第23話 魔王の夢に出る

「……これは、夢であるな」


 冷たい鋼の玉座に腰掛けて、ザグギエルは独りごちた。


 今の自分は膝を組めるほど脚が長くないし、肘置きに頬杖を突く腕もない。

 短い足の付いた醜い毛玉こそが己の姿だ。


 この冷えた空気にも覚えがある。

 懐かしき魔王城の香りだ。

 かつてはここで暗黒大陸を支配していた。

 懐かしき平穏の時代。


 だから、これは夢だ。

 時期にして、暗黒大陸を統一してちょうど百年が経った頃合いだろう。


 そしてこれが過去を再現した夢ならば、次に起きることも知っている。


『魔王ザグギエルよ、何故、人間たちの住む大陸へ侵攻しないのです。暗黒大陸を統一した歴代の魔王は総じて人間大陸へ侵略の手を伸ばすというのに』


 姿なき者が、ザグギエルに語りかけてきた。

 それは清廉な響きのある女の声だった。


 ザグギエルはこの声の正体を知っている。

 知っているからこそ、侮蔑に失笑した。


「なぜ人間界を侵略しないのか、だと? くく、逆に問いたい。人間の味方を気取る女神の貴様が、何故そんなことを気にする? 余が人間界を脅かさなければ平和で良いではないか」


『…………』


 痛いところを突かれたのか、女神は黙り込んだ。


「余が暗黒大陸を統一したのは、争いの尽きぬこの大陸に嫌気が差したからだ。この地にはすでに充分な資源がある。わざわざ余所から奪う必要など無く、大陸を平定した今ならばゆっくりと土地を開発していける。わざわざ人間との間に戦争を起こす必要など無い」


『……お前は、それでも残虐たる魔族の王、魔王ですか?』


「魔【王】だからだ。王たる者、考えることは常に民のことでなければならん。余とて魔族よ。闘争のない生活は少々退屈だが、それは統一戦争で存分にやった。これからは国力を回復させ民を癒す。余はここに千年王国を築き上げるのだ」


 どんな魔族も成し遂げられなかった偉業。


『正気ですか? 魔王となった今、あなたは人間へのどうしようもない憎悪に駆られているはず。なぜ耐えられているのです……!?』


「襤褸を出し始めたな、女神よ。耐えているのは仕組みを理解しているからだ』


 そう、この頭の中で渦巻くどす黒い願望も、自分のものではないと理解していれば、意識の隅に追いやれる。


『歴代の魔王は皆、理由もなく人間を虐殺したがる。そして虐殺の果てに、対抗存在として生まれる勇者に討たれるのだ。何年も何年も、貴様らはそうやって繰り返してきた」


『お前は、いったいどこまで知っているのですか……?』


「何も知らんさ。知っているのは我ら魔族が効率よく魂を上位存在へと送るための収穫機で、人間たちがお前らの食糧だということくらいだ。増えれば収穫し、減ればまた育てる。」


 ザグギエルは玉座から立ち上がり、高い天井を、その先にいる上位存在を睨みつける。


「余は貴様らの作った糞のような構造に呑み込まれてやるつもりなどない。余は余の意思で世界を支配する。余を舐めるなよ、女神を気取る邪神風情が」


 ギィィ、と軋むように口端を広げ、ザグギエルは嗤って見せた。


『……そうですか。分かりました。お前は使えないと判断します。魔王の選定はやり直しですね』


「本性を隠す気もなくしたか。神託を授けるしか能の無い貴様が、余に何をすると?」


 嘲って魅せたが、相手は上位存在、高位の次元に住む化物だ。

 ザグギエルは両拳を握り、戦いに備えて魔力を練り上げる。


 そんなザグギエルを哀れむような声で女神は言った。


『魔王ザグギエル、慈悲の心を持たぬ冷酷な男よ……。あなたに試練を与えましょう……』


「……試練だと? 何を言っている?」


『力に溺れ、欲のまま振る舞い、民を虐げようというその悪しき行い、女神として見過ごすわけにはいきません』


 先ほどまでの会話から、まったく真逆のことを言いだした女神に、ザグギエルは怪訝に眉をひそめ、答えに思い至ってハッとした。


「貴様……! 余を無理矢理、神の試練の定義に納める気か……!」


『重き試練です。あなたはその力の一切を失い、地を這って暮らすことになるでしょう。ですが、神は寛大です。乗り越えられぬ試練を課したりはしません』


「ぐ、ぐぬうううううっ! 体が、体が焼けるように熱い……!」


 体から湯気が立ち上り、見る見る視界が低くなっていく。

 手足は短くなり、全身は黒い毛に覆われ、声すらまともに発せなくなってきた。


『あなたに課す試練は一つ。それは百万の愛をその身に受けること。誰にも愛されぬ冷酷な王よ、愛し愛される心を知りなさい』


 天から神々しい光が降り注ぎ、クルミ大の種が落ちてくる。


『その種が芽吹き、花開くことがあれば、あなたの呪いは解け、元の姿を取り戻すでしょう。しかし、それまであなたの姿は醜い小動物のままです。その姿のまま百万もの愛を授かるのは大変でしょうが、なに、あなたならきっと乗り越えられることでしょう。試練を乗り越え、優しい魔王となれる日を期待していますよ』


「貴様ァッ……! 何が試練だ……! ただの卑劣な呪いではないか……! この邪神めが……邪神メウッ……!」


 もはやメウメウと鳴くことしか出来なくなった体が、玉座から転げ落ちる。


 よろよろと起き上がった先には、落ちてきた種が転がっていた。


「様子がおかしいと思って見に来てみれば、まさかこのようなことになっていたとは……」


 ザグギエルより先に、その種を拾う者がいた。


『お、おお、ザーボックか……!』


 腹心である男が、ザグギエルを見下ろしていた。

 不健康そうな肌にやつれた頬、落ちくぼんだ目だけがギラギラと光っている。


「ふむ……」


 つまみ上げた種をしげしげと観察し、手の平の上で転がす。


「これが呪いの原因ではなさそうですな。呪いの開放度を測る呪物のようなものでしょう。破壊しても意味はなさそうです」


『そうか。だが、余の右腕たる貴公が事情を理解していてくれて助かったぞ。百万の愛と言っていたな。女神め、余が民からどれだけ支持されているのか理解していなかったと見える。宰相であるお前が保証すれば、このような姿でも民は余が魔王ザグギエルであると理解するだろう。このような呪いなどすぐに解いてくれるわ』


 ザーボックは片眉を上げた。


「果て? 不思議ですな。私の目には魔王様などどこにも映っておりませんが」


『ザーボック? 何を言っておる。余と女神の話を聞いていたのであろう? 余が魔王ザグギエルだ』


「メウメウとやかましいケダモノですな。私にそのような知り合いはおりません」


『なっ……!? ザーボック、貴様まさか裏切るつもりか!?』


「衛兵! 魔王様のお姿がないぞ! 何をしていた!」


 糾弾するザグギエルを無視して、ザーボックが声を上げる。

 鎧姿の兵士が分厚い鉄扉を開けてなだれ込んできた。


「こ、これはいったい……!? ザーボック様、魔王様はいずこへ!?」


「それを調べるのが貴様らの仕事だろうが! 護衛の任を怠ったな! 重い処罰が下ると思え!」


 一喝されて衛兵たちは身をすくめた。


「だが、今は魔王様を探すことが先決だ。国中に布令を出せ。なんとしても魔王様をお探し出すのだ!」


「「「ははっ!」」」


 疑いも持たず敬礼する衛兵たちを見て、ザーボックはニヤリと笑った。


「……ああ、それから害獣が入り込んでいたぞ。城の外で処分しておけ」


 ザーボックはザグギエルの首根っこをつかんで、衛兵に突き出す。


『ま、待て。余こそが魔王──ガッ!?』


 全身がしびれ、ザグギエルはそこで意識を失った。


「妙な病気を持っているかもしれん。念入りに息の根を止めておくのだぞ」


 電撃魔法を食らって煙を上げる毛玉を、ザーボックは衛兵に押しつける。


 衛兵はいぶかしがりながらも受け取り、一礼をして玉座の間を退出していった。


 ザーボックは彼らを見送ると、玉座に深く腰掛けて頬杖を突く。


「くくく、何という幸運か。諦めていた地位が、こんなにも容易く転がり込んできたわ」


 ザーボックは元々魔王を裏切るつもりだった。

 しかし、隙の無いザグギエルにどうしようもないと諦め果てていたところにこの騒動だ。

 女神には感謝しかない。


「そう言えばあの女神、魔王の選定をやり直すと言っていたな。神の都合など知ったことではないが、世が戦乱に戻るというのならば結構。略奪に虐殺。それこそが魔族の本懐よ。おおいに楽しませてもらおうではないか!」


