第2話 街を出る


「「「えええええええええええっ!? 魔物使いいいいいいいいいいっ!?」」」


 カナタの選んだ職が【魔物使い】と聞いて、教師たちは仰天した。


 てっきりカナタが【聖女】となって儀式を終えると思っていたからだ。


 それほどまでにカナタは周囲から期待されていた。


 文武両道どころではない。

 魔術や薬学、本当にありとあらゆる分野でカナタは才能を発揮していた。


 王都の発表会や大会でカナタが優勝していない項目があっただろうか。

 凄まじい才能を持って産まれながら、おごることなくひたむきに努力し、そして鮮烈な結果を叩き出す。


 彼女が自分の教室で学んでいることを、教師たちはどれほど誇りに思ったことか。

 将来、カナタ・アルデザイアは私が育てた、と自慢する気満々だった。


 それがどうして、魔物使いなんてハズレ職業を選んでしまったのか。


「それでは皆さま、ごきげんよう」


 肩を落とす教師たちを尻目に、カナタはスカートを持ち上げて優雅に礼をした。


「ま、待ちなさい! カナタ・アルデザイアさん! どこへ行くのです!」


「魔物のテイムを少々」


 お華とお琴を少々のテンションでカナタは答える。


「は、はぁ!? ちょっ、話はまだ終わっていませんよ! これからの進路はどうするのですか! 魔物使いなどになっては、せっかくのあなたの才能が……!」


 まだ引き留めようとする教師陣の手をするりと躱し、カナタは微笑む。


「申し訳ないのですが、高等部への進学は取りやめます」


「「「え、ええええええええええええええええええっ!?」」」


 追いかける教師たちは仰天どころかひっくり返った。


「もうここで何かを学ぶ必要はなくなったので」


 適性職を増やすために、長年演じてきた才色兼備な令嬢役はもう終わりだ。

 魔物使いになれた以上、猫をかぶる必要もない。


「ふふふ……、ふふふふふっ、ふははははははっ! 魔物使いになれた以上、この学園にもう用はないのです! 窮屈なお嬢様学校よ! さらば!」


「「「ま、待ちなさーいっ!!」」」


 三段笑いで勝ち誇ると、カナタは軽やかなステップで教師たちを引き離していく。


 魔物使いとなり激減したステータスは、彼女の肉体をなんら縛っていなかった。

 身体能力が十分の一まで激減していても、カナタの俊敏性は教師たちを遙かにしのいでいた。


「もっふもふ♪ もっふもふ♪」


 中等部までのカナタを知っているものならば、こんなにはしゃいでスキップする彼女の姿など信じられなかっただろう。


 カナタは誰に憚ることなく本来の性格に戻り、学園の門を抜けて街の外へと向かった。


「ああ、ここまで長かったなぁ。やっと、やっと……モフモフできる!!」


 カナタが本性を隠して努力を続け、稀少な職業の数々を捨ててでも魔物使いを選んだ理由は、かなり昔にまで遡って話さなければならない。


 それこそ転生の瞬間までだ。


 カナタはこれまでの苦労とともに、自身が産まれる前のことを思い返した。



   †   †   †



 最初は真っ暗な闇の中だった。

 音もない光もない。何もない空間を漂っているかのような感覚。


 このまま無限の時間を過ごすのだろうかと思っていると、不意に誰かが呼んだ。


よしかなさん」


「……はい」


 それは自分の名前だったので、カナタは返事をする。

 次の瞬間、そこには白く輝く球体が浮かんでいた。


「落ち着いて聞いて下さい。あなたは亡くなりました。ここは死後の世界です」


「……ああ、やっぱりわたしは死んだんですね」


 とすると、この球体は神様か何かだろうか。


 真っ暗な空間で、輝く球体とふたりきりで浮かんでいる。

 そんな非現実的な光景のおかげか、唐突な出来事にもパニックになることはなかった。


「あなたは生前、とても不幸な人生を送りましたね」


「む。そうでしょうか? わりと普通だと思いますけど。世界基準で見たらそこそこ幸せだったような?」


 飢えることも乾くこともなかった。

 死因も衰弱死だ。

 死ぬときはもっと怖いかと思ったが、そこまででもなかった。


 我ながら、まぁまぁの死に様ではなかろうか。


 心電図のフラット音を聞きながら意識が落ちていくのは、なかなか貴重な体験だったと思う。


 しかし輝く球体には、その返事が不満だったようだ。


「産まれたときから大量の管に繋がれ、病院の外に出ることは許されず、たった独りで誰とも接することはなく、死ぬときでさえ看取ってくれる人はいなかった。これを不幸とは呼ばないと?」


