第9話 旅立ちの準備を始める
「今度こそ、自由だー!」
カナタは腕を上げて背筋を伸ばした。
職業の幅を増やすためとは言え、規律の厳しい学校で上品に振る舞う生活は、思ったよりもストレスになっていたらしい。
今まで我慢してきた反動なのか、誰の目も気にせず素を出すようになり、子供っぽい仕草が目立つようになっていた。
「僕は落ち着きません。早く帰りたい……」
「はいはい、校門までちゃんと送ってあげるから」
「助かります。……呼び出されたのは、姉上のせいですけどね」
他校の男子生徒が廊下を歩いている姿を見て、女生徒たちが遠巻きにこちらの様子を気にしている。
姉に負けぬ劣らぬ、王子然とした美形の少年だ。
注目を集めないはずがなかった。
キャアキャアと黄色い声で騒ぎ立てないのは、清楚にして優雅たれという本校の教えのたまものだろう。
その象徴とも言うべき存在だったカナタが、今やこの有様だが。
「はぁぁぁ……。ザッくんモフモフ、癒されるぅぅぅ……」
『か、カナタ。あまりそう撫で回すな……。照れるであろう……』
「恥ずかしがってるザッくんも可愛い……!」
これまでの凜とした姿勢からの、ふやけた様子。
女生徒たちが近づいてこないのは、カナタのこの変わり様を見て驚いているからかも知れない。
「ところで、姉上、自由は良いですが、これから何をなさるおつもりですか?」
「それは魔物使いになったんだから、魔物使いとして生きますとも」
「魔物使いとして生きる、とは?」
「沢山のモフモフと仲良くなって、楽しく暮らすことだよ! むふー!」
カナタの前世からの願いは、ここに集約される。
「ふむ、まずは仲間集めの旅に出るのですね」
「そうだね。世界中のモフモフに会いたいね」
「女性の一人旅は危険、と言いたいところですが、姉上ですしね……。むしろ襲われるようなことがあれば、相手を心配します」
「むー、弟が失礼すぎる」
「事実でしょう。本当に能力が低下しているんですか? 以前と変わったようには見えないのですが」
「うーん、そう? 下がってると思うよ、多分」
「自分でも分からないんですか……。やはり姉上はおかしいですね」
「可愛い弟がひどいことばかり言う……。お姉ちゃんは悲しい……。ザッくん、慰めて……」
『……頭でも撫でれば良いのか?』
「なにそれ最高。ぜひお願いします」
短い前足を懸命に伸ばして、ザグギエルはカナタの頭を撫でた。
アルスは幸せいっぱいのカナタの顔を見て、本人が幸せなら良いかと諸々の思考を放棄した。
「それでは、僕はこれで。旅先で落ち着いたら手紙でも下さい」
「え、それは面倒くさい」
「……猫かぶりをやめた途端、この姉は……」
「手紙なんて書かなくても、頻繁に帰ってくるつもりだし。お父さんとお母さんにもザッくんを紹介したいしね」
「分かりました。僕も夏期休暇のときは帰るつもりですから、その時はご一緒しましょう」
姉弟だというのに、律儀に頭を下げて、アルスは帰って行った。
「わたしたちも寮に帰ろっか。お店もそろそろ閉まっちゃうだろうし、旅の準備はまた明日だね」
外はもう日が沈みかけていた。
「帰ったら晩ご飯食べて、もう一回お風呂にしよ」
『また風呂に入るのか!? よ、余は遠慮しておくっ……!』
「えー、ザッくん、お風呂苦手なの?」
『そうではなく、若い娘が男と風呂に入るなどだな……! 余は今でこそこんな姿だが、元は魔王なのだぞ……! 入るなら一人で入るがいい!』
「まぁまぁ、気にしない気にしない」
『余が気にすると言っておるのだーっ!!』
この後めちゃくちゃ風呂に入った。
そして食事を済ませ、歯を磨き、寝間着に着替えてカナタは寝る準備を済ませた。
『余は床で良いぞ。外で寝ることに比べたら天国のようなものだ』
「そんなの駄目だよ。ザッくんの定位置はここです」
カナタは自分がベッドに入ってから、布団を持ち上げ、ザグギエルが入れる空間を作る。
「おいでおいでー」
『……断じて断る』
「えー。ぬくぬくだよー。ひっついて寝ようよー」
『断ると言ったら断る。……譲歩して、ここだな』
ザグギエルはカナタの枕のすぐ隣で丸まった。
「むーむー。あ、でもすぐそこにザッくんのモフモフがあって、これ良いかも」
そっぽを向いて寝てしまったザグギエルのお尻に、カナタは顔をうずめた。
「おやふみー」
『……まったく、窒息しても知らぬぞ』
「モフモフで窒息できるなら本望でふ」
カナタはザグギエルの柔らかさにうっとりしながら、夢の中へと落ちていく。
