第31話 王に呼び出される

 王都の街並みを北に進み、三層の高い壁をくぐり、出口のある北正門へと向かう。


「ザッくんザッくん、楽しみだねー。まずはどっちに向かおっか」


『どっち、とは? もしや目的地は決めておらぬのか?』


「うんっ。旅は風の向くまま気の向くままだよっ」


『うーむ、そのように無計画では、あっという間に遭難して致死の気配しかしないが、カナタであるから何の問題も無いのであるなぁ』


「ザッくんもいるから、安心だねー」


『む、そうか? そのように期待されては、ますます精進せねばならぬな!』


 旅も寂しくないし、柔らか抱き枕で毎日モフモフだよー。でゅふふ。

 と続く言葉はザグギエルの耳には届いていない。

 自分の力が信頼されていると思い込み、フンスフンスと鼻息を荒くした。


「さ、行くよー」


『うむ、我らの旅路に幸あれ』


 今度こそ旅の準備も志も万全だ。

 二人は正門をくぐり、始まりの第一歩を踏みしめた。


「「「お待ちください!」」」


 第一歩は踏みしめたが、第二歩は進めなかった。


「『…………。はぁ~……』」


 主従は溜息をついた。

 どうやらまたもや邪魔が入ったようだ。


「何かご用ですか?」


 振り返ると、そこには鎧を着た男たちがいた。

 街を警邏する平兵士とは違う重厚な鎧を身に纏い、カナタの前に跪く。


 彼らは王城を守る騎士たちだった。


「カナタ・アルデザイア様!」


「はい?」


 大の男でも震え上がる覇声に、カナタはきょとんとするだけだ。


「我らと共に王城までお越し下さい! 王がお呼びです!」


 王直々の呼び出しと聞いて、正門の番をする兵士がぎょっとしている。


「えー、王様がー?」


 一方のカナタは嫌そうだ。


『カナタはこの国の王と面識があるのか?』


「何かの大会で優勝したときとか、よく会うよ。ご褒美に色々くれるんだ。でも、今は別に欲しいものはないかなぁ」


 畏れ多くも王の下賜を、親戚の叔父さんのプレゼント同様の扱い。

 話に聞き耳を立てる門番の兵士は、正面を凝視しながら冷や汗を流した。


『まぁ、一国の主が呼んでいるのだ。無碍にするのも良くないだろう』


「ザッくんがそう言うなら。もー、王様は仕方ないなぁ」


 王からの呼び出しを仕方ない。

 カナタの不遜な態度に、門番は震え上がった。


「では、こちらに! 馬車を待たせてありますので!」


 騎士たちが兜の下で怒気をみなぎらせているのを感じとり、半泣きになった門番は今すぐ交代が来てくれることを願った。


「はーい」


 騎士の怒気など通用しないカナタは、気楽に馬車に乗り込んで、ザグギエルをモフりながら王城へと連れて行かれた。



   †   †   †



 豪華絢爛な謁見の間で、王がカナタを見下ろしていた。

 鍛え抜かれた肉体に野性味のある黄金の髪は獅子を思わせる。


 玉座に座っていながら、誰よりも大きく感じる圧倒的な存在力に、その場にいる者は誰もが跪き、王に忠誠の姿勢を取った。


 カナタ一人を除いて。


 しかしそれを咎める者はいない。

 王が良いと言ったのだ。


「カナタ・アルデザイアよ」


 王の声は圧力を感じるほどに低く響いた。

 頭を下げる臣下たちに緊張が走る。


 たびたび王から報償を賜っているとは言え、ただの学生に王が直々に召喚を命じるとは、この少女にいったいどんな用があるのだろうか。


「はい。何ですか、王さま?」


「まずは王都の暴走ドラゴンを鎮めたこと、感謝する」


「いえいえ、どういたしましてです」


「しかもそのドラゴンに王都周辺の守護を命じるとは、もはや見事としか言いようがない。聞けばすでに危険な魔物を何頭か迎撃してくれたそうだ。王都民に代わって礼を言うぞ」


