入って働いてきたと言う。

「スタッフの顔を存じ上げず、経営者としてお恥ずかしい限りです」

 深々と頭を下げると、彼女は柔らかに微笑む。

「父の薦めで、道具屋を始める前から土日にアルバイトしていましたの。巫女と着ぐるみと道具屋、三足の草鞋ですわ」


 俺はアメリカンにミルクをたっぷりと注ぐと、鞄から封筒を取り出した。

「ミルクお好きなのね」

「いえ。ブラック派ですが、胃の調子が優れない時はこう飲みます。気休めですが」

 優子は頷いてから、珈琲カップに口をつけるとほうっとため息を漏らした。

「ああ、美味しい。これがノンカフェインの珈琲だなんて、さすが店主マスターね」

「カフェインを控えていらっしゃるんですね?」

「私も気休めですわ。化学的根拠はありませんけど、栄養ドリンクなんか飲んだらもう、夜泣きがひどくて」

 おっぱいにも栄養がいくのかしら、と優子は円らな瞳で笑う。


「候補作品を見ていただけますか?」

 封筒ごと手渡すと、彼女は1枚ずつ丁寧に取り出して目を通した。

「ふふふ、何ですかこれ」

「あ、それは蔦ウーマンだそうで」

「メデューサみたいね。SNSに投稿したくなるから若者うけするわ」

「怖くないですか?」

「子供も意外とこういうの好きなんですよ。アトラクション待ちに貴重な植物が見られるのに、関心の無い人が多いでしょう? だから植物をアピールするのはアリだと思うわ」

「なるほど」


「でも、そうね。子供が髪を引っ張るかしら? 扮装する人は大変、子供って怪力なんですよ。首を痛めるかも知れないわ」

「他の作品はどうですか?」

 皐の『子熊』と、もう1つは清掃員の若者の作品で『花男爵』というタイトルがついている。アネモネの花に髭を生やし、全身緑のタイツを着ている。

「子熊は大きめに作っても背の低いスタッフが必要ね。毛皮は酷暑との闘いなの。夏場はの薄着出来る作品に軍配が上がるわ」

「なるほど」 

「複数採用する手もあるわ。バラバラに巡回させれば、混雑をコントロール出来るわ」

 

 優子は着ぐるみに並々ならぬ熱量を持っており、話は小一時間続いた。謝礼金を差し出すと困ると言うので、代わりに珈琲チケットを贈った。

「ありがとう。みどり園でもノンカフェインの珈琲を飲んでみたいわ」

 彼女は時計を見ると驚いて、お乳が張ってるからと道具屋に戻った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る