第29話 でぇと
辺りが静まり返ると腰が抜けて、動けなくなった。
「丘さん、大丈夫ですか?」
拓郎は一旦木彫り像を石畳に置くと、気を失った優子を背負った。
「はい……例の鞄の中身がそれですか?」
「『天女の像』です。ここの御神体で、その……不思議な力があって盗難にあい、ずっと兎家が探していたものです」
月明かりに像のシルエットが浮かぶ。豊満な胸、片手で頭上の壺を支え、帯を巻いた腰をくねらせている。
「不思議な力とは?」
「簡単に言えば人の望みを叶える力です。願えば難を逃れられたのだとか。俗世においては邪心を持つ者を魅了し、裏社会を行ったり来たりしていたようです」
「私欲を叶えてきた訳ですか」
「財宝を掘り当てた、仇に落雷した、軍艦を座礁させたなんて噂もあります」
拓郎は木彫り像を拾いあげる。
「……俺、少し休んでから戻ります。お先にどうぞ」
「わかりました。皐ちゃんの布団が二人用ですので、今夜は泊まってください」
頭が混乱して、空を仰いだ。東の空に赤みがかっていた超満月は頭上に移動して、今は黄金色に輝いていた。
*
「平次、起きろよ!」
久々に頬を足の裏で踏まれて顔がにやけた。体を起こそうとして、脇腹に痛みが走る。
「いてぇ……」
昨夜は道具屋に泊めてもらたことを思い出す。
「怪我はどこだ?」
皐は俺の腹を露にして、ガーゼを剥がそうとする。
「待て待て、大したことないから見るな」
彼女の背中に腕をまわすと、怪我の功名か肘討ちされない。今朝はご機嫌なようなので、俺はある提案をした。
「やっぱり、みどり園に行かないか?」
皐の気が変わらないうちにと仕事を迅速にこなし、調整できるものは後日に回し、夕方みどり園にたどり着いた。エントランスに入ると、熊の着ぐるみが子供達に囲まれている。
「子熊じゃなくて、
皐は見るなり着ぐるみの丈に文句をつけた。
「仕方ないよ。大人の女性なんだから」
「大人?」
「これでも背の低い人を探したんだ。名前を募集しているから、考えよう」
中身が何だと思っていたのか、人間だと知ると彼女は感嘆の声をあげた。
カフェテリアに座り、最近導入したノンカフェインの珈琲を二つテーブルに運ぶ。皐は珈琲の味はそっちのけで、名前の応募用紙とにらめっこしている。
「ふふふ、思いついたぜ!」
鉛筆でこそこそと書き込むと彼女は、観覧車に乗りたいと言ってカフェテリアを出た。鞄からこっそり応募用紙を抜き取ると『MISHKA』と書かれている。
「ああっ、見たなー」
「何て読むんだ?」
「ミシカ、子熊って意味だ。これなら母熊と間違われないだろ?」
彼女はアスファルトの地面に紙を置いて、ふり仮名を付け加えた。
「言葉も思い出したのか」
「少しだけだよ」
ゴンドラに乗り込むと皐は向かい合わせにこじんまりと座ったが、不安定さに慣れてくるとすぐにきょろきょろし始めた。半分の高さまで上がると、彼方に兎神の森が見えてくる。
「丘開発はどこにあるんだ?」
「森の小川をずっと辿ると、煉瓦造りの眼鏡橋が見えてくるだろう? 近くに丸いガラス張りのビルがあったら、そこが我が社だよ」
「あったぞ! 六角ソケットみたいな形だ」
例えに吹き出すと、目を輝かせて窓にへばりついている。こんな街の景色にも感動出来る事が、羨ましく思えた。
ゴンドラが真上まで来ると、皐は浮かれて俺の横に飛び移った。揺れて傾くと、体を硬直させて落ちないように気遣う様がおかしくて、痛い腹を抱えて笑った。
「ここから見ると、ミシカが蟻んこみたいだ」
「ああ」
客観的にみどり園を見たのは久しぶりだった。
「もっと外の世界を知りたい? 故郷へ行きたいか」
「知りたい。でもあたいの故郷は森だし、名前は皐だ」
その横顔が眩しくて彼女に口づけた。
「本当の両親がくれた名前も大事にしろよ。俺が人生の節目に呼んでやる」
「節目?」
「まあ、あれだ。誕生日とかな」
「タンジョービ?」
彼女が純粋な瞳で尋ねる。
「ああ」
「タンジョビって何……」
もう一度彼女の唇をふさいで、ゴンドラが降り切るまでそうしていた。
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