第10話 踊り子
ステージが終わるのを待って、俺はカウンターに移動した。彼女は常連客に挨拶を済ませると、俺の隣に座った。
「久しぶりね」
「元気そうだな」
「ええ」
ナツミはレモンビールを飲むと、赤いマニキュアの指で生ハムとチーズをつまんで食べた。
「結婚……したのか?」
薬指の指輪に小さな石が光っている。
「ええ。今はムトウナツミよ。小遣い稼ぎで踊っているの」
ぽってりとした唇には真っ赤な紅をひいている。俺の知っている清楚な彼女とは、まるで別人のようである。
「ご主人はどんな仕事を?」
「何、元カノの男が気になるの?」
ナツミは含んだ笑いで俺を見た。
「いや、裏の世界ってのに興味が湧いただけだよ」
俺は言葉を濁らせた。確かにこれでは未練がましい男にしか見えない。
「残念、旦那は医者よ」
「医者?」
「ええ、何か問題が?」
「いや」
「貴方は恋人は?」
「ああ、いるよ」
「そう……」
「実は頭をぶつけて、別れた頃の記憶が曖昧なんだ。君とはあれっきり?」
ナツミを捜索した部分は割愛して、事情を話す。
「ええ。病院へは行ったの?」
「ああ、MRIもやったが異常はなかった」
「そう……よかったわ。貴方がどうしていたのかは知らないけれど、仕事だけはこなしていたでしょうね」
彼女はため息をついた。
「そうだな」
仕事の軌跡は篠塚の記録をもとに大方把握出来ていた。
「でも、貴方にも恋人が出来て安心したわ。その人には指輪くらい買ってあげなさいよ」
ナツミは飲みかけのレモンビールを俺に譲ると、奥へと消えた。彼女は俺と付き合っていた時よりもふっくらとして艶かしく、幸せそうに見えた。レモンビールはやけに爽やかな味がした。彼女を心配してこんなところまで来た自分が馬鹿馬鹿しくなり、竹下とボブの待つテーブルへ戻った。
次の演奏が始まり、力強い手拍子とアコギの音が狭い店内に響いた。
「あの踊り子が平次ちゃんの元カノなの?」
竹下が驚きを口にする。
「ええ。彼女はムトウさんと結婚していました。彼は、医者なんですか?」
「裏家業の人の治療をしているみたい。ボブの知り合いがね……」
竹下がボブを見ると、彼は頷いて話す。
「友達がヤクザの喧嘩に巻き込まれた時に治療してもらったらしいんです。でもこれ、絶対口外するなと言われているので内密にしてください」
ボブはぺこりと頭を下げた。
「そうでしたか、話してくれてありがとう」
闇医者、というやつだろうか。
俺は踊るナツミを見た。カスタネットを鳴らし、スカートを翻す彼女の汗が光って見える。看護師として働く彼女が重なって見え、もう俺の出る幕ではないと感じた。
結局その夜、ムトウ本人は現れなかった。会計を済ませるとナツミがやって来て言った。
「本当はあの後、貴方からヨリを戻したいって電話があったの。でもね、貴方は待ち合わせに現れなかった。私はみどり園のベンチで、三時間待ったわ」
「え……」
驚いて手にしていた財布を落とす。
「あら、本当に記憶が無いのね? 嘘よ、私は行かなかったの。彼と寝ていたわ。すっぽかしてごめんなさいね」
ナツミは拾った財布を俺に渡すと、「じゃあ元気でね」と笑って奥へ消えた。
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