第13話 闇医者
診療所は看板のない、純和風の民家だった。
「おい、その派手な車をこっちへ回せ」
砂利道の奥の狭いスペースに停車すると、ムトウに続いて歩いた。門戸を開けると石畳のアプローチがあり、すぐ玄関にたどり着いた。表札の類いはなく、引き戸のすりガラスには桜模様の凹凸があしらわれている。
ムトウに連れられて診療室を横目に奥へ進むと、い草の匂いのする和室に皐が眠っていた。
「傷の具合からして、おそらく熊だ」
彼は浅黒い顔の眉間に皺を寄せた。
「熊?」
「ああ。だが俺達があの森で熊に襲われたことは一度もないし、拾った時あの子は熊に寄り添って眠っていたぐらいだ」
「野生の熊にか?」
「俺も驚いたが、事実なんだ。だから尚更、何か理由があるとしか思えない」
彼女が目覚めたら確認しなくてはならない、と彼は付け加えた。
「ムトウちゃん、お医者様だったのね?」
竹下の言葉に彼は坊主頭を掻いた。
「竹下先生、この事は黙っていてくれねぇかな」
「いいわよ。ギターのメンテにいらっしゃらないから、どうしたのかと思っていたのよ」
「実は入り用が出来て、質屋に入れたんです」
「あのマーティンを手放したの?!」
「知り合いの質屋なもんで、来月には買い戻せる予定っす」
面目ねぇ、とムトウは頭を下げた。
「良かった。ところで平次ちゃんが話したがってたわ。私が皐についてるから、二人で話してらっしゃい」
「あんた、警察に追われているのか?」
好意を無下には出来ずお膳立てに従った。
「闇医者には厄介事が多くてな」
ムトウは片方だけ口角を上げて答えた。
「ナツミを幸せにできるのか?」
「何かあれば、彼女とは別れる。心配しなくても、戸籍は綺麗なままさ」
縁側から庭を見る彼の横顔は、憂えているように見えた。
ナツミが急患を知らせにくるとムトウは診察室へ消えた。庭へ降りると、小さな池に黒い鯉が二匹泳いでいる。俺はしばしの間、仲睦まじく平行して泳ぐ姿を眺めた。
「皐が目を覚ましたわ、早く来て!」
竹下が縁側から呼んだ。
「容体は?」
「微熱があるわ。それと……襲ってきた獣を庇っているの」
「庇っている?」
「ええ、黒いやつのことはもう良いって。とにかくムトウちゃんを呼んでくるから、ついていてあげて」
そう言うと竹下は診療室へ向かった。
和室に入ると微熱のせいか、皐の頬が赤らんでいる。
「大丈夫か?」
「平次こそ、一人でうちに帰れるか?」
彼女は掠れた声で笑った。
「お前な、俺はもう獣道を克服したんだよ」
ガーゼで汗を拭ってやってから額に口づけると、彼女の肌はしょっぱい味がした。
「蛇が出ても?」
「ああ。でも今夜は自宅に戻る事にしたよ」
篠塚は優秀な秘書である。一報をいれると、危険だから丘宅に戻るか、さもなければ自分が泊まりに来ると言い出したのである。
「それなら安心だな」
「なあ……知っている熊だったのか?」
思いついた事を口にすると、皐は動揺した。
「あ、あいつを責めないでくれよ」
「昔お前を助けてくれたヤツだったのか?」
皐は目を見開いた。
「何でわかったんだ?」
「ははっ。勘だよ、すごいだろ?」
「あたい思い出したんだ。鼻に大きな傷痕がある熊で『テディ』って呼んでた。くっついて眠るとあったかいんだぜ」
「そのテディがどうして咬みついたんだ?」
「わからない……」
皐は体を起こすと、ペットボトルの水をがぶがぶ飲んでから言った。
「もしかしたらテディは思い出したのかもしれない。やつの鼻の傷はパパがつけたんだ」
彼女は左腕で口を拭うと遠い目をした。
「ムトウが?」
「ううん。あたいを捨てた本当のパパだ。彼はテディの子熊の命も奪った」
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