第29話 ドラゴンを即リリースする

「なぁ、黙って見ていていいのかい、メリッサ。大人しくしているうちにやっぱり殺した方が……」


「さっき説明したとおりです。今回の指揮を執っているのは私ですから、指示には従ってもらいますよ」


 カナタから案を聞かされたメリッサは、要望通りにドラゴンの周囲から人払いをした。


 野次馬と化した市民たちはギルド職員たちに追いやられても、まだ遠巻きにドラゴンとその前に立つ少女を見物している。


 しかし、彼らが話している言葉までは聞き取れない程度に距離は離させているので、カナタの希望は叶えられているだろう。


 ドラゴンを何とか出来るのはあの少女だけなのだ。

 メリッサたちは黙って動向を見守るしかない。


「だけどさぁ……、また街中で暴れ出したりしたら……」


「そうならないようにカナタさんが動いてくれているんです。簡単に殺すと言いますが、あなたはドラゴンの鱗を貫ける腕前をお持ちなんですか? 私には無理でしたが」


「き、きみに無理なら僕だって無理さ。そうじゃなくて、外からの攻撃じゃ無理でも、研究所から毒薬をもらってくるとかさ……」


「ドラゴンを生きたまま運んでこいと言ったのは研究所ですよ。殺すことを許容するとは思えませんね。しかも彼らが用意した睡眠薬はまともに効かなかった。まったく当てには出来ませんね」


「でもさぁ、あんな女の子に全部任せるなんて……」


「間近でカナタさんの活躍を見ていれば、そんな戯言は出なくなりますよ。少なくとも研究所の毒なんかより彼女の方がよほど頼りになります」


 問答は終わりだと、メリッサは同僚から視線を切ってカナタを見守る。


 これ以上ぐだぐだ言うと、力尽くで黙らされそうな気配を感じ、同僚はあきらめて不安を溜息にして吐いた。


「GARORO……」


 観衆が見守る中、子犬のように震えていたドラゴンが、うずくまっていた姿勢から首をもたげる。

 怒りに赤く染まっていた瞳も、落ち着いた青へと沈静化していた。


 はっきりしない意識のまま周囲を見渡すと、無数の人間がこちらを取り囲んでいる。

 人間ごときにどうこうされる我が身ではないが、自分が置かれている状況が分からず、ドラゴンは混乱した。


『ぐ、むむ……わ、私はいったい……!?』


 とにかく一度落ち着ける場所に移動しよう、とドラゴンは翼を広げる。

 その動作に民衆がざわめき、そして眼下から声がかかった。


『言葉も話せる程度には正気に戻ったようだな。本能的な恐怖が臨界に達して、ザーボックの洗脳が解けたか』


 ドラゴンは声の方を見下ろし、少女に抱きかかえられた黒い毛玉の姿を発見する。


『はっ!? 貴方は! 魔王さま!?』


 懐かしい王の姿を捉え、ドラゴンはもたげた頭を下げ、ふたたび平伏の姿勢を取った。


『うむ、その通りだ。だが、余のことがよく分かったな』


 ザグギエルが自分で言うように、メウメウと鳴く姿に魔王の威厳はどこにもない。


『ははーっ! 魔王さまの覇気は、姿が変わろうと隠せるものではありません!』


『う、うむ、そうか。隠せないか』


 実際は洗脳後に魔王を抹殺させるべく、現在の姿を覚えさせられただけなのだが、二人は再会の喜びで気づく様子はなかった。


『して、どこまで覚えている?』


『魔王さまが身罷りになられたと聞き、とても信じられず魔王城に馳せ参じたのですが、ザーボックめに不意を打たれ、そこからは記憶が定かではありません。おそらく私以外にも魔王さまへの忠誠心が強かった者は同じように洗脳されているかと……』


