第19話 呪いの化け物
のらりくらり考えるうち道具屋に門松が飾られ、年が明け、優子は皐より先に退院した。
皐の怪我は大分良くなったが、俺は彼女をムトウの所に押し込めて見舞いに通った。
春はよく泣く赤ん坊で、新年も道具屋の手伝いは欠かせなかった。会社の方も年始の挨拶回りやなんやらでバタバタと忙しく、あっという間に次の満月がやって来た。
俺は打開策を求め、白い狼との接触を試みた。獣道を行くのは危険と判断して、神社の御神木の辺りで山を張った。
昼間に雪がちらついたせいか今宵は底冷えする。灯籠が千年杉をぼんやりと照らし、太いしめ縄の紙垂が僅かに揺れている。
御神木に近づくと、人が屈んで入れる位の樹洞がある事に気づいた。知らなかったのはそれを隠すように竹編の仕切り垣が置いてあるからであろうか。
「なんだ、ここ……」
覗いてみるが、中は真っ暗な空洞で何もない。
『居候、暫くぶりだな』
突然背後から低い声で話しかけられて、俺は飛び上がった。振り向くと真っ白な狼の、琥珀色の瞳が俺を見ている。
「そ、相談があって待っていた」
『……人間が獣に相談?』
白い狼はクククと嗤う。
「可笑しい事は重々承知している。だが助けてほしい」
俺は中途半端な土下座のように地面に這いつくばって、狼と目線を同じ高さにした。
『そんな恰好で、喰われたらどうするつもりだ? 話したいなら、さっさと話せ』
狼はペロリと舌舐めずりする。
「皐が鼻に傷のある熊に襲われた。腹がすいていたのか理由がわからず、俺達は森へ戻れない」
狼は視線をそらすと、千年杉の向こうの朧月の方を見上げた。
『……母熊は子供を殺られた記憶を取り戻した。十数年経っても心の傷が癒えることはない』
「俺達はどうすれば良い?」
狼はウーッと唸り声を上げる。
『母熊はすでに冬眠した。春になれば、話す機会もあるであろう』
「あんたが話してくれないか?」
俺の言葉に狼は口角を上げて牙を剥き出し、嘲笑ったかのように見えた。
『都合の良い考えだ。森に住む者なら、獣と心を通わせてみたらどうなのだ?』
「ではあと一つ教えてくれ。この森に魔物はいるのか?」
『欲張りな人間だ……私を魔物だとは思わないのか?』
低い声は直接脳に響いてくる。
「あんたは違うと思う」
彼の言葉は人間と話すような不思議な感覚に陥る。
『クク……良いだろう。神は皐の血が流れた時に目覚められた。故に魔物も仮眠状態にある』
狼はあっさりと魔物の存在を肯定した。
「襲われる可能性はあるか?」
『森の平和が保たれれば、魔物が喚ばれることはない』
膝頭から冷気が伝わり、肩がガタガタと震えた。夜の帳の向こうに魔物が隠れていて、今にも襲ってきそうな感覚に囚われる。
「あんたが満月にしか現れないのは何故だ?」
『それは……語らずともいずれ判るであろう』
狼はそう言うと、尻尾で俺を叩いて繁みへ戻った。
「待ってくれ! またあの小屋に住んでも良いか?」
立ち上がったが足の感覚が曖昧で、その場でよろめいた。狼は立ち止まり、背を向けたまま答えた。
『お前は誤解しているが、私は神の使いではない。言うなれば魔物と同じ、呪いの化け物だ。出来ることはせいぜい森の秩序の為に見回る事ぐらいだ』
そう言うと彼は帳の向こうへ消えた。鬱蒼とした茂みがそこだけ、騒めいていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます