第3話 第一モフモフを発見する

「むむむ、いざ会おうとすると、なかなか出会わないものですね」


 街を出たカナタは、少し離れた森の中を一人でさまよい歩いていた。


 完璧な歩法で歩くカナタの靴は、森の軟らかい土に汚れることはなく、落ち葉を踏んでも足音一つ鳴らさない。


 さすがは適性職業の中に暗殺者があるだけのことはあった。


「おーい、待ってくれーい!」


「お嬢さん! 一人で街の外を出歩くのは危ないよ!」


 振り向くと、鎧を着て槍を持った兵隊が、こちらに向けて手を振っていた。


 あれは街の門番をしていた二人だ。

 カナタの後を追いかけてきたらしい。


「ぜぇっ、ぜぇっ……! お、お嬢ちゃん、足速いねぇ」


「僕ら、体力には自信があったんだけどね……」


 二人はようやくカナタに追いつくと、膝に手をついて息を整えた。


「どうしたんですか、兵隊さん。門の番をしなくて良いんですか?」


「どうしたって……、お嬢ちゃんが着の身着のまま、散歩気分で街を出て行くから、心配になって追いかけてきたんだよ」


「門番はちょうど交代のタイミングだったから、問題ないとも。僕らの昼飯の時間がちょっと短くなるくらいさ」


 どうやら二人は勤務時間外だというのに、休憩時間を減らしてまで助けに来てくれたらしい。


「そんな、私のために悪いです。ご自分の時間を大事にして下さい」


「お嬢ちゃんを見つけちゃった以上、そういうわけにはいかんよ」


「でも、それだと一緒に行くことになっちゃいますけど、良いんですか?」


「一緒に行くって、おじさんたちはお嬢ちゃんを連れ帰りに来たんだが……」


 中年の兵士が兜の面を押し上げて蒸れた頭を掻く。


「先輩、ここは僕に任せて下さい」


 いくぶんか年かさの若い兵士が、同じように兜から顔を出してカナタの前に立った。


「お嬢さん、ルルアルス女学院の生徒さんだよね? そのリボンタイの色は中等部の三年生だろう? 今日は成人の儀がある大事な日だったんじゃないのかい?」


 若者の補導に慣れているのか、青年兵士はカナタの学校の行事まで言い当ててきた。


「はい、ちょうど職業が決まったところです。なので、さっそく職能を試しに来たんです」


 それを聞いた中年兵士が、やれやれと肩をすくめた。


「あー、いるんだよなぁ。剣士とか魔術師とかの戦闘系の職業になったからって、調子に乗って魔物に挑もうとするひよっこが。魔物ってのはそんな甘っちょろいもんじゃないよ」


「まぁまぁ、先輩、僕らにもそんな頃があったじゃないですか」


 青年兵士が間に入り、しかし意見は同じようだ。


「ここらはスライムやゴブリン程度しか出ないけど、それでも一人で出歩くような場所じゃないよ。悪いことは言わないから、おじさんたちと一緒に帰ろう」


 心からの善意で兵士はそう言った。

 そして、カナタの顔を見て、何かに思い至る。


「……あれ? キミ、どこかで見たことがあるような気がするな……?」


「おいおい、こんな若い子を口説く気か? いくら美人でも、流石に年下過ぎるだろ」


「違いますって。本当にどこかで見た気が……。すまないけどキミの名前を聞かせてもらっても良いかい?」


「構いませんよ。私の名はカナタ・アルデザイアです」


「カナタ、アルデザイア? ……!!」


 カナタの名前を聞いた途端、兵士の表情が固まった。

 そして驚愕と同時に動き出す。


「カナタ・アルデザイアって、あのカナタ・アルデザイア!? ルルアルス女学院きっての才媛で、始まりの聖女の生まれ変わりとさえ言われている!?」


「俺も知ってるぞ! カナタ・アルデザイアっていやあ、国中の猛者を集めた王都の剣技大会で三年連続優勝してる有名な剣士じゃないか! こんな若い娘だったのか!」


「はぁ、多分そのカナタ・アルデザイアで合ってると思います」


 驚く兵士たちとは対照的に、カナタは気もそぞろだった。

 早く魔物を探しに行きたかったのだ。


 カナタのモフモフ欲は限界に達しようとしていた。


「お、おい。とんでもない子に声をかけてしまったんじゃないのか、俺たち……?」


「本当に連れ戻す必要はないのかも知れませんね……。間違いなく僕らより強いですよ、この娘……」


「だからって、はいそうですかとトンボ返りするわけにもいかんだろう。いくら強いって言ってもまだ十五かそこらの娘なんだから」


「何とか説得するしかないですかね……」


「なぁ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんが強いのは、よーっく分かった。その上で頼むんだが、一度街へ戻ってくれないかね。しかるべき装備を身に付け、ちゃんとした仲間と一緒に行くというのなら、今度こそ止めないから──って、あれぇぇっ?! いないぃぃぃ?!」


「先輩! あそこです! 逃げられました!」


 二人の兵士が相談している間に、カナタはさっさと先へ進んでいた。


 カナタは戻る気はないし、兵士たちは連れ戻したい。

 話が平行線な以上、これ以上の対話は無意味と判断した。


 そんなことよりモフモフだ。

 モフモフしていない兵士たちに用はないのだ。


「おーい! 待ちなさーい! おーい!」


 再度の追いかけっこになるかと思われたが、その時、森の奥で何かが叫ぶような声が聞こえた。


「GUGEEEEEEEEEEEEEEEEE!!」


 けたたましい、不吉を孕んだこの不協和音を、兵士たちが聞き間違えるはずもない。


「これは、魔物の声!! しかも、まさか、この声は……!?」


「お嬢ちゃん! こっちへ来るんだ! この先は危ない──ってなんで加速してるのあの娘ぉぉぉぉぉっ!?」


「モッフモフ! モッフモフ!」


 呼び止める声など、モフモフに頭を支配されたカナタに届くはずもない。


 生い茂る木々の隙間を縫い、枝を蹴って宙を舞い、またたく間に目的地が見えてきた。


「GUGEEEEEEEEEE!!」


「GARGARGAR!!」


 巨大な魔物が空を飛んでいた。


 鴉にも似た鋭いくちばしを持った、二羽の巨鳥だ。

 羽を広げた翼の大きさは、大人が五人寝転んでもまだ足らないだろう。


 最初は、その二羽の魔物が争っているのだと思った。


 しかし違った。

 よく見れば巨鳥たちの攻撃は、地面でうずくまっている者を対象にしているではないか。


 ズタボロになった雑巾のようなそれは、ゴミか何かに見えたが、そうではない。


 うずくまっていたのは、子猫ほどの大きさの黒い毛玉だった。


 そう、毛玉だ。

 小さな体を丸めて震える姿は、どこが手足かも分からない。

 とんがった猫耳だけが毛玉から飛び出していた。


 元は真っ黒で柔らかだったであろう毛並みは、度重なる攻撃を受けて血と泥に汚れてしまっている。


「「GUGEEEEEEEEEEEEEEEEE!!」」


 巨鳥たちの攻撃は執拗で、急降下しては毛玉を蹴爪けづめで切り裂き、ふたたび飛び上がっていく。


 毛玉はそのたびに地面を転がって、しかし逃げることも出来ずにその場で震え続けている。


「「GUGEGEGEGEGEGEGEGEGE!!」」


 二羽の巨鳥はけたたましく鳴いた。

 わらうようなその鳴き方は、黒い毛玉をいたぶって殺そうとしているのが丸わかりだった。


 カナタは思わず駆け寄って毛玉をかばおうとしたが、その行く手を塞がれる。


 追いついてきた兵士たちだった。


「ぜぇっ、ぜぇっ、なんつー速さだ! 走りきった俺を褒めたい!」


「ま、待つんだ……! あの魔物には手を出しちゃ駄目だ……!」


 カナタよりだいぶ遅れつつも、槍や兜を捨てて何とか追いつけたようだ。

 倒れ込むようにしてカナタの前を体で塞ぐ。


「頼むから話を聞いてくれ、嬢ちゃん……!」


「あの鳥型の魔物は、国が賞金をかけているほどの強敵なんだ……! あいつらには腕利きの冒険者や騎士が何人も狩られている……! いくらキミが強くても、素手であんな怪物を相手にするのは無理だ……!」


 兵士たちは本気でカナタの身を案じていた。


 今はあの黒い毛玉に夢中になっているが、いつこちらに気づいて攻撃の矛先を変えてくるか分からない。


「襲われているのが人間じゃなくて良かった。さぁ、早くこの場を離れよう」


 兵士たちはカナタに退くよう訴えかけるが、カナタはその場を動こうとしなかった。


「…………」


 カナタは、痛めつけられている毛玉をずっと見つめていた。


「もしかして、あの小さな魔物を救いたいのか? やめとけ、魔物を助けても人に懐いたりなんかしない」


「あれは魔物同士の争いなんだ。我々人間が横から手を出すようなことじゃないはずだよ。自然の摂理に従って、そのままにしておくべきだ」


 そう言いながら、カナタの肩に手をかけようとした兵士たちに、カナタはようやく意識を向けた。


「兵士さん。わたし、考えたことがあるんです。魔物同士が戦っているところを見たら、どうするか」


 兵士の言うことは正しいのだろう。

 魔物同士の争いに、関係のない人間が手を出すべきではない。


「それは縄張り争いなのか、生きるため食べるためなのか、どちらにしても勝手に手を出すことは自然の摂理に反している」


 カナタは前に進み出た。

 そのあまりに自然な一歩に、止めようとしていたはずの兵士たちは道を空けてしまう。


「でも、だから、わたし決めたんです。その時は……」


「「……その時は?」」


「よりモフモフしている方を助けようと!!」


 宣言するカナタに、兵士たちはきょとんとして、それから我にかえって突っ込んだ。


「り、利己的ィ!!」


「自己中心の極み!!」


 カナタはふふんと鼻を鳴らし、兵士たちの脇を抜けて走り出す。


「利己的結構! 自己中上等! 自然の摂理など知ったことではないのです! わたしはそんな道理をぶち破るためにここまで鍛えたのですから!」


 カナタの今までの努力は、今日この日のためにあった。


 その才能、その鍛錬、その強さ。

 すべてをモフモフのために捧げたのである!


 カナタは決意を胸に、黒い毛玉を助けるべく疾走した。

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