第8話 説得を受ける

 王立ルルアルス女学園創立以来の才媛、カナタ・アルデザイア。


 彼女が成人の儀で、数多の適正職業を蹴って、魔物使いという底辺職業を選んだという噂は、またたく間に学園を駆け巡った。


「そんな馬鹿な! とても信じられない!」


 と、疑う者もいれば、


「あの黒き氷の姫君が、そんな愚かな選択をするわけがないだろう」


 と、冗談と受け取る者もいた。


 しかし、カナタが魔物使いになったのは歴然とした事実である。

 その場にいた神父や生徒たちが、儀式の瞬間を見ているのだ。


 当然、教師たちの裏付けもあるとなれば、学園長直々の呼び出しは当然のことと言えた。

 才媛カナタ・アルデザイアへの注目はそれほど大きいのだ。


「それで、お話とは何でしょう?」


 モフモフを邪魔されて、カナタの機嫌はすこぶる悪い。


 出された紅茶にも口を付けず、相対した学園長へ凍りつくような視線を送った。


「ま、まぁまぁ、そう急くこともないじゃないか。お茶菓子もあるよ?」


 カナタの視線にさらされて、恰幅の良い老人が引きつった笑みを浮かべる。


 汗が先ほどから止まらないのは、気温のせいではないだろう。

 なにせ、さっきから震えが止まらないくらいだ。

 汗は汗でもこれは冷や汗だろう。

 ご自慢の口ひげも水気を吸ってしなびてしまっている。


「私はフィナンシェに目がなくてねぇ。ほのかにブランデーをまとった上品な口溶けが最高なんだ。どうだね、ここはひとつ甘い物でも食べて、気分を和ませては……」


「結構です」


「ひえっ……! ご、ごめんなさい……!」


 一言で切って捨てられ、学園長は身をすくませた。

 媚びるようにカナタをもてなす姿は、学園長とは思えない腰の低さだ。


『カナタよ、そう威圧してやるな。格下を無為に怯えさせるなど、貴公ほどの覇者がやることではない』


 肩に乗ったザグギエルが、カナタの頬にそっと頭をすり寄せる。


「はわぁぁぁ……。ザッくんからのスリスリいただきましたぁぁぁ……!」


 途端、氷河のごとき圧力は消え去り、カナタはだらしなく頬を緩める。


「か、カナタ・アルデザイア君……?」


 学園長は我が目を疑った。


 冷艶清美にして絢爛華麗。

 誰もが恐れ敬う完璧な超人。

 それがカナタ・アルデザイアという存在だ。


 その彼女がこんな緩んだ顔をさらすなど。

 あり得ない事態だった。


 何か、精神的な病にでもかかったのかも知れない。

 いくらなんでも、この変わり様は常軌を逸している。

 まるで幼児退行ではないか。


 学園長は汗をだらだらと流しながら、目の前の光景に愕然とした。


「ザッくんがそう言うなら、ちゃんとお話するね」


『うむ、余の言葉を聞き入れてくれて嬉しく思う。強者たる者、弱者の言葉には耳を傾けねばならん』


 ふんぞり返っているあの黒い毛玉は、彼女が捕まえたという魔物だろうか。

 やはり、彼女が魔物使いになったという噂は本当だったのだ。


「で、ではさっそく本題に入らせてもらうが……」


「はい、どうぞっ」


 先ほどまでの機嫌の悪さはどこへ行ったのか、別人のように上機嫌になったカナタの様子を見て、学園長は話を切り出した。


「実は、キミが魔物使いを職業に選んだと聞いてね。それどころか、高等部への進学を取りやめたと」


「はい、どちらも事実ですよ」


 笑顔でカナタは答えた。


「そうなんだ……。事実なんだ……。嬉しそうだねぇぇぇ……」


「はい! 長年の夢を叶えて最高です!」


「そうなんだぁぁぁぁぁ……」


 学園長は頭を抱えた。


 カナタの将来はすでに約束されていたようなものだった。

 成人の儀で、聖女などのな職業を得て、高等部へ進学。

 さらにその才能を磨き上げ、ゆくゆくは国の柱となる。


 学園にいる者なら、誰もがカナタの将来に期待し、憧れを抱いたものだ。


 しかし、当人はまったく別の未来を見定めていた。


 儀式の場にいた教師たちに話を聞いたところ、カナタは元々魔物使いになるためだけにこの学園へ入学したらしい。