「まぁ、ネットがありましたし。画面越しですけど、外の世界には触れられましたし」


 投薬や注射や手術を除けば、生活が保証されたニート生活と言えなくもない。


 物心ついたときには、両親はもう会いに来なくなっていたけど、入院費用はしっかりと払ってくれていた。


「それを不幸と感じないのは、やはりあなたの魂が重いせいでしょうね」


「重いとか、失礼じゃないですかね」


 むしろ死に際は、骨と皮しか残らないくらい痩せ細っていたから、軽い方だと思う。


「そういう意味ではありません。あなたの存在質量が重いと言っているのです」


 何のことかは分からないが、あんまり良くないことなのだろうか。


「良い悪いではなく、天秤の傾きです。あなたのような魂の重い存在は、別の次元へ移して創世樹のバランスを取る必要があるのです」


「はぁ、理屈は分からないですけど、死んでしまった後なので自由にしてもらって結構ですよ? 自分的にはしっかり生きてさっぱり死にましたし」


「では、自分の人生に悔いはないと? ほんのわずかでも? 本当に悔いはないと言い切れますか?」


「う、うーん」


 悔い、か。

 そこまで念押しされると考えてしまう。


「あー、あると言えば、一つありますね」


「ほう、それは? 何でも言ってみて下さい」


「モフモフしたかった」


「……モフモフ、ですか?」


「わたし、無菌室で育ったので。動物に触れる機会なんてなかったんですよね。あの柔らかそうな毛並みを撫でたり揉んだり舐めたり吸ったりしゃぶったりいんぐりもんぐりしたかった……」