 手の中で種を転がし、ザーボックは高らかに笑い続けた。



   †   †   †



 それからは地獄だった。


 忠実な衛兵は気を失ったザグギエルをめった刺しにしてから火を付け、ゴミと一緒に放り捨てたが、それでもザグギエルは一命を取り留めた。


 呪われた体は脆弱だったが、その呪いのせいか死ぬことだけはなかった。


 城を追われたザグギエルは、何とか魔王であることを信じてもらおうと様々なものに話しかけたが、誰も信じるわけがなく手ひどい扱いを受けた。


 踏みにじられ、嘲笑われ、戯れに傷つけられ、ザグギエルはそんな生活を数百年もの間続けた。


 泥水をすすり、虫や草を食べて飢えをしのいだ。

 みじめだった。苦しかった。

 女神への憎しみや、裏切った部下への怒りも、数百年の間にすり切れてしまった。


 自分がなぜ生きているのかも分からないまま、ただ放浪する日々。


 元に戻ることすら諦めていたある日、ザグギエルは海に落ちた。

 そして海流に流され人間の大陸まで流れ着いたが、そこでも何かが変わることはなかった。


 なにせスライムにすら勝てない貧弱な体だ。

 相手が変わるだけで、虐げられる生活は何も変わらなかった。


 だが、その日はいつもと少し違った。


『グゲゲゲゲゲ! ザマァないですなぁ! 魔王様!』


『本当にこいつが元魔王なのかよ!? 弱すぎて話にならんぜ!』


 耳障りな鳴き声を上げて、空を飛ぶ二羽の巨鳥が嗤う。


『ぐ、貴様ら……』


 よろよろと体を持ち上げ、空を睨みつける。


 だが口から出る言葉は、『メウメウ』という子猫のような弱々しい鳴き声にしかならなかった。


『にしても、しぶといねぇ。俺らが遊んでるっつっても、そろそろ死んでも良いんじゃないか? これじゃあ命令が果たせないぜ』


『腐っても元魔王ってことかねぇ。牙もねぇ爪もねぇ。ぐにゃぐにゃで柔らかいだけの毛玉なのに、一向に死ぬ様子がねぇ』


 奴らの言うとおり、これだけ執拗に攻撃を受けたら、普通はとっくに絶命しているだろう。


 だが、そうはならない。


 この肉体のたちが悪いところは、死のうにも死ねないことだ。


 見た目通り何の力も持たないゴミのような体だが、生命力だけは無限にあった。

 これも神の呪いの一つなのか。


 どれほどの傷を負っても、毒を浴びても、溺れても、燃えても、飢えても、死ぬことだけはなかった。

 そのくせ、苦痛だけはしっかり感じるのだから、ひどい話だ。


 まさしく生き地獄のような日々を送ってきたが、今日襲いかかってきた敵はいつもの魔物たちとは様子が違った。


 なぜか自分の正体を知っていて、誰かの命令で動いているらしい。


 力を失った自分を、今さら殺したところで何になるというのか。

 むしろ殺せるものなら、いっそここで殺して欲しい。


 独りで惨めに生き続けるのは、もう疲れた。


 その時だった。


「そこまでです!」


 巨鳥たちと自分の間に割って入る、誰かの影。

 まるで自分を守るかのように立ち塞がった人影は、見目麗しい少女だった。


「これ以上のモフモフへの狼藉は、このわたしが許しません!」


 毅然と言ってのけると、襲いかかってきた巨鳥たちをあっという間に倒してしまった。


 そして怪我をして呆然としている自分を、優しく癒してくれたのだ。


 数百年ぶりに、いや、もしかしたら生まれて初めてこんな風に優しくされたかもしれない。


 抱き上げられ、優しく撫でられる。

 他者のぬくもりとは、こんなにも心地よいものだったのか。


 見上げると、大きな黒曜石のような瞳と目が合った。


「ん、なぁに?」


 少女は優しく微笑んだ。


『余は……』


 少女の微笑みを見て、ザグギエルは胸が詰まるような、それでいて暖かくなるような気持ちになった。


 呪いをかけられて数百年目にして、ザグギエルは初めて愛に触れたのだった。

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