第30話 祭神事
皐の命名がインターネット投票で一位を獲得し、子熊の名前は『ミシカ』に決まった。丘開発は地方局でCMを放映し、みどり園は着ぐるみ目当ての子供達で賑やかさを増した。
予想外に人気が出たのが蔦ウーマンと花男爵で、SNSでシュールなカップル設定がついて、植物のリーフレットを手に取る人が増えたのは嬉しい誤算だった。
俺達はまだあの小屋に住んでいて、皐は道具屋の看板娘として頑張っている。休日は柴を刈り、動物と話し、切り株に座って珈琲を飲む。
テディは冬眠したまま逝ったようで、彼女はコナラの木の根本に花を添えて、みどり園の年間パスポートを購入し、たまにミシカに会いに行った。
俺は数回竹下とボブに誘われて、アンダルシアでナツミの踊りを見て酒を飲んだ。
一度、ムトウと酌み交わす機会があった。皐の誕生日を尋ねると彼は
「知らん。絵の具でも買ってやるのか」
と鼻で笑ったが終始ご機嫌で、逃げていた本部長の山田がとうとうお縄になったが、正当防衛が認められ釈放になったという話を聞いた。
「爺さんは朴念仁なうえに仁義にうるさい御仁でな……」と早口言葉のような文句を言っていたが、顔はにやけていたからよほど嬉しかったのだろう。
木彫り像はその山田自身が偶然闇オークションで発見し、十万ドルつぎ込んで手に入れていた。逃亡する際、和泉一家の蔵に隠しておいたが、大掃除の時に出て来て不審に思った若頭が処分を命じたそうだ。
「爺さんは不死を夢見ていたが、腹を撃たれても死ななかったのだから、ある意味願いは叶ったのかも知れないな」とムトウは寂しそうに笑った。
あの不思議な体験のあと、像は社に収められた。木製の古い扉はギィィと音を立て、天女像を歓迎した。
「天女は魅了して、惑わせる。だがここにあれば御神体として、森を加護してくれる」
そういう類いの物だと拓郎は言った。実際アレが戻ってから、枯れた木々が息を吹き替えし、動物達が元気になったのだと言う。皐も同じ事を言ったが、正直俺には良く分からなかった。
白い狼についてもう一度優子に聞くと、今度は拓郎本人である事をあっさりと認めた。変身しても理性はあるが、食欲や性欲が増して思考が獣寄りなのだと言う。
「気を付けてね。襲われたら、唾液でお肌が艶々になるわ」
と彼女は危ない話をした。ともあれ、実際狼と拓郎が同一人物に思えなかったのは、俺達を巻き込まない為の彼の芝居だったのだろう。
*
兎狼神社に無数の提灯が灯り、十数人の縁者が集まった。今宵は年に一度の祭神事、皐は身重の優子の代役で神楽を舞う。早いものでこの森に住み初めてから一年が経過した。
「いよいよね」
鳥居にもたれ遠くから眺めていると、優子が春を抱いてやって来た。
「体調はどうですか?」
「すこぶる良いわ。皐ちゃんのお陰」
優子は二人目を妊娠中だが、切迫流産しかけた為ドクターストップがかかり、急遽皐が巫女を務めることになった。
拓郎の祝詞の後に、兎柄刺繍の装束を纏った皐が舞い始める。竹下の紡ぐ琴の旋律と皐の神楽鈴が、静寂の森に厳かに響き渡る。
「ところで、なぜ佐久間医院で出産を?」
一度聞きたいと思っていた。
「私に万一があれば娘は幼くして巫女になるの。満月が重なれば、眠る赤子は兎に変身してしまうのよ」
「……それでも二人目を?」
「私ね、この血は絶やすべきだとずっと一人で悩んできた。でも拓郎がしきたりごとを私を受け入れてくれて、人生捨てたもんじゃないって思えるようになったの」
優子は狩衣姿の宮司を見つめる。
「今は、父が必死に守ってきた森を受け継ぎたいと思ってるの。平坦な道ではないけれど、巫女がいたら神と話すことが出来る。そうやって関わっていたら、きっと神が人間を許せる日が来るわ。そしたら魔物も救われるでしょう?」
「……そんな日が来るのでしょうか」
「きっと来るわ。今なら丘さんに皐ちゃん、ムトウ先生も味方になってくれる。怪しい天女様も戻られたしね」
と彼女は目を細めて笑った。
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