「ザッくん……。明日は色々買い物しようね……。欲しいものがあったら言ってね……」
『余は特に困っておらぬ。貴公の物を買えば良い。食うものも住むところも世話してもらって、これ以上何を望めというのだ』
「…………」
『寝てしまったか』
ザグギエルは起き上がり、カナタの布団を咥えて、肩まで引っ張り上げてやる。
『まったく、脆弱な肉体め。布団一つ動かすのすら一苦労とは……』
何とか仕事を終えたザグギエルは、すやすやと眠るカナタの寝顔をのぞき込む。
「うへへ……ザッくん……」
楽しい夢を見ているのか、童女のように口元を緩めていた。
『カナタよ、ふがいない従者だが、余を選んでくれたこと、心より嬉しく思うぞ』
ザグギエルは、窓から見える月を見上げた。
『神の呪いがなんだ。余は必ず貴公に相応しき強者へと返り咲いてみせる。明日からよろしくな、カナタ』
そう言って、ザグギエルは数百年ぶりのまともな寝床で眠りに就くのだった。
† † †
翌朝、雀の鳴き声で目を覚ましたカナタは、窓を開けて雀に挨拶をし、凄まじい勢いで逃げられた。
「……そうだよね……。魔物使いだもんね……。動物使いじゃないもんね……」
しかし、今日からはザグギエルがいる。
いくら動物に嫌われても、平気なのだ。
『む、カナタよ。早起きなのだな』
カナタに遅れて目を覚ましたザグギエルが、短い前足を前に突き出して、ぐーっと伸びをする。
「はわわわわわっ! 可愛いっ、可愛いようっ……!」
カナタはその類い希なる記憶力によって、今の光景を脳の記憶の深いところに永久保存した。
『ええい、そうじろじろと見るな』
「分かった。ちらちら見るね」
『そういうことではないのだが……』
宣言通りに、朝食の用意をしながらザグギエルの様子を盗み見てくるカナタに、ザグギエルの方が先に折れた。
『……前言は撤回する。落ち着かんから普通にしてくれ』
「やったー!! ザッくん大好きー!!」
カナタはザグギエルを抱き上げると、思いっきり頬ずりする。
『それは普通ではない……!』
ひとしきりじゃれついた後、ぐったりしたザグギエルを肩に乗せ、カナタは街に出た。
昨夜話したとおり、今日は旅に必要なアイテムを買いそろえるつもりだった。
仮面生徒の身となり、退寮する必要がなくなったため、荷物は処分せずそのまま部屋に置いておくつもりだ。
旅に必要なものを買いそろえれば、すぐにでも旅立てる状態だ。
が、その前に現実的な問題に、カナタたちは直面していた。
「お金が、足りない……!」
六歳から寮暮らしだったカナタは、衣食住にまつわるものは学園から支給されており、欲しいものも申請すれば現物で支給された。
故に、現金は小遣い程度しか持ち合わせていなかったのである。
カナタ痛恨のミス。
これまでと同じように学園に申請すれば、ある程度そろえられるだろうが、すぐさま用意してくれるわけではない。
カナタは今すぐにでも旅に出たかった。
カナタに対して個人的に支援を申し出る王侯貴族は今まで何人もいた。
現国王もその一人だ。
父とも知り合いの王は、剣技大会で三連覇を果たしたカナタの大ファンだ。
甘やかしすぎて、ポケットマネーで寮を魔改造するほど、カナタを可愛がっている。
今から城へ行って国王に無心すれば、現金などいくらでも用意してくれそうだ。
しかし、カナタがこれから王都を出て諸外国を旅すると聞けば、必ず引き留めにかかってくるだろう。
旅立ちの邪魔をされるのは、もうこりごりだった。
「うーんうーん、どうしよう……」
事情を知ってもごちゃごちゃ言わずにポンと金を出してくれる知り合いはいなかっただろうか。
いっそ弟のアルスに借金を願い出るのはどうだろう。
カナタが最低な発想をしているとき、肩に乗ったザグギエルがメウと鳴いた。
『カナタよ。金がないのならば、稼げば良いのではないか? 人は労働の対価に金を得るものだろう?』
「!! それだ! ザッくん、頭良い!」
『頭の善し悪しというか。貴公に常識がなさ過ぎるだけだと思うぞ、余は』
前世でも病院生活だったカナタには、働くという発想がなかった。
「そうと決まれば、行き先変更! 今すぐでも雇ってくれるところに心当たりがあるの!」
『ほう。ならば行こうではないか』
カナタたちは目的の場所へ向かって足を進めた。
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