 最初から他の職業を選ぶつもりなど、さらさらなかったと言うことだ。


 いや、どの職業を選ぶかは、本人の自由意志だ。

 それを周りがとやかく言うのはお門違いだ。

 神の思し召しにも反している。


 しかし、しかしだ。

 よりにもよって、魔物使いだけはないじゃないか。


 能力は下がるわ、強い魔物を仲間に出来るわけではないわ、良いところが何もない職業だ。

 せっかくの才能をドブに捨てるようなものではないか。


 しかし、先ほど入ってきた情報によると、カナタは街を出て高位の魔物を二匹も倒したらしい。


 能力が下がっても、やはり天才は天才。

 ドブに捨ててもその才能はいまだ健在と言うことだ。


 選んでしまった職業のことはもうどうにもならないとしても、学園から手放すには、カナタは惜しすぎる生徒だ。


 魔物使いになったからと言って、これまでの偉業がなかったことになるわけではない。


 学園にはカナタに憧れて入学してくる生徒も多いのだ。

 多いというか、ほとんどがカナタ目当てと言っても過言ではない。


 支援者の多額の寄付も、カナタの輝かしい成績に対する評価という面が大きいのだ。


 カナタが高等部に進学しないことが知れ渡れば、寄付は止まり、入学希望者も激減するだろう。


 学園の経営が困難になるところまで追い込まれる可能性すらあった。


 故に、学園長は必死だ。


 逃してなるものか、逃してなるものか。と執念のこもった眼差しで奮起する。


「考え直してはもらえないかね? キミほどの才媛が進学を諦めるなど、我が校にとって、いや我が国にとって大損失だよ」


「そう言われても、もう決めたことですし」


「しかし、勝手に進路を変えてしまうのは、学費を払って下さるご両親に不義理ではないかね?」


「お父さんとお母さんですか?」


「そう! そうだとも!」


 カナタが高等部に進学しないと言い出したのは、今朝になってことだ。


 親に相談もせずしたことなら、こちらの味方に付けて説得することも可能だろう。


「愛娘がこのようなことになっては、ご両親である剣神ボルドー・アルデザイア様や大賢者アレクシア・アルデザイア様も悲しみになられる。そうは思わないかね?」


 子供に対して親の恩を盾にする。

 教育者にあるまじき姑息な手段だった。


「(卑怯と罵られようが、この学園を守るためならば、私は何でもする覚悟だ……!)」


 学園長は己の策に、にやりと笑う。


 が、駄目。

 カナタはあっさり学園長の策を切り捨てた。


「あ、ぜんぜん大丈夫です。両親はわたしが魔物使いになるためにこの学園を選んだと知っているので。逆に喜んでくれますよ」


「なん、です、と……!?」


 まさかの両親公認だった。


「し、しかし、しかしだね……!」


「それに、うちには優秀な跡継ぎがいますし。娘が多少放蕩したところで問題ありません」


 優秀な跡継ぎ。

 それを聞いて、学園長は顔を上げた。


「そう! そうだった! 実はキミの弟君も呼んであるんだ!」


 学園長が光明を見いだしたのと同時に、ドアがノックされた。


「神命義塾中等部一年アルス・アルデザイアです。入ります」


 キビキビとした動作で学園長室にやってきたのは、金髪碧眼の少年だった。


 幼さは残るが、白い学生服がよく似合っている。

 黒髪のカナタとはあまり似ていないが、同じように怖気を震う美形だ。


 カナタにはやや劣るも、彼もまた不断の努力で素晴らしい成績を残している。


「おや、アルアルだ。おひさー」


「……姉上、その様子だと、猫をかぶるのはやめたのですね」


 くだけた調子の姉を見て、弟であるアルスは全てを察した。

 姉はかねてからの計画を実行に移したのだ。


「アルス君! キミからも説得してくれたまえ! それにさっきから彼女の様子がおかしいんだ! 口調も変だし! 終始にやけてるし! なにか悪い病気かも知れない!」


 すがりついてきた学園長の肩に、アルスはそっと手を置く。