「こちらこそ、ドラゴンさんが住むことを許してくれてありがとうございます。もう少しモフ度が高ければ連れて行けたんですけど」


「そう、その話だ」


「えっ、王さまもモフに興味が?」


「い、いや、そちらではない」


 王は咳払いをし、先ほどよりも真に迫った声でカナタに尋ねる。


「……旅に出るとは、真の話か?」


「真の話ですよ?」


「マジで?」


「マジでマジで」


 カナタの軽い返事に、王は血管を額に浮かばせ、震える手で玉座の肘置きを握りしめる。

 そして、バッと顔を上げた。


「ちょっと待っておくれよ、カナタちゃ~ん! そりゃないよ~!」


「へ、陛下?」


 王の変貌に、隣にいた宰相が固まった。


「駄目です。待ちません」


 笑顔で切り捨てるカナタに、王は玉座から転げ落ちるようにしてカナタのところまでやってくる。


「カナタちゃんはうちの貴重な戦力なんだよ!? 他国に行かれたらパワーバランスが崩れちゃうよぉぉぉぉっ! お願いだから王国にとどまっておくれよぉぉぉぉぉぉっ!」


「い、や、です♪」


「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!」


 二人のやりとりに、臣下たちがざわつく。

 情けない声を上げて少女にすがりつくこの男は誰だ。


「へ、陛下! 一国の王が、子供にそのような情けない姿を見せては……!」


「黙れ! 貴様らは何も分かっておらん!」


 王は諫めようとした宰相を振り払う。


「このカナタちゃんは、国の宝なのだぞ! 剣神ボルドーと大賢者アレクシアの血を受け継ぎ、ゆくゆくはこの国を大きく発展させることは確定しているのだ!」


「た、確かにおっしゃるとおり、ボルドー様もアレクシア様も素晴らしいお方ですが……」


「カナタちゃんはこの年で、すでにその二人を超えているのだぞ! 文字通りの一騎当千と言われたボルドーより強く! 王国の技術を三世代は飛躍させたアレクシアより賢い! まさに国宝だぞ! 絶対の絶対に他国に渡すわけにはいかんのだ! 何故それが分からん! お願いカナタちゃん、行かないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 ギャン泣きする王に、臣下も別の意味で泣きそうになった。


「だからいやですってば、もー」


 触り心地の悪い王の頭を、カナタはペチペチと叩いた。


「別にどこの国に居着いたりもしませんし、世界中を見て回ってくるだけです。そのうち王国に帰ってきますから」


「……ホント? ホントに帰ってくる?」


「はい、約束です」


 カナタの返事を聞いて、王はぶわわと涙をあふれさせた。


「聖女だ! カナタちゃんは俺にとっての聖女なんだぁぁぁぁっ!」


「聖女じゃ無くて魔物使いですけどね」


『うむ、これで万事解決だな』


 特に出番が無かったザグギエルが締めの言葉を発する。


 次の瞬間、轟音が響き渡った。


 音の源は遙か遠くからのようだが、王城に届いてきた音は雷鳴に等しい凄まじさだ。


「何事だ!」


「わ、分かりません! ですが、王都の外壁付近から煙が上がっています!」


「なにぃ!? 魔物の攻撃か!? それとも他国の襲撃か!?」


 王が謁見の間から外へ繋がるバルコニーへと顔を出すと、その惨状は報告よりも酷かった。


 高く堅牢な外壁が半壊している。

 そしてその壊れた壁からのぞくのは、大量の魔物の群れ。

 いや、整列し統制の取れた陣形は群れではない。軍だ。

 その数は数千、もしかしたら万にも届くかも知れない。


「あ、あれほどの大軍をどうやってここまで連れてきたのだ……!? あれだけの軍勢であれば国境で気づくはず!」


『あれは、大規模空間転移魔術……!』


 カナタの肩に乗ったザグギエルがうめいた。


「ザッくん、何か知ってるの?」


『ああ、巨大な魔法陣と大量の魔力と複雑な術式を用いて、敵陣へと一瞬で大軍勢を送り込む暗黒大陸最大の魔術だ……。余がいた頃はまだ開発中だったが、完成させていたのか、ザーボック……!』


