第19話 元凶と遭遇する

『浄化魔術があると分かっていても、ここへ飛び込むにはいささか勇気がいるな』


 緑と黒のマーブル模様で濁った下水を見て、ザグギエルは顔をしかめた。


「よっと」


 しかしカナタは躊躇なく下水へ足を踏み入れる。

 その瞬間から、汚れは一瞬にして白い砂に変わってしまった。


 カナタが周囲に纏う浄化魔術は、毒性の高い汚泥であっても関係なく清浄な砂へと変えていく。


「泥に隠れて分からなかったけど、歩く場所もちゃんとありそうだね」


 水路の左右には、人一人が歩く程度のスペースがあった。

 汚泥で詰まった下水路は凄まじい速度で綺麗になっていく。

 浄化された下水など、飲めそうなほど透き通っていた。


『恐ろしい浄化速度であるな。このまま下水を遡っていくだけで、掃除は片付いてしまいそうだぞ』


 カナタが一歩進むたびに下水道は洗浄されていき、それは同時に銅貨三枚が手に入ることを意味している。


 千歩も歩けば銅貨三〇〇〇枚。銀貨にして三十枚。金貨にして三枚の儲けだ。

 都民の一ヶ月分の収入をわずか半時で稼げることになる。


 依頼にあった下水路はここだけではない。

 汚染の進んだ下水路を全て浄化すれば、とてつもない金額になるのは間違いなかった。


 依頼主は国だ。

 支払いを渋られることもない。

 カナタが今回で稼ぐ額を知れば、依頼を出した役人は卒倒するかも知れなかった。


「とりあえず、このまま進んでみようか」


『うむ、異論は無い。少々気になるところもあるしな』


 カナタは暗い下水道に足を踏み入れた。

 暗闇をカナタの発動した光源魔術が白く照らし出す。


『水・回復・浄化・光。カナタが得意とする魔術は神聖よりなのか? やはり魔物使いではなく、聖女が適性職だったのでは……』


「向いてるものより、なりたいものになるのが一番だよ。あと、神聖魔術は便利だけど、教科書に載ってる魔術はひととおり全部使えるよ?」


『なんともはや……。我が主は規格外であるな……』


 カナタが魔術を覚えた理由は、適性職業を増やして魔物使いになれる確率を上げるためだが、それ以外にも理由はあった。


 もちろん、モフモフのためである。


 喉が渇いたモフモフがいれば水魔術で潤し、怪我をしたモフモフがいれば回復魔術で癒し、汚れたモフモフがいれば浄化魔術で清潔にする。

 光魔術は暗いところでもモフモフを愛でられるようにだ。


 カナタの努力のベクトルは、全てがモフモフに向いていた。


『……魔物の類いがいるかと思ったが、見当たらんな』


 汚泥の毒性は思った以上に強いのか、不潔な場所を好む種類の魔物であっても生息には適さないようだ。


 当然、ネズミやコウモリといった下水道を好む動物の姿もない。


 カナタの浄化魔術のおかげで周囲の空気は澄んでいるが、常人が下水道に迷い込めば肺が腐り落ちていだろう。


「ねえ、ザッくんおかしくないかな?」


『何がだ?』


「教会の浄化魔術が中街までしか届いてなかったとしても、下街の生活排水だけでこんなに毒が発生するかな?」


『ふむ、それは余も考えていた。魔物ですら棲めないほどの毒性。何者かが意図的に毒を流している、とカナタは睨んでおるのだな?』


「その通りだよ! ザッくん鋭い!」


『ふっ、遠い過去の話とは言え、余もかつては都を持つ王であったからな。都市構造から見てもこの下水が異常であることは分かるとも』


「うん、やっぱりそうだよね」


『つまりカナタがこうやって下水道をわざわざ遡っているのは、毒汚染の元凶を探るためなのだな。カナタほどの術者であれば、教会の神父なんぞより遙かに広範囲を一度に浄化できるはずであるからな』


「正解正解! ザッくんすごい! ザッくんかしこ!」


『ふっ、それほどでもない』


 ザグギエルは低い鼻を高々とさせた。

 カナタはそんなザグギエルの頭を思う存分なでまくった。

 WIN-WINの関係だった。



   †   †   †



『かなり進んできたが、これはひどいな。毒が霧のようになっている。暗黒大陸にある毒茸の森でもここまでひどくはなかったぞ』


「ザッくん、大丈夫? 苦しくない?」


『まったく問題ない。カナタの浄化魔術のおかげだ。臭いすら感じん』


「良かった。苦しくなったらすぐに言ってね」


『カナタこそ魔力の残量は保つのか。かなり長い間、浄化魔術を発動させたままだが』


「うん、全然。なんともないよ」


 カナタは汗一つ浮かべずにザグギエルに微笑んだ。


『流石というのも今更であるなぁ……』


 魔力は生命力にも関係があるので、使いすぎれば気分が悪くなったり、意識が酩酊したり、貧血によく似た症状を起こす。


 しかしカナタはまったく疲れていなかった。

 肩に乗ったモフモフに常に癒されるので、精神的な疲労など微塵もない。

 ザグギエルをひとなでするごとに、魔力が全回復する気すらしている。

 永久機関が完成しつつあった。


『しかし、これでは前に進むのも億劫であるな。足を滑らせて水路に落ちぬようにな』


「はーい」


 カナタの周囲以外は緑色のガスで覆われ、前方の様子もまともに見えない。

 今は下街の下水だけで済んでいるが、このまま汚染が進めば中街や上街にまで被害は拡大していくのではないだろうか。


『だが、これで何者かの仕業という線は濃厚になったな。上流へ向かうほど毒が濃くなるなどありえん』


 下流に向かって汚染がひどくなるならば、まだ分かる。

 その逆となると、汚染源が上流にあるとしか考えられなかった。


 予想は的中し、最も毒が濃いところまでやって来た。


 あとはその元凶を見つけるだけなのだが──


「……今。何か動いたね」


『む、どこだ?』


 カナタが足を止め、ザグギエルが周囲を探り──水路が爆ぜた。

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