「いえ、そっちが素なのです。今までの姉は演技をしていただけです。元々実家では、ちゃらんぽらんな人でしたよ」


「つ、つまり、彼女は正気だと……? 正気でこんなことをしでかしたと……?」


「ええ、姉上は正気のまま、頭がおかしいんです」


「えー、ひどーい」


 カナタはザグギエルを胸に抱いたまま、童女のように口をとがらせた。


「なんと言うことだ……」


 学園長は絶望してうつむいた。


「説得は無駄ですよ。なにせ姉は、僕が物心ついた頃には魔物使いになるつもりでしたからね。誰かに言われたくらいで、今さら考えを変えるわけがない」


「そ、そんな前から……!?」


「僕はもう諦めました。アルデザイア家は僕が継いで守ります。学園長も、無駄なあがきはやめた方が良いかと」


 説得のために呼び寄せた弟にとどめを刺され、学園長には打つ手がなくなってしまった。


呆然自失としている学園長を通りすぎ、アルスはカナタのとなりに座った。


「この方が、姉上がテイムした魔物ですか?」


「そうだよー。可愛いでしょー」


『ザッくんという。弟殿よろしく頼む』


 差し出された右前足を、アルスは指先で持って握手のように振る。


「また妙な名前を付けられましたね……。姉は変わった愛称を付ける癖があるのです」


『いや、これはこれで気に入っている。何も問題はない』


「懐が深いのですね。ザッくん殿。色々と常識はずれの姉ですが、よろしくお願いします」


『矮小なる身なれど、身命を賭して守ることを誓おう』


 毛玉猫に少年が頭を深々と下げる姿はシュールな光景だったが、本人たちは至って真面目だった。


「じゃあ、話は終わりで良いですよね? 学園長、戻って良いですか?」


 ソファから立ち上がったカナタが、学園長に退出の許可を求める。


「ふ、ふふふ、ふふふふふふふ、かくなる上は……!」


 跪いたままだった学園長が、ゆがんだ表情で顔を上げる。

 それと同時に、部屋の扉が開いた。


 ぞろぞろと、学園の教師たちがぞろぞろと中へ入ってきて、カナタたちを取り囲む。


「何のつもりですか、先生がた?」


『今度は力尽くと言うことか?』


 アルスが警戒して、カナタを守るように前へ立った。

 ザグギエルも床に飛び降り、毛を逆立てる。


「カナタ君、キミが説得に応じてくれないのならば、致し方がない……」


「……本気ですか、学園長」


 カナタが目を細めて問う。


「無論! 本気だとも!」


 学園長は口泡を飛ばして立ち上がった。


「先生がた! アレをやりますぞ!」


「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」


 学園長の合図を聞いて、教師たちは雄叫びを上げた。


 完璧に息の合ったタイミングで、両手を高く掲げ、ひざまずき、勢いよく床に額をこすりつける。


 そして、奥の手を言い放った。


「「「学籍だけでも置いて下さい!!!」」」


 それは見事な土下座だった。


 何としてもカナタというネームバリューを学園に残すという執念。

 そして『カナタはワシが育てた』と言いたい欲望が全面に押し出された、見事な土下座だった。


「お、大人って凄い……。目的のためならば、ここまで出来るのか……!」


 アルスが恥も外聞も捨てた教師たちにおののいた。


「ふふふ、これが大人の必勝法よ……! どうだ若人……! 大の大人に土下座をされる気分は……! もの凄く居たたまれないだろう……! さぁ! やめて欲しかったら条件を呑むが良い!」


 学園長は額をすりつけたまま、悪漢のごとく笑った。


『くっ、これが人間のしたたかさか……!』


「いやうんあの、わたしの邪魔をしないなら、何でも良いですよ?」


「「「やったぜ!!」」」


 そして、カナタは学園生でありながら学園にいないという仮面生徒となったのである。

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