第30話 今度こそ旅の準備を終える

「なんと言うことだ……。花がもうこれほどまでに生長している……!」


 ザーボックは花の入ったガラス容器を持って、わなわなと震えた。


 つぼみはぷっくりと膨らみ、今にも開花しそうだ。


「このままでは、魔王の呪いが解けてしまう……!」


 ザーボックは恐怖に顔をこわばらせた。


 呪いが解け、力を取り戻した魔王が次に取る行動など分かりきっている。


 暗黒大陸への帰還と、裏切り者の処刑だ。

 最下級の魔物として惨めに生きてきた魔王の憎悪は凄まじいものだろう。

 例え全面降伏しようが、ザーボックが許される可能性はない。


 冷酷無比なあの魔王のことだ。

 見せしめとして、身の毛もよだつような殺し方で処刑するに違いない。


「な、ならばどうする。今すぐ暗黒大陸をまとめ上げ、全軍で魔王を迎え討つか……?」


 魔王ザグギエルは強い。

 知謀知略にも長けていたが、魔物の王となったのはその強さ故だ。


 魔物の世界は弱肉強食。弱きものは強きものに従う。

 魔王の帰還が暗黒大陸に知れ渡れば、大半の魔物は魔王の側に付くだろう。

 ザーボックが洗脳した軍勢程度では相手にもならない。


 何をどうあがこうが、この花が咲いた瞬間にザーボックは全てを失うということだ。


「くそっ! この数百年、上手く行っていたのに、なぜ急に……!?」


 ザーボックは頭を抱えてうずくまった。

 切り札はあるが、人類圏侵攻の野望を叶えるためにはまだ使えない。

送り込んだ刺客たちが上手く魔王を殺してくれることを祈るしかなかった。


 あの性悪な女神にさえ、ザーボックは全身全霊で祈りを捧げる。


 しかし、ザーボックの祈りを蹴飛ばすように、大扉を開けて部下が飛び込んできた。


「ザーボック様! 大変です!」


「な、なんだ! 騒々しい!」


 部下の手前、無様な姿を見せるわけにも行かないザーボックは花を後ろ手に隠し、怒鳴ることで虚勢を張った。


「ぜ、全滅です! 刺客として送り込んだ魔物が、全員消息を絶ちました!」


「な、なにぃ!? いったい何が起きた!?」


「と、遠見の術によると、ドラゴンの炎でみな打ち落とされたと報告が……。どうやら敵側に寝返ったようです……」


「ドラゴンが寝返っただと!?」


 あのドラゴンは元々魔王に忠誠を誓っていた。

 だから洗脳して思考力を奪っていたのだ。


 それが寝返ったということは、洗脳魔術が解けたと言うことを意味する。

 ザーボックの強固な術式を崩壊させ、正気のドラゴンをふたたび配下に納めることが出来るものなど、魔王を置いて他にない。


「魔王め……! そこまで力を取り戻しているというのか……!?」


 事実、呪いの花はほとんど咲きかけている。

 花の開花条件は、百万人分の愛を集めることだとあの女神は言っていた。

 呪いを成立させるためにも、解除条件に嘘を混ぜることはないだろう。


 魔王は王都にいる。ならば、魔王は王都の住民から愛されているのだろう。

 急激に花が生長しているのはこのせいだ。


 あの冷徹で残酷な魔王を愛するものが百万人も顕れるはずがないと思っていたのに、まさか人間の愛を集めるなど予想できるわけがなかった。

 解呪不可能の呪いをかけられた魔王を見たとき、ザーボックの勝利は約束されたはずだった。

 それがいま無惨に散ろうとしている。。


「くそっ! くそっ! くそぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 握りしめたガラス容器にひびが入る。

 この忌々しい花ごと握りつぶしたくなるが、この花は呪いの解除状況を知らせるだけのものだ。

 潰したところで、魔王の状況がつかめなくなるだけで意味がない。


「ざ、ザーボック様、如何しましょう……」


「ぐぬ、ぬ……」


 軍で最強の一角だったドラゴンが向こうに寝返った以上、チマチマと刺客を送り込んでも返り討ちにされるだけだ。


 他国の魔族に攻め込まれることを恐れて軍を動かさなかったが、このままではザーボックは復活した魔王に処刑される。


「ならば! 復活の前に首を刎ねてしまえば良いことよ! そうだ! 今ならばまだ間に合う!」


 もはや一刻の猶予もない。

 人類圏侵攻の夢も捨てた。

 今はただ、あの憎い魔王の首を取るためだけに、ザーボックは全軍を動かすことを決めた。



   †   †   †



「ドヤさ! 見てみてザッくん! ようやく旅の準備が完了したよ!」


『うむ! 壮観であるな!』


 部屋の床に広げられた、食糧や野営道具。

 ここ数日、街を回って吟味に吟味を重ね、集めた旅の用意であった。


『しかし、こんなにたくさんあっては、鞄に詰めるのが大変なのでは無いか? いや、カナタには空間魔法があったか』


「うん、これくらいなら全然入るよ」


 そう言ってカナタが空間魔法を使うと、旅道具はすべて黒い穴に吸い込まれて収納されてしまった。


 賢者でなければ使えないと言われる空間魔法。

 それを自在に操る魔物使いなど、見たことも聞いたこともないが、もはやカナタの規格外っぷりにはザグギエルも慣れたものである。


「やーっと出発できるよー」


『何かと邪魔が入ってしまったからな。……半分は余にかかった追っ手のせいであるが』


「気にしない気にしない」


『うむ……。後ろ向きに考えるのはもうやめたのであったな。追っ手など、余が自ら追い返してくれる! 余は一から己を鍛え直し、カナタに相応しき魔物になると誓ったのだ!』


「はわわ! 相応しいも何も、もう充分すぎるほどだよぅ! わたしにはもったいないくらいだよぅ!」


 相応しいの意味が、強さとモフモフですれ違っていることに、主従はやはり気づかない。


 ひとしきり戯れたあと、カナタたちは部屋に忘れ物が無いことを確認し、戸締まりをしっかりしてから部屋を出た。

 籍は置いてあるので、家具などはそのままだ。

 今度この学園に戻ってくることがあれば、それは大勢のモフモフたちと一緒だろう。


「さ、行こうザッくん。仲間捜しの旅立ちだよっ」


『うむ。だが、仲間にするなら、せめて余と互角以上に渡り合える者でなければな!』


「ええ!? ザッくんと互角!? それはハードルが高すぎるよぉ!」


『そ、そうか? 過大評価ではないか?』


「そんなことないよ! ザッくんは最強(にモフモフ)だよ!」


『そ、そうか! そこまで信じられては、頑張るしかあるまいな!』


 ザグギエルは己がかつての力以上を手にした筋骨隆々な姿を想像し、カナタはさらにモフ度がマシマシになった姿を想像してニヤニヤした。


 この主従、実は似たもの同士なのかも知れない。

 すれ違ったままなのに、どんどん仲を深めるふたりは、仲良く学校の寮を出て、王都の外へ向かって歩き出した。

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