「そ、そんなものが……!? いや、何故そのことを詳細に知っているのだ。ほう、ただの魔物ではないな……!?」


『…………』


「あ、あれを見て下さい!」


 兵が空を指さした。

 そこには巨大な人の姿が映っていた。

 幻を拡大して投影しているのか、宙に浮かぶ人物の姿は、青い肌に節くれ立った角を生やし、到底人のものには見えない。


『ザーボック……!!』


「あれは、魔族か!? まさか暗黒大陸から、魔族が攻め込んできたというのか!?」


「そんな、ずっと長い間魔族の侵攻なんてなかったのに、今さらになって!?」


 バルコニーに集まった者たちが空の幻を見て絶望の声を上げる。


『人間共よ……』


 ザーボックが口を開いた。


『我々の目的は貴様らを滅ぼすことではない。我々の要求はただ一つ。貴様らがかくまっている元魔王ザグギエルの引き渡しだ。それさえ済めば、大人しく帰ると約束しよう。だが、断るのであれば全軍を持ってこの王都を挽き潰す!!』


 ザーボックが手の平を握ると、呼応するように雷鳴が鳴り響いた。


『一時間待とう。それまでに取引に応じなければ、宣言通りに貴様らを滅ぼす』


 そして、幻が消えた。


「そ、そんなぁぁぁっ!? 終わりだ!! あんな大量の魔物の軍勢に勝てるわけがない」


「暗黒大陸の魔物って比べものにならないくらい強いんでしょう!? 無理よ!」


「元魔王ザグギエルってなんだよ!? そんなやつが今王都にいるのか!? いるならさっさと出て行ってくれよ!!」


 臣下たちはパニックになった。


 今の幻は王都にいた人間全員が見ただろう。

 恐慌は火のように拡がって、暴動にまで発展するかも知れない。

 いや、残りはあと一時間足らず、そうなるまでに王都民たちは殺されて終わりだろう。


『……こうなってしまったのは、すべて余の責任だ。あの転移魔術も基礎理論を構築したのは余なのだ。余がいなければ、ここにやつらが来ることもなかった』


「ザッくん……」


『やつの目的は余の抹殺だろう。ならば、解決する方法は簡単だ』


「ザッくん……?」


『すまない、カナタ。余はカナタのために全てを捧げると言ったのに、どうか許して欲しい』


「ざ、ザッくん!」


『さらばだ、カナタ! 短い間だったが、楽しい日々だったぞ!』


 ザグギエルは肩から飛び降り、走り去っていく。


 そして、足が遅すぎて、歩いて追いかけてきたカナタにあっさり捕まった。

 どうあっても感動的な別れにはして貰えないようだ。


「駄目だよ、ザッくん」


 カナタはザグギエルを抱き上げる。


『か、カナタ! 離してくれ! 余は! 余は!』


 ザグギエルは短い足をパタパタとさせて抵抗する。


「だーめーでーすー。離しません。ザッくんの責任はわたしの責任。ザッくんが行くならわたしも一緒。いい?」


『カナタ……。貴公という娘は……』


 ザグギエルはカナタの深い愛情に感涙を流した。


「それじゃ、王さま、ちょっと行ってきまーす」


「ええっ!? カナタちゃん!?」


 制止の声も届かず、カナタはバルコニーから飛び降りる。


『ぬ、ぬおおおおおおおおっ!?』


「はいはい、怖くない怖くなーい」


 高い王城からの落下の衝撃を完璧な体術で分散し、カナタはふわりと地面に降り立った。


『……か、カナタ、こういうときは、まず一言言ってくれ……』


「はぁはぁ、ぐったりしてるザッくん、可愛い……!」


『き、聞いていない……だと……!?』


 落下の恐怖で腰が抜けたザグギエルを抱いたまま、カナタは歩いて外壁へ向かった。


「たった独りで行くというのか……! この王都を、民を、たった独りで守ろうというのか……!」


 その背に王は勇気と献身を感じ、両手を合わせてカナタの無事を祈った。


「ふ、ふふ……」


 背中しか見えていない王たちは気づいていないが、カナタの顔は緩んでいた。


「ふへへ、あれだけ魔物さんがいれば、きっとモフモフもいるはず……」


 欲にまみれたカナタのつぶやきは、王城の者たちには届かない。

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