『ふむ、やはりそうか……。しかし巨鳥兄弟と言い、今更になってなぜ追っ手をかけ始めたのだ?』


『おぼろげではあるのですが、私に魔王さまの抹殺を命令するとき、ザーボックめはかなり焦っているようでした』


『やつが焦る……?』


 魔王軍を手に入れたザーボックが、今さら何を焦るというのか。

 もしあるとしたら、それはザグギエルが力を取り戻すことだろう。


『あの女神にかけられた呪い。……やつに言わせれば試練だが……、その解除条件は余が百万の愛を集めることだったはずだ』


 性根が腐っていようが、相手は超常の存在だ。

 かけられた呪いの解除条件は絶対で、他の方法では解けることなどあり得ない。


 だが、現にザーボックは、いったん放置したザグギエルに、こうして刺客を送り込んでいる。

 それは呪いが解けかけている証拠ではないだろうか。


『まさか、余が愛を集めているというのか……? そんな馬鹿な、冷酷無比と言われた余に愛情を向ける者など……』


 思い当たるとしたら、ただ一人しかいない。


「ん? どうしたの?」


 きょとんとザグギエルを見下ろすカナタだ。

 このように弱く醜い姿の自分を受け入れてくれる、あの女神とは比べものにならないほど慈愛に満ちた少女。


『いや、仮にそうだとしても、呪いを解くには百万もの愛を集めなければならないはず。カナタ一人では到底まかなえるはずがない。原因は別にあるはずだ』


 ザグギエルは思索に耽る。


『もしや、余がカナタの魔物となったことで、カナタに集まる称賛の力が愛として余に流れ込んでいるのではないか……?』


 それならば説明がつく。

 カナタの活躍は見事なものだ。


 元々学園では知らぬ者がいないほどの優秀な成績を残し、冒険者になってからは賞金首を仕留め、下街の人間たちを病の根源から助け、今もこうしてドラゴンの暴走を未然に防いで大勢の命を救った。


 周囲でこちらの様子を見守る観衆たちは、膝をついてカナタに祈る者までいる。


 仮に王都中の人間がカナタに信仰心を向けたとしたら、百万人分の愛も集まるのではないだろうか。


 女神が寄越した花の種が今どうなっているかは分からないが、ザーボックが焦るほどには開花しかかっているのかも知れない。


『余はふたたび力を取り戻せるかも知れないのか』


 そうなれば、ふたたび魔王として暗黒大陸に君臨できるだろう。

 あの憎き女神に対し、復讐を果たすことも可能となるかも知れない。


『おお、ならば力を取り戻し次第、ザーボックめを討ち滅ぼしに参りましょうぞ!』


 ドラゴンが気炎を上げる。

 暴れ出したと勘違いした観衆が悲鳴を上げた。


『……いや、余は行かぬ』


 ザグギエルは首を──振れないので体を振った。


『な、なんですと!?』


『余はカナタに大恩がある。この恩を返すまでは帰るわけにはいくまいよ。少なくともカナタの寿命が尽きるまではそばを離れるつもりはない』


『なるほど……。ならば仕方ありませんな。私もここに残り、魔王さまの配下として今一度お仕えしましょうぞ!』


『いや、今日からお前は余の配下ではない』


『な、なんですと!?』


『貴様は今日からカナタの魔物として働くのだ』


『竜族の私がこのような小娘の所有物に!?』


 先ほどから気になっていたのだが、召使いか何かだろうと思っていた少女に仕えろと言われて、ドラゴンは驚愕した。


『不服か? だが、魔物の掟は弱肉強食。弱きものは強きものに従うが道理』


『そ、それは当然にございます』


『ならば何も問題は無い。貴様はすでにカナタに敗れているのだ』


『な、なんですとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?』


 ドラゴンは仰天した。


『私がこのような小娘に敗れたなど……!? い、いや、しかしこの震えは……!? 魔王さまに戦いを挑んで敗れたときと同じ、いやそれ以上! そう言えば一撃で殴り倒された記憶がうっすらと……』


 ドラゴンはトラウマが呼び起こされそうになり、慌てて記憶に蓋をした。


『ど、どうやら魔王さまのおっしゃる通りのようですね。掟は掟、これ以上無駄口を叩くつもりはありませぬ』


 ドラゴンはカナタの前にうやうやしく頭を垂れた。


『よろしくお願いいたします。我が新しき主よ。これより貴方の牙として翼として、誠心誠意おそばに侍りましょうぞ!』


 ドラゴンの誓いの言葉に、カナタはにっこり笑って言った。


「うん、それ無理」


『『ええーーーーーっ!?』』


 ドラゴンはひっくり返った。

 ザグギエルもひっくり返った。


「ドラゴンさん、分かる? キミとザッくんのこの違いが」


 ひっくり返ったザグギエルとドラゴンを指さし、カナタは尋ねた。


『ち、違いとは?』


「ひっくり返ったザッくんの愛らしさと言ったらもう! もうもうもう! お腹にダイブしたい!」


 したいと言ったときには、すでにダイブしていたカナタであった。


『???』


 ザグギエルのお腹に顔をうずめるカナタの行動に、ドラゴンは混乱した。


『ど、どういうことでしょうか?』


「分からない? つまりキミを私の旅に連れて行くには、モフ度が足りないんだよ!」


『モフ度』


「そう、モフ度!」


 とは、いったい?