 ああ、モフモフ。モフモフしたい。

 触れることの出来ないAVアニマルビデオにどれほど悶々としたことか。


「い、いんぐりもんぐり、ですか……」


 球体が半歩ほど離れていく。

 何か引くようなことを言っただろうか。


「おほん。では、悔いがあるということで良いのですね」


「そうですね。モフモフしたいですね。モフモフさせてくれるんですか? あなたはあんまりモフモフしてないようですけど」


「わ、私はモフモフさせませんっ。重魂者はどうしてこう、常識外れの方が多いのでしょう……」


 伸ばしたカナタの手から球体は逃れ、溜息をついたような気配をさせる。


「話を戻しますよ。あなたに悔いがあるのであれば、その悔いを解消させることが出来ます。新たな世界と新たな人生で、ですが」


「もしかしてそれって、異世界転生ですか?」


「話が早いですね。その通り、あなたにはこれから異世界へ転生していただきます」


「なんだか話の流れでそういうことなんだろうなと予想はしていました。WEB小説は大好物ですので」


 退屈な病院生活の友だ。

 友と言ってもいい。現実の友達は一人もいなかったのでしょうがない。


「転生先は剣と魔法のファンタジー世界」


「おお!」


「あなたの言うモフモフ? の動物もちゃんといます」


「素晴らしいです!」


「それから、あなたの前世と今世の釣り合いを取るため、恩恵を与えましょう」


「チートですね!」


「病弱だった分だけ、あちらでは強靱に。不幸だった分だけ、あちらでは幸運を。孤独だった分だけ、あちらでは沢山の出会いがあるでしょう」


「チートパワーで思う存分モフモフできると言うことですね! 異世界モフモフ! 異世界モフモフ!」


 カナタのテンションは上がりっぱなしである。

 モフモフしたい。早くモフモフしたい。


「では、契約は成立ですね。次元間の魂の移動において、本人の同意を確認しました」


 先ほどまでの会話は、転生条件を満たすためのものだったようだ。


 まんまと乗せられてしまったような気もするが、モフモフできるなら何の問題ない。


「準備は整いました。それでは吉野彼方さん。良き異世界生活を」


「はい! いっぱいモフモフしてきます!」


「あっ、はい」


 高まったテンションのままに答えると、どこかへ強い力で引っ張られているのを感じた。


 そして意識は急速に遠ざかり、カナタは新たな世界へと転生することとなったのだ。



   †   †   †



「この子の名はカナタであると、神がおっしゃっています」


 丸眼鏡をかけた神父が、産まれたばかりの赤子の名を告げる。


「カナタ、不思議な名前だ」


「ええ、でもとても心地よい響き」


 赤子の父と母が、授かったばかりの名前を噛みしめる。


「カナタ。産まれてきてくれてありがとう」


 ベッドに横たわる母は、すぐ隣で眠る赤子に頬をすり寄せた。


「おおっ、カナタが俺の指を握ってくれたぞ! 凄い力だ! いや、待て、本当に力が強い……いたたたたたたっ!」


「あらあら、あなたったら、おおげさねぇ」


 まだ目も開かぬ赤子は、両親の声を聞いて、嬉しそうに微笑んだ。



   †   †   †



 それから、またたく間に時は過ぎた。

 優しい両親の元ですくすくと育ったカナタは、五歳になっていた。


 そんなカナタが何をしているかというと──


「わんちゃん!」


「ガウガウガウッ!」


「おねこさま!」


「フッシャァァァァァァッ!」


 動物に声をかけては、威嚇されたり、一目散に逃げられたりしていた。


「うう……。きょうもだめだった……」


 転生してから五年が経つというのに、一度も動物と触れあっていない。

 せっかく健康な体に産まれたのに、動物が懐いてくれなければ詐欺ではないか。


「はぁぁ……」


 がっくりと肩を落として、カナタは溜息をついた。


「カナタちゃん、今日も駄目だったのねぇ」


「うん、だめだったよママン。モフモフさせてくれなかったよ……」


「カナタちゃんはとっても優しい子なのに、どうして動物たちは懐いてくれないのかしらねぇ」


 ほっそりとした頬に手を当てて、母が首をかしげる。


「そんなの、カナタがしりたいよー」


 カナタは口を尖らせた。


 モフモフ目当ての転生なのに、まったくモフモフできていない。


 動物たちはカナタの姿を見ただけで、まるで恐ろしい魔物と遭遇したかのように、みんな怯えきってしまうのだ。


「はっはっは! カナタは今日も動物に嫌われているのか!」


 仕事を終えた父が、快活に笑いながらやってきた。


「むー」


 頬を膨らませるカナタの頭を、父の大きな手がよしよしと撫でる。


「むーむー」


「むくれるなむくれるな」


「ぶー」


 ほっぺたを押さえられて口先がぶぅぶぅと鳴った。


 モフモフはいまだ出来ていないが、この優しい両親の元に産まれただけで、転生して良かったと思えた。


 領主でありながら、貴族的な選民思考を持たず、娘にも厳格に接することはない。

 中世の価値観が浸透するこの世界では、珍しい考えの人たちと言えた。


「しかし、動物にこれだけ嫌われるとなると、これはもう魔物使いにでもなるしかないかもしれんなぁ」


「まものつかい?」


 聞いたことのない名称に、カナタは顔を上げる。


「魔物使いになれば、その職能で魔物と仲良くなれるそうだ。そうすれば、お前がいつも言っている『モフモフ』も出来るんじゃないか?」


 その言葉を聞いて、カナタの顔がぱぁっと輝いた。


「すごい! すごいすごい! カナタ、まものつかいになる!」


「あらあら、カナタちゃんったら」


「しかしカナタよ。なりたい職業になるというのは、存外難しいことだぞ。父さんも昔は魔術師になりたかったが、適性があったのは剣士だったからな」


「じゃあ、いっぱいがんばる! がんばってまものつかいになる!」


「そうか! いっぱいがんばるか!」


「うん! がんばるの!」


 父はカナタを肩車して笑った。

 その様子を見て、母も嬉しそうに目を細める。


 ──そうしてカナタは頑張った。


 あらゆる知識を進んで学び、どんな技術も身に付け、体を鍛え、美貌を磨き、礼儀作法も完璧に覚えた。

 成人の日がやってくる日まで、カナタは少しも手を抜くことはなかった。


 全てはモフモフのために!


 そうしてカナタの努力は実を結んだのである。

 まぁ、その努力はまったく必要がなく、最初からカナタの適性職業の中に入っていたのだが。


 しかし、その努力のおかげで魔物使いのデメリットを問題としないステータスを手に入れたのだから、無駄とは言えないだろう。


「魔物さん! 待っててね!」


 過去の回想を終え、カナタは両手を握りしめて気合いを入れる。


「待っててねって、お嬢ちゃん、街の外へ出る気かい?」


 何の装備も持たず学生服のまま街の外へ出てきたカナタに、門番をしていた兵士たちがぎょっとした。


「はい!」


「はい、ってキミ、街の外は魔物が出るんだから、そんな格好で護衛も付けずに出るなんて危な──」


「行ってきまーす!」


「おじさんの話聞いてる!? 行っちゃ駄目だって話してるんだよ! おーい!!」


 しかし彼らの声が届くより早く、カナタは地平線の彼方へと走り去ってしまうのだった。

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