第18話 下水道に到着する


「どうぞどうぞ、こちらでございます、へへへ」


「汚いところでありやすが、どうぞお足にお気を付けなさって」


 チンピラたちは揉み手をしながら、下街を案内していた。


 人間は空を飛べる。

 そのことを自らの身で証明した彼らは、先ほどまでの態度が嘘のように従順だ。


「まさかお嬢さんが、あのカナタ・アルデザイア様だったとは」


「わたしのことを知ってるんですか?」


「そりゃもう、お噂はかねがね。剣技大会三連覇中の黒の氷姫といえば、あっしらの界隈でも有名でさぁ」


「まぁ、あっしらに大会のチケットなんざ手に入れる伝手はないんで、お顔を拝見するのはこれが初めてですがね」


 実際に会ったカナタは噂に違わぬ美人だが、評判と違ってあまりに普通でのんきな雰囲気に包まれていた。

 氷というより日なたと言った印象だ。

 この雰囲気の違いのせいで、会う者は大抵カナタに気づかない。


「そういやぁ、今日は剣をお腰に付けてないんでやすね」


「私物の剣は持っていないんです、あと、あまり剣は得意じゃないので」


 この国で最も強い剣士が放つ言葉に、チンピラたちは冗談だと笑った。


 冗談ではなく真実である。

 カナタはあまり剣が得意ではない。

 手加減できずに相手を殺しかねないという意味でだが。


『それにしても、本当に汚い場所だな。臭いもひどい』


 ザグギエルがフレーメン反応を起こして顔をしかめる。


 茶褐色の染みがべったり付いた壁。

 踏みならされて地面と一体化してしまった何かの死骸。

 それを削り取るように食べる鼠や虫がたかっている。


「臭いは下水道のせいでさ。ここ最近特に酷くなりやがった」


「下街のなかでも、うちの下水は特にひどいんでさ」


 チンピラたちの後に続いて進んでいくほど、臭いはひどくなっていく。

 ここに住んでいる住民たちも近辺には姿が見えなくなってきた。

 棲む場所に困っている彼らでさえ、ここには近づけないと分かっているのだ。


「下水から流れてくる汚水のせいで、最近は妙な病気まで流行り始めちまって。体力のねえじじばばやガキ共からやられちまってる始末でさ」


 来る途中で咳をするものをよく見かけた。

 おそらく彼らが罹患している者たちだったのだろう。


「神聖教会から医療神父や修道女の派遣はないのですか?」


「あるわきゃないですぜ。近頃は教会の連中も寄付の少ないところへはやって来やせん。ましてや金のない貧乏人の治療なんて……」


「そうですか……」


 カナタは少し考え込む。

 そうこうしているうちに、目的地が見えてきた。


「お嬢様、あそこでさぁ。これ以上近づくと毒に目をやられちまいます」


 チンピラたちが指さした場所は、ドス黒く濁った水をじくじくと吐き出す下水の出口だった。


 流れてくる水は、下水と言うよりほとんど汚泥だ。

 粘性が高く、出口で詰まって水位を上げている。

 毒性の強いガスまで発生させて、ボコボコと泡立っていた。


「案内ありがとうございました。ここまでで大丈夫です」


 カナタはぺこりと頭を下げる。


「お嬢様、これからどうなさるおつもりですかい? 俺ら、言われるままに案内しやしたが、何するかまでは聞いていやせんでした」


「もちろん掃除ですよ? ちゃんとギルドから依頼された正式なお仕事です」


「掃除ってアレをどうにかするおつもりなんで!?」


「そのおつもりですけども」


 下街の住民たちもお手上げ状態で、近づかないようにするのが精一杯の下水道。

 それをたった一人で掃除するという。


 どう考えても無謀な挑戦に、男たちは手を横に振った。


「いやいや、無茶でしょう。あんなもん教会の神父が総出で浄化魔術を使っても何日かかるか……」


「そうですか? そんなにかからないと思いますけど」


「いやいやいやいや、いくらお嬢様が強くても、下水掃除には何の役にも立たない──あれ? なんか臭いが薄くなってきたような」


「あ、兄貴! お嬢様が立ってるところからどんどん綺麗になってますぜ!」


「うお、まじだ!? っつーか、今まで歩いてきた道もめちゃくちゃ綺麗になってるぞ!? あの壁ってあんな白かったのかよ!?」


 カナタは下水道が近づき始めたときから、ずっと浄化魔術を展開していた。


 すべては愛すべきザグギエルのモフモフに臭いを染みつかせないためだったが、その効果は強く、空気の清浄化だけではなく、床や壁の汚れまでもが綺麗に落ちていた。


 浄化痕である白い砂がさらさらと壁から落ちている。


「じょ、浄化魔術は神聖教会のお家芸じゃ……!? お嬢様は剣士じゃなかったんですかい!?」


「いえ、魔物使いですけど」


「そうだった、魔物使いだったぁ! なおさらわけが分からねえ!」


 肩に乗っている魔物が、カナタの職業を証明している。

 チンピラにとって、もはやカナタの存在そのものが理解不能だった。


 額に手を当てて天を仰ぐ二人に、カナタは近づく。


「二人とも、貧しいのは分かりました。だけど人攫いなんてもうしちゃ駄目ですよ」


「へ、へえ。今回のことで懲りやした」


「二度とやらないと誓いやす」


「よろしい。ではちょっと顔をこちらへ」


 もう一発殴られるのかと二人は焦ったが、逆らえるはずもないので大人しく従う。


 ひんやりと体温の低い手が、彼らの頬に触れた。


 回復魔術が無詠唱で発動する。

 淡い光に包まれ、腫れ上がっていた頬は一瞬で治療されてしまった。


「そんな、悪事を働いた俺たちを癒してくださるなんて……!」


「なんてお優しい方なんだ……! もしや、お嬢様は聖女なんじゃ……!?」


「いえ、魔物使いです」


 チンピラたちは涙を流して感謝した。

 その頬を殴ったのはカナタであることは記憶から消えていた。


「あと、お願いがあるんですけど、病気にかかっている人を一カ所に集めてもらって良いですか?」


「へ、へえ。そりゃ構いませんが……、いったい何を?」


「たぶんわたしの魔術で治せると思います。先に原因となっているこの下水道を綺麗にしますから、その間にお願いします」


「ぜ、全員を治して下さるんですか!? でも、俺らに払えるものなんて……」


 後ろめたさと、自分たちの力のなさに、チンピラたちは肩を落とした。


「ここまで案内して下さったじゃないですか。そのお礼です」


 微笑むカナタに、チンピラたちは跪いた。

 あまりの神々しさに自然と涙があふれ出てくる。


「ありがてえ……! ありがてえしか言えねえ……! お袋を助けられるのか……!」


「聖女様だ……! 職業なんて関係ねえ……! お嬢様こそ聖女様だ……!」


 チンピラたちは滂沱と涙を流し、カナタの前で手を組んだ。


『ふん、愚かな人間共よ。寛大な我が主に感謝するが良い。悔い改めてこれからはまじめに働くのだな』


「「へへー!!」」


 チンピラたちは土下座して、特に何もしていないザグギエルはふんぞり、カナタはその可愛い姿にキュンキュンした。

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