 ドラゴンはますます混乱した。

 人類語には詳しくないドラゴンであったが、カナタの言っている言葉を懸命に理解しようとする。


 自分はモフ度が足りていないから駄目らしい。

 ザグギエルにあって、自分にないもの。


 ドラゴンはしばし考え、ピンときた。


『そうか! 分かりましたぞ!』


 モフ度とは強さの単位を表す言葉だ。


 自分が1モフくらいの強さだとしたら、魔王様の強さは100モフはあるだろう。

 確かに魔王様の強さと比べれば、自分ごときでは足手まといと言われても仕方が無い。


「分かってくれた?」


『ええ、分かりましたとも! 確かに私では旅の供をするには力不足ですな!』


 まったく分かっていなかったが、都合良く解釈したドラゴンは潔く自分の至らなさを認めた。


『しかし、何のお役にも立てないのは竜族の名折れ……。何か私にもお役目を頂けないでしょうか』


「うん、ぴったりのお願いがあるよ」


『まことですか!? 是非ともお聞かせ下さい!』


 喜びにしっぽを振るドラゴンは可愛く見えないこともなかったが、残念ながらやはりモフ度が足りなかった。


「ドラゴンさんにはこの王都を守って欲しいの」


『ふむ、都の守護ですか』


 ドラゴンは周囲を見渡す。

 野次馬たちは遠巻きに少し恐怖の混じった目でこちらを見ていた。


『どうやら意識がない間、人族には迷惑をかけてしまったようですな』


 カナタがメリッサにした提案とは、ドラゴンをカナタの魔物として登録し、王都をパニックにさせた償いとして王都周辺の警護をさせるというものだった。


 なお、ドラゴンの世話代は未払いになっていたドラゴン討伐および巨鳥討伐の賞金から少しずつ引き落とすということで話がついている。


『ふむふむ、私にとっても寝床や食事を世話して貰えるというのはありがたい』


 ドラゴンもカナタもギルドも王都民も、誰も損をしない解決方法だった。


 損をするのは、貴重なドラゴンの生体が手に入るとぬか喜びしていた研究所だけだ。


 しかし、そもそも研究所の麻酔が不十分だったために起きたパニックだ。

 カナタの魔物として登録されたことにより、抗議をしてもギルドに黙殺されるだろう。


『よろしい。そういうことならば、粉骨砕身で都を守りましょうぞ!』


 ドラゴンは咆え、翼を大きく広げた。


『聞けい! 人族よ! 我はこれより汝らの守護を司る! この都にいる限り、汝らが危険に晒されることは無いと約束しよう!』


 ドラゴンの宣言に、民衆は驚きの声を上げる。


『全ては我が主カナタ様の命故めいゆえに!』


 そして翼を羽ばたかせ、ドラゴンは高く飛び立った。


『では、さっそく空から偵察に参ります!』


「いってらっしゃーい」


 天上を飛翔するドラゴンにカナタは手を振り、それを見ていた民衆は再度歓声を上げた。


「す、すげええええええ! ドラゴンを鎮めただけじゃなく、手懐けて王都の守護者にしちまったぞ!」


「魔物を従えられるってことは、まさかあの娘は魔物使いなのか?」


「魔物使いなんて最弱の職業にドラゴンを従えられるわけないだろ!」


「じゃあ、いったいどうやって!?」


「奇跡さ! これは聖女の起こした奇跡なのさ!」


「やっぱり! あの人は聖女さまなんだ!」


「「「聖女さま! 聖女さま! 聖女さま!」」」


 大騒ぎする観衆にギルド職員たちは静かにするよう呼びかけるが、この称賛はしばらくは収まらないだろう。


「よし、問題解決。さぁザッくん、買い物の続きをしよっか」


『この騒ぎをなんとも思っていないとは。やはりカナタは大物であるなぁ』


「いやいやいや、まだですからね! ギルドでドラゴンの登録とか事情聴取とか、色々やることありますからね!」


 普通にその場を去ろうとしたカナタを、メリッサが慌てて呼び止める。


 カナタはぶぅぶぅと頬を膨らませ、ザグギエルはやれやれと嘆息し、メリッサは今日も残業になることを覚